修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
 それからのククーシュカの進捗は、目覚しいものがあった。
 
 生地やクリームにあま味がプラスされると完成度も上がり、果物も蔦のシロップに漬けて使うとレシピはぐんと広がった。
 
 アーモンドペーストを敷いたタルトには、あまく煮つめたなしやもも、いちじくやレーズンを、カスタードに混ぜてふんだんにつめた。どれも糖度の高い果物だ。

「おいしいわ、ククーシュカ。絶対に売れるわよ!」
 ふだん辛口のクロエもベタぼめで、ヨルンドは感想を言うこともなく夢中で食べている。
 
 料理教室にも持って行ったところ、大好評だった。
「おいしい!」
「やっぱりあなた錬金術師ね!」
「魔法使いよ!」
 ルカは生徒たちに囲まれるククーシュカを満足げに見ていた。
 
 一度は断念しようとしたお菓子作りだったが、こうして完成するとあきらめずによかったと実感する。
「あのときはつらくて、お菓子なんかもう作れないと思いました」
 ルカと話しながら、ククーシュカは彼女の胸で思いきり泣いたことを思い出していた。

「その通りだ。どんな状況でもみな食事なら作るが、ドルチェは飯と違い食わなくても生きていける。あまいものは余裕の産物なのだ。お前は今、心が豊かなのだな」

(心が豊か……)
 
 そう言われ、村へ来て、ククーシュカは自分にいろんな感情が芽生えたことに驚いた。
 司祭館へもどると、もう一度台所で出来上がったフルーツタルトを見つめる。
(確かにおいしく焼けた。でも何か違う、何かもっと……)
 
 ここのところ根をつめていたので、疲労で思考が思うようにまとまらない。
 しばし頭をかかえて考え込んでいると、背後から冷笑を思わせる声がした。

「おやおや、何か怪しい匂いがしますね」
「イ、イスマイルさん(またか……)、トリアー神父はまだお帰りではありませんが」
 先日のこともあり、身がまえてしまう。

「ああ、どうぞおかまいなく。待たせていただきますよ」
 イスマイルが勝手にテーブルの席に着いたので、ククーシュカはとりあえず香茶を出した。

「ほう、お茶はあるのにお茶請けはなしですか。まったく気の利かない修道女ですね」
 どこの小姑かという言い草だ。

「す、すみません、今日は何も用意してなくて」
 イスマイルはキッとククーシュカを睨み、台所のタルトを指さした。
「ではそこにあるのはなんですか、ただの小麦と果物の成れの果てですか!」
(ええー……?)
 理不尽に責められ、ククーシュカはイスマイルの意図がさっぱりわからなくなった。

「でもイスマイルさん、さっき怪しい匂いって……」
「食べないとは言ってません」
(もう、なんなの)
 アルジェント以上に難解な人物だ。
 試しにホールの六分の一を切って出すと、あっという間に平げた。

「あ、あまいものお好きだったんですね」
 料理教室の女性たちに劣らぬ食べっぷりに、ククーシュカは目をまるくしてびっくりする。
 
 お茶も切れたので淹れ直して来ようとすると、イスマイルはすっと立ち上がった。
「台所をお借りしますよ」
「え?」
「特別にわたしが淹れてさしあげましょう」

 戸惑うククーシュカをおいて、イスマイルはかまどで準備を始めた。
 待っているよう言われたが、いつも自分がサーブする側だったのでククーシュカはそわそわと落ち着かない。
 
 待つこと五分。
 台所からシナモンの香りが漂い始め、イスマイルが椀を二つトレイに乗せてやって来た。

「かきまぜて飲むのです」 
 泡立てたミルクには、シナモンの内皮が浮かんでいる。
 ククーシュカがスープかと思い口をつけると、あまい風味がして驚いた。
「おいしい……!」

 お茶ともただのミルクとも違う、不思議な飲みもの。濃厚な大地の滋養が躰に沁みわたる。
 
 ククーシュカは興奮して尋ねた。
「なんですか? これは」
「ソイチーノです。りんごを煮たものとマッシュした栗を、豆乳にまぜてあたためています」
「りんごと栗……」

 思いもよらない組みあわせに、ククーシュカは感心して椀を見つめた。
「わたしのオリジナルレシピで、アルさまにも気に入っていただいています。疲れたときや食欲のないときなどに飲むと、力がつくのです」
「もしかして、わたしのために用意して来てくださったんですか?」
 ククーシュカが期待を込めて見上げると、イスマイルは苦味走った顔で舌を打った。
「そ──んなわけないでしょう! 図々しいですね、アルさまのためですよ!」
「す、すみません……」
 
 調子づいてしまったと小さくなる。
 とはいえイスマイルはおかわりを注いでくれ、自分もタルトを追加で注文してきた。

 甘味(かんみ)で機嫌がよくなったのか、彼の声音はこれまでよりいくぶんやわらかだ。
「まあ、あなたには健康でいていただかなくては、アルさまの仕事にも差し障りますからね」
「でもわたし、トリアー神父のお役になかなか立てないんです」
 ククーシュカは、アルジェントを怒らせてしまったことをおずおずと話した。

「そうですね、聞いています。初対面で突き飛ばされたとか、頸垂帯(ストーラ)を台無しにされたとか」
 なかなか辛辣な苦情である。

「聖務からも逃げたそうですね」
 除霊のことだろうか。
「かと思えば難事は受けるわと」
 こちらはきっと出店の件だ。
「ああ、カワカマスはしばらく見たくないとおっしゃっていました。カメムシ入りのシロップは、わたしもごめんです」
 もう穴があったら入りたい。

「アルさまの話は、いつもあなたの失敗談ばかりです」
 イスマイルがふっと一瞬、微笑んだように見えた。

(わたしの話を……?)
 文句を言われているのに、ククーシュカは不思議とあまやかな気持ちが湧いてきた。
 
 アルジェントは、どんなに口が悪くてもひとを貶めたりしないと知っているから。
 彼の低い声で、自分の名前が知らないところで呼ばれていると思うと、どきどきしてしまう。

「うちの『ククーシュカ』がまた、って。もう聞きあきましたよ」
「え、クク……略称でなく?」
「ええ、ククーシュカ、と」
 少女はぱちくりと目を開いた。

『ククーシュカ』と五文字も発声するのは効率が悪い、と言っていたアルジェントが、自分以外の者の前ではきちんと名前を呼んでいるなんて。

 唖然としていると、イスマイルは肩をすくめて続けた。
「まあ一つだけ役に立っているとしたら、あなたのおかげで頭痛が治ったと言ってましたっけね」
 そういえば、最近しかめ面が減ったようだ。あの眉間のしわは、痛みによるものだったのか。

(もしかして、彼はわたしを元気づけてくれているのかな)
 しかしそれを口に出してはまた怒られそうなので、ククーシュカは黙っていた。
 代わりに、ずっと気になっていたことを訊いてみた。

「あの、神父さまはどうしてあんなにケーレスにこだわるのですか。任務という理由にしてはあまりにも」
 切迫したものを感じる。
 内心答えてはくれないだろうと思ったが、意外にもイスマイルはぼそりと口火を切った。

「……彼は昔、聖都の騎士団にいたんです」
「トリアー神父が、騎士?」
 唐突な事実にククーシュカは驚いた。
 
 ではあの日、聖都で会った彼らが仲間だったのか。
 そうだ、確か、同じ教皇庁に勤めていたと言っていた。

「アルさまは戦犯者として罰を受けたんです──」

 
 その頃、ヒトとエルフ族との戦いは熾烈を極めていた。
 どちらが勝ってもどちらが負けても、おかしくないところまで迎えた戦況。
 そこに舞い込んだ一報は、騎士団をさらに恐怖に陥れた。

「ケーレスが顕れただと?」
「はい、エルフ族のほうにも犠牲が出ていますが、我が軍にもじわじわと影響が」
 
 ケーレスに襲われれば戦争どころではなく、生きて帰れる率が一段と下がる。
 だがもとより聖座に捧げた命だ、アルジェントは生還してからの希望や展望など特になかった。

 そんな一心で駆け抜けた戦場での功績は誰が見ても瞠目するものがあり、彼は騎士団長に任命された。
 讃えられると同時に妬まれたアルジェントだったが、同僚であるジノだけは友人だった。
 
 彼も危険を顧みない騎士であり、斬った敵の数ならアルジェントと大差はなかった。
 剣をふるうことに狂気的な喜びを持ち、アルジェントとは違った意志で戦いに臨んでいた。
 
 またジノの料理の腕は玄人はだしで、ありものの材料で一品に仕立てるのが得意だったため、彼は仲間から調理係も任されていた。
 
 ジノは少々不真面目で飄々とした性格をしており、アルジェントとは対照的だったが、気があったのかふたりはいつもいっしょに食事を摂っていた。

「戦争がすんだらおれは飯屋をやる。食べに来いよ、アル」
「ジノ、それは口に出すなと上から言われているだろう」
 
 教皇庁の騎士団には、代々伝わる不思議な禁句があった。
「この戦いが終わったら──」と言ってはならない。
 理由はわからないが、不吉だということらしい。命令ならばと、アルジェントは固く守っていた。
 
 だが禁句などいささかも気にしないジノは、ことあるごとに夢を語り、渋面のアルジェントを笑い飛ばした。
「意味わかんねェな。なんの根拠があるんだよ」
 
 言い伝えが真実かどうかは不明である。
 ただその三日後、ジノはケーレスに襲われ亡くなった。
 友人を失ったアルジェントは喪心で軍の統率が取れなくなり、一個隊を壊滅させる失態を犯した。

 
 イスマイルがことりとおいた椀の音に、ククーシュカはようやく息をついた。
「じゃあ、左遷させられたっていうのは……」
「この件でアルさまは退団させられたのです」
「でもそんなの、トリアー神父だけのせいじゃ──」
 言い終えないうちにククーシュカは気づいた。

「……それを知ってるってことは、イスマイルさんも同じ騎士団だったんですね」
 しかもここまで子細を語れるということは、彼らのそばにいたのだ。

「わたしはアルさまの部下でした。あなたと同じことを訴えましたが、受理されませんでした。教皇庁は隣人は愛しても、身内の過ちは許さない。彼に(くだ)された罰は、騎士の資格の剥奪でした」
「それで、ケーレスの退治をすることに?」
「ええ、教皇庁の手足となって一生動くことを命じられたのです」 
 
 聖都で会った騎士団の仲間たちが、アルジェントのことを「神の犬(ドミニ・カネス)」と嘲笑っていたことを思い出した。

「でもどうしてイスマイルさんまで」
「言ったでしょ、わたしはアルさまの部下です。彼がどこへ行こうと、お(つか)えするだけです」
 確かに、彼はアルジェントと時を同じくして赴任して来た。
 
 わたしは罪を犯してしまい、左遷(させん)された──
 
 アルジェントの自嘲気味な笑みが甦る。
 罪、とはこのことだったのだろうか。
(それであんなにケーレスを憎んでるんだ)
 
 ぽろぽろと涙がこぼれた。
 こんな話を聞いてしまったら、気持ちがあふれて止まらない。
 けれど、トリーネが亡くなったときとは違う、切なさが込み上げる涙だった。

「ちょっとやめてくださいよ、わたしが泣かせているみたいじゃないですか」
 イスマイルが戸惑いがちにぼやいたとき、

「何をしている? イスマイル」
「げっ、アルさま!」
 アルジェントが司祭館にもどって来た。

「違うんです、これは。ククーシュカを放っておくと、アルさまがルカ女史にパイの具にされてしまうので」
「なんだ、そりゃ」
 何一つ答えになっていない文節をつなげ、イスマイルは「では」と敬礼すると、唖然とするふたりをよそにあたふたと去って行く。

「何しに来たんだ、あいつは」
「きっと、トリアー神父のことが心配なんですよ」
 笑いながら涙をぬぐうと、ククーシュカは少しだけイスマイルのことが近くなった気がした。
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