修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
 帰りは、遠慮したもののルカとオロスコが教会まで送ってくれた。
 入り口に黒い影が見え、はっとする。

(誰か待ってる……! トリアー神父?)
 急いで走りよるとそれはイスマイルで、オロスコがわずかに眉をひそめた。

「警吏殿、何かあったのか」
「事件ではありません。トリアー神父に用があったのですが、まだお帰りではないようですので、待たせていただいているところです」
 
 とたんにルカがぱきぽきと指を鳴らす。
「あの男、こんな夜遅くまでククーシュカをひとりにするなど、今度会ったらパイの具にしてやろうか」
「お前が言うとなんかリアルだからやめてくれ」
 
 夫婦のやり取りにククーシュカはついふき出してしまった。
 その笑顔に安心したのか彼らは帰路につき、ククーシュカたちも司祭館でアルジェントの帰りを待つことにした。
 
 しかし……
 イスマイルの露骨な視線が痛く、ククーシュカはなんとも居心地が悪い。
 彼とそう接点はないはずだが、自分は何か悪いことをしただろうか。

「あ、あの、ひざかけお持ちしますね」
「お気遣い結構」
 申し出もばっさりと辞され、ククーシュカは手持ち無沙汰で椅子にすわる。
 
 まだ秋口とはいえ夜は寒い。
 教会のポーチでずっとアルジェントの帰りを待っていたのなら、冷えただろうと思ったのだが。

 沈黙に耐えかねて、ククーシュカは曖昧に笑った。
「ト、トリアー神父、遅いですね〜」
(貴殿が役に立たないせいでしょう)
「イスマイルさん、警吏のお仕事も大変ですね」
(貴様のせいです)
 
 無言ながら非難されているような気がして、たまらずククーシュカは立ち上がった。
「な、何か飲みもの淹れてきますね!」
「いや、わたしは……」
 
 断られる前に席を立つ。
 アルジェントが帰って来るまで、間を持たせる自信がない。
 
 準備が出来たジャグを運ぼうとすると、真後ろにイスマイルが立っていて、ククーシュカは思わず声をあげた。
「ひゃっ、な、なんですか?」
「妙なものを入れないよう見はっているのです」
「そんなことしませんよ!」
 
 イスマイルの考えや目的がわからず、ククーシュカは戸惑う。
「と、とにかく、安心して飲んでください」
 ジャグの中身は、あたためたぶどう酒に果物を漬けたものだ。
 杯に注いで出すと、イスマイルは訝しげにぶどう酒の匂いをかぎながらも口をつけた。

「ふん、こんなものでわたしは懐柔されませんよ」
「懐柔って……」
「どうでしょうね。そのあざとさでアルさまを誘惑したのでしょう」
「ゆ──?」
「ちょっとかわいいからといって、わたしはその手には乗りませんから」

 呆れて言葉も出なかったが、かわいいなどと言われたのは初めてで、責められているのについぽっと顔が赤くなる。
「ほうら、そうやってほおを染めるのが常套手段ですか!」
 イスマイルは、犯人を特定するかのように指をさしてきた。
 ふだん口数の少ない彼が、おかしなくらい饒舌になっている。

(あれ、もしかして……)
 顔が紅潮しているが、どうやら酔っているようだ。
 実は、酒に弱い体質だったのかもしれない。

「あの……大丈夫ですか、イスマイルさん」
 ククーシュカがのぞき込むと、かっと驚いたように彼は仰け反った。
「わたしはあなたの魔性に屈しません、アルさまをお護りするのが役目ですからね!」

(護る? 神父さま個人を?)
 それは、以前から感じていた違和感だった。
 役職において神父の部下が警吏とは、やはりどう考えても不自然だ。

「イスマイルさんは、トリアー神父とどういうご関係なんですか?」
「関係って、わたしの家は代々アルさまにお仕えする家系ですよ」
 だんだんと羅列が回らない口ぶりになってくる。

「小さい頃からず〜っとアルさまの護衛です。あなたみたいな、アルさまに害をなす者を排除するのが仕事なんです」
「わたし、神父さまの敵じゃありません」
 めずらしく声音を強めたククーシュカにふんと横を向くと、イスマイルはまたぶどう酒をあおった。

「あ、あまりもう飲まれないほうが」
「あなたに関係ないでしょうひっく」
 しゃっくりも混じり、いよいよ酩酊しつつある。
 そんな彼に鬱屈したものを感じとったククーシュカは、恐る恐る訊いてみた。

「……イスマイルさんは、トリアー神父がおきらいなのですか?」
「任務に好きもきらいもありませんよ」
 妙なことを訊くという顔で、イスマイルは肩をすくめる。

「任務ではなく、トリアー神父をどう思っているかです」
「わたしはアルさまの道具の一つ。あいにく、忠誠心以外持ちあわせておりません」
「じゃあ、トリアー神父がいなくなったら?」
 
 一瞬、思案の気配が顔に出たが、すぐに薄く苦笑した。
「わたしの一生は決まっていますから。そのときはわたしも消滅するかもしれませんね」
「そんなの悲しいです」
 
 ククーシュカは、これ以上飲まないようイスマイルの杯を取り上げた。
「ちょっと何するん……」
 ぐらりと視界が回転して、イスマイルはそのままテーブルに突っ伏した。
 
 意識が泥に沈み込んでゆく。
 それは、夢か思い出の逆流か。小さな頃の自分が甦ってきた。
 
 
 少年のイスマイルは、まっ暗な森の道を歩いている。
 確かひとりで使いに出たところ、迷子になってしまったことがあったのだ。
 
 深い闇の中、心細い気持ちで手探りで進む。
 みんな心配しているだろうか。
 いや、自分ひとりがあの屋敷から消えたところで誰も気には留めないだろう。

 自分の存在理由はアルジェントのためなのだから。

(では、本当のぼくはどこに?)
 
 涙が出そうになったとき、りんごのようなあまずっぱい花の香りがした。
 導かれるように辿って行くと、暗闇の向こうに光が射し森が開けてきた。

「イスマイル!」
 幼い銀髪の少年が、泣きそうな顔で走って来るのが見える。
(そうだ、思い出した。あのときアルさまが捜しに来てくれて……)

 
 どのくらい時間が経っただろう。
 あのやさしい花のような香りが鼻をくすぐり、そっと目を開けると、目の前ではククーシュカがはちみつ色のお茶を注いでいた。

「あたたまると思ったのですが、空きっ腹にお酒はまずかったですね。すみません、こちらのカモミールティーをどうぞ」
 イスマイルはむっくりと頭を起こすと、今度は黙ってカップを口に運んだ。
 さわやかな香りが広がり、酔いが少しずつ醒めてゆく。
 
 同時に、長いこととぐろを巻いていた思いがほどけてゆく清々しさを感じた。

「わたしはトリアー神父の部下で雑用係ですけど、おそばにいられることがうれしいです。イスマイルさんはそうではないのですか?」
 ククーシュカに尋ねられ、イスマイルは思い出していた。
 
 アルジェントは、自分を道具のように扱ったことなど一度もなかったことを。

 彼はイスマイルを紹介されたとき、初めての友だちができたことを喜んだ。  
 任務では上司となり、仕事が終わるとまた友人にもどった。

「あのひとを、きらいになど……」
 呆然としたつぶやきだったが、口に出してようやく気づいた。

 自分は、誰かに言ってほしかったのだ。道具ではないと。
 ヒトとして、必要とされている存在なのだと。
 
 イスマイルがカップをおき顔を上げると、さしあたりそのきっかけを作った者は、目の前でお茶を飲みのん気に笑っていた。
「そうですよね、だっておふたりとも、とても仲よく見えましたもの」
 
 そのとき馬の鳴き声が聞こえ、ククーシュカは馬舎のほうをふり返った。
「神父さまが帰られたようです」
 イスマイルは我に返って立ち上がる。

「で──ではわたしはこれで!」
「え? でもイスマイルさん、トリアー神父に用があったんじゃ」
「いいのです。失礼します!」
 残ったカモミールティーを飲み干すと、イスマイルは風のように去って行った。
「何しに来たんだろ、あのひと……」

 やがて長靴(ブーツ)の音が床に響き、アルジェントがドアを開け司祭館に入って来た。
「お、お帰りなさい、神父さま」
 顔をあわせるのも久しぶりな気がして、ククーシュカは声がうわずる。
 アルジェントも少し気まずそうに目線を泳がせ、テーブルの上のカップに気づいた。

「誰か来ていたのか」
「あ、イスマイルさんが」
「何用だ?」
「それが、よくわからなくて……」
「そうか」
 とりとめのないやり取りが一巡し、場はしんとなった。

「きょ、今日はどこへ行かれてたのですか?」
「捜査だ」
「そ、そうですか」
 またも会話がぶつ切れる。
 
 アルジェントのそばにいられることがうれしいと、イスマイルにはあんなにはっきり言えたのに、本人の前では気の利いた話一つできない。
 
 だが一抹の沈黙に流れる重い雰囲気を、先に破ったのはアルジェントだった。
「──腹がすいたな、何か食べるものはあるか」
「はい、今用意します」
 
 残しておいたパンとスープを持って行くと、テーブルの上に小さな包みが乗っていた。
 なんだろうとじっと見つめる。
「開けないのか」
 不満げな声に、ククーシュカは自分宛のものだと気づき急いで包みを開いた。
 
 初め、それは装飾品かと思った。だがふれるとあまいにおいがした。
 きれいな薄紙に包まれた、花びらの形の砂糖菓子。

「これは……?」
「菓子作りの参考になるかと思ってな」
「おみやげ、ですか?」
「呼び方などなんでもいい」
 アルジェントはそっけなくつけ加える。
 
 こんな精巧なものはレヴァンダでは見たことがない。聖都にしか売っていないはずだ。
 捜査だと言ってなかっただろうか。それともついでに購入したのか。
 
 一瞬わけがわからず固まるが、アルジェントがこのかわいらしい菓子を選んでいるところを想像すると、ククーシュカは笑みが込み上げてきた。

「なぜ笑う」
 不機嫌そうにアルジェントは眉をしかめる。
「うれしいからです」
「ふん、ならばよい」
 
 ククーシュカは、そっと砂糖菓子を手に取った。
「ありがとうございます。でもこんな美しいもの、口にできません」
「お前のものだ、飾るなり食うなり好きにすればいい」
 もくもくとパンをほおばるアルジェントだったが、ぼそりと最後につぶやいた。

「怒鳴って悪かった」
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