修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
第5章 ヒトとエルフと
 その日から、せまい台所を根城にククーシュカの菓子作りが始まった。

「銀貨三枚……だと?」
 アルジェントも砂糖の値段を知らなかったようで、顔が強ばっている。
 
 聖都では自分で食材を買う習慣などなく、教皇庁でも準備をせずとも食事が出て来る生活をしていたので、食べ物の価格に無頓着だったのだ。

「砂糖を使わずに菓子を作る、か。そいつは前途多難だな」
「はい、どうすればいいのでしょう」
 
 ククーシュカは肩を落とすが、アルジェントのは例のモードに入れ替わったらしく、眉が高角度に上がった。
「よし。第二フェーズ、『あまき・罪の叛逆』だ!」

「ちょっと何言ってるかわかんない」
 唐突にふたりの間に冷めた声が割り込む。

「大丈夫、ぼくも手伝うからね!」
 続いて、雛鳥のような笑い声。
 
 実はクロエもヨルンドもいたのだが、アルジェントはあえて無視を貫いていた。
 忌々しげな上司の視線を躱しつつ、ククーシュカは四人分のお茶を用意する。

「いろんな知恵を借りようと思いまして、来てもらったんです。水流が集まると川になると、ルカ師匠がことわざを教えてくださって」
「その川は間違いなく氾濫するな」
「なんですって?」
 
 バチバチとクロエとアルジェントの間に火花が飛び交う。
 どうもこのふたりは相性が悪いようだ。
 
 それを言えば、彼と親しい者などイスマイルくらいしかククーシュカは思いつかない。
 もっとも、アルジェントはレヴァンダへ来たばかりだし、イスマイルは友人というより部下のようだが。

(役職において神父の部下が警吏?)
 ふと違和感を覚えたが、当面の問題は砂糖の代わりになる材料の入手である。無益な疑問に時間を費やす余裕はない。

「その川ってどこの川?」
「ことわざだから、決まってないんですよ」
「ぼくはね、前にイリス川で父さまと……」
 いがみあうふたりを放置して、ククーシュカはヨルンドと他愛ない茶話を楽しむことにした。
 
 クロエもヨルンドも知りうる菓子をあげてくれたが、やはり砂糖を使わないものに心当たりはないようだった。
 わざと煽っているのか、アルジェントは威丈高にクロエを見下ろす。

「大口を叩いてそれか。やはり口だけはでかいな」
「何の案も出さないあんたに言われたくないわ」
「あいにくわたしはあまいものは食わん」
 
 堂々といばるアルジェントに苦笑いしながらも、ククーシュカは少し残念に感じた。
(お菓子を作っても、トリアー神父には食べてもらえないんだ)
 
 ルカの教室に通うようになり腕が上達したのか、アルジェントはククーシュカの出す料理に文句をつけなくなった。
 特にほめもしないが、残さず食べてくれるだけでククーシュカはうれしかった。
 
 そんな心中を知らないクロエは、しっかとククーシュカの手をにぎる。
「大丈夫よ、ククーシュカ。わたしたちがついてるわ。どーせこの神父使えないんだから」
 アルジェントの刺すような目線が怖い。
 だが実際、クロエやヨルンドは心強いアシスタントだった。

「フルーツは干すと糖度が増すのよ。砂糖の代わりにならないかしら」
 それを聞いたヨルンドが、また翌日にはぶどうをわんさと持って来る。
「こんなにどうしたんですか、ヨルンド」
「ぼくんちワインの醸造元だから、父さまが跳ね出しのぶどうは使っていいって」
 試作の出費も覚悟していたククーシュカにとっては、ありがたい申し出だ。 
 
 早速干してみると、確かに大きさも味もぎゅっと凝縮されてあまい。
 いろんな果実で試してみたところ、ぶとうのほかにはいちじく、ももなどがあま味が強いこともわかった。
 
 ルカが教えてくれた、あのアップルタルトのような菓子が作ってみたい。
 以前よりも、味のビジョンが明確に定まりつつあった。
 
 すでに陽はとっぷりと暮れ、クロエたちは帰宅したが作業は続く。
「生地はとりあえずライ麦でやってみよう。さて、材料はそろったわ」
 いよいよ、焼いたタルト生地に実をつめて試食だ。

「む……!」
 期待に満ちたククーシュカの顔が、咀嚼によってだんだんくもる。
 
 生地にあまさがないので味に統一感がなく、具材のドライフルーツもごろごろとして口当たりが悪い。
(食べづらいし、何よりおいしくないわ)
 最初にアルジェントに食べてもらったパイは、これよりまずかったのだと思うと、今さらながら恥ずかしくなった。
 
 クオリティの低さがわかっただけでも自分的には成長を感じるが、とてもひとに出せるような出来ではない。
 さらに、ククーシュカは料理においてのルールを知った。
 
 失敗作は、作った者が責任をもって食べ上げなくてはならない。
(あまいものが苦手なトリアー神父は食べられないし)
 そもそも、こんな出来そこないの菓子をすすめることなどできない。
 
 消化にいいフェンネルのお茶をたっぷりと用意し、ひとりホールサイズを平らげながらククーシュカは悟った。

(お菓子作りはあまくない)

 それからレシピを変えいくつか焼いてみたが、どれも満足のいくものには仕上がらなかった。
 今日は、クロエとヨルンドにも試食をしてもらっている。

「生地が問題ね。小麦でないと重いし、やっぱり砂糖も必要よ」
「ぼくんちあるよ。持って来る?」
「だめよ、ヨルンド」
 分けてもらったところで、どのみち祝祭で出す菓子の量には到底足りない。
 
 タルトを囲んで考え込む三人の横を、アルジェントがわざとらしくうろうろと通り過ぎる。
「はは。菓子が完成する頃には体型が変わってそうだな」
「信じらんない、セクハラよ!」
 きぃきぃ怒鳴るクロエに、ククーシュカは真面目な顔で尋ねる。

「なんですか、せくはらって」
「ぼく知ってる、あのね」
「教えんでいい、ぼうず」
 なんとも平和な一日だったが、結局その日も何の成果も得られなかった。
 
 祝祭は迫っている。早く菓子を決めなければ間にあわない。
(もういっそ辞退しようか。コンティ伯にはお金も返して……きっとそのほうがいい)
 そんな計画を企てた翌日、ヨルンドがコンティ伯をともなってやって来た。

「ククーシュカ、きみのおかげだよ」
 突然ククーシュカは手を取られ、アルジェントも思わず目を剥く。

「クロエが会ってくれたんだよ!」
 ふだんはおだやかで物静かなコンティ伯が、今日はいかに楽しかったかを饒舌に語る。

「聖都まで行ってね、観劇したり大道芸を見たり、楽しかったなあ」
 デレデレな様子の親に呆れ顔のヨルンドを見ていると、ククーシュカも苦笑いせずにはいられない。が、

「あの、クロエとデートされたんですか?」
「だからそう言ってるじゃないか〜」
 顔はゆるみまくっているがはっきり答えるコンティ伯に、ククーシュカは固まった。

(どうしよう)
 クロエは約束を守ってくれたのだ。
 踊りに出ないのであれば、もうキャンセルはできない。
 
 こうなると、出店する以外道はない。
 胸に鉛が落ちたような気分になった。
 ククーシュカは、自分の弱さを情けなく思った。

 過去を思えば今の生活は天国で、昔よりずっと幸せなはずである。
 しかも、アルジェントの手伝いの魔物退治などよりはるかに気が楽だ。
 
 それなのに、心とは慣れてしまう。
 過酷な命令には耐えてきたのに、こんな些細な日常の課題が重圧になる。
 生きるだけでせいいっぱいだった日々を忘れ、安らかに過ごしたいと願ってしまう。

 ククーシュカは、あの森へ行ってみた。
 あの戦いから一度も足を運んでいない、棲んでいたエルフの森。
 いろいろ思い出すのは怖かったが、不遇な記憶を辿れば現状に感謝する気持ちがまた生まれるかもしれない。
 
 レヴァンダ村の丘から下りて行くと、見慣れた景色が眼下に広がった。
 とはいえ、もう火災でほとんどが燃え、木々もまばらにしか残っていない。 
 家屋も全焼で、自分が働いていた屋敷も、もともと棲んでいた家さえどこかわからない。

 ところどころに割れた食器や焦げたぬいぐるみが転がっていたが、不思議なほど、なんの感慨も湧いて来なかった。
 悲しみも憎しみも。
 
 あんなにつらかったというのに、女中頭の罵倒も、母親の顔すら、今は薄い膜の向こうにあるようだ。
 これが時間薬というものか。
 少しだけおかしくなってくすり笑う。
 ただ、何かを忘れているような気がした。

(……何を?)

 司祭館へもどって来ても、ククーシュカは気分は晴れなかった。
 だんだんと引きこもりがちになった少女を見かねて、アルジェントはめずらしく意見を出した。

「砂糖がだめなら、はちみつはどうだ?」
「もっと高いんだそうです……」
「それなら、楓のシロップを収穫──」
 と提案しようとして、すでにあの森は焦土と化していることをアルジェントは思い出した。
 
 ──少女の棲み家を奪った側に自分はいる。

(ううむ……)
 業を煮やしたアルジェントは勢い立ち上がった。

「こんなせまい台所に閉じこもっているから鬱になるのだ。来い」
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