修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
第8章 祝祭の夜
祝祭までいよいよ三日となった。
意見を仰ぐため、ククーシュカは新たに作ったパイやタルトをいくつか持って、ルカの教室に来ていた。
「どれもおいしいわ」
「わたしなら全部買うわよ」
生徒たちはあっという間にたいらげたので、まったく参考にならなかった。
「祝祭に出す菓子なら合格だろう。強いて言えば、どれでもいいしどれでもないと言ったところか」
ルカは空になった皿をながめ、腕を組んだ。
ククーシュカは、何を作ればいいのかますますわからなくなった。
「お前も気づいているんだろ? これらは確かにうまいが、本当にお前が作りたかったものではない」
「はい。何かもっと……サラダみたいな清涼感と、でもガツンとしたパンチもほしくて……」
あまりに曖昧で自分でも方向性がわからないのだが、ルカはルカはふっと笑い、ククーシュカにエプロンをわたした。
「お前が作りたいものを作ればいい」
自由でいいんだ、食い物も心も──
それは、アルジェントの言葉と重なった。
「食べ物は、次の時代やひとへ伝えていくものだ。お前は、誰に何を伝えたい?」
だが司祭館にもどっても、やはり作業は進まなかった。
「難航しているようだな」
思わずびくりと肩が上がる。
集中していて、アルジェントが台所に入って来たのも気づかなかった。
この間アルジェントの胸で泣きわめいたこともあり、なかなかまともに顔が見られない。
目を逸らし気味なククーシュカに、アルジェントも気まずそうに両手を上げる。
「そう警戒しなくていい。もうあんな言い方はしない」
ククーシュカはそうではないと弁明したかったのだが、気恥ずかしくて言葉にできなかった。
また微妙な空気になりそうで、つい話を逸らす。
「あの、こないだのトリアー神父のお料理おいしかったです。どなたかに教わったのですか?」
融通の利く材料といい、家でというよりは、外で食べることを前提とした粗野なメニューだ。
何より、書物ありきの彼がこのような適当なレシピを考えつくはずもない。
アルジェントは少し間をおいた後、かまどに火を入れて答えた。
「──昔、料理のうまい友人がいてな」
(あ……)
イスマイルの話がすぐに過った。
以前、野営せざるを得なかったことがあると言っていたのは、戦場での出来事だったのだろう。
ジノのことを思い出させてしまった。
軽率だったと悔やむククーシュだったが、続いたアルジェントの話はイスマイルに聞いたものとは少し違った。
「やつは、危険を顧みない騎士だった──」
戦いに喜びを見出したジノはいつしか敵味方関係なく斬り続け、気づけば魔に変わっていた。
──ケーレスに。
戦場ではヘンルーダの準備などあるはずもなく、隊は混乱に陥った。
アルジェントはなんとかジノを救おうと、彼と刃を交わしたが無駄だった。
こちらは本気で友人を斬ることはできないのに、相手はケーレスゆえに容赦なく攻撃してくる。
泣きながら。
ジノはまだ、片方だけ赫い眼に狂喜を湛えながら懇願した。
「ここで殺してくれ、アル! おれがおれでいるうちに!」
ケーレスを滅ぼすもう一の方法、それは『自死』である。
だからジノの頼みはアルジェントにはどうにもできないはずだ。
激しい剣戟の中、ふたりは怒鳴りあった。
「バカを言うな! そんなことできるわけないだろう、生きていれば何か方法がある!」
「おれは仲間もたくさん殺した。そのうち、臓器をむさぼる悪鬼になり果てるんだろう? 聖都にもどったって、死罪が待ってるだけじゃないか!」
ジノの悲痛な叫びを、アルジェントは否定することができなかった。
教皇庁の厳しさ、恐ろしさは自分もよく知っている。
「それに、この躰じゃもう……!」
料理をふるまうはずだったきき腕を、ジノはすでに戦いで失っていた。
「なあ、頼むよ……お前にしか頼めない。助けてくれ、ひとりで自死なんて怖いんだ。おれは……お前ほど強くない。最期くらいそばにいてくれよ」
血と涙で汚れた顔でジノは泣きじゃくり、彼らは怒りと悲しみをふり翳した。
やがて、鍔迫りあい越しにアルジェントが小さくうなずいたとき、ジノは自分の剣を捨てた。
わたされたアルジェントの剣を残った片腕でにぎる。
柄に友人の手がかぶさると、ジノは満足そうに目をつぶった。
「……咎を負わせるな、すまねェ」
「またいつか、うまいもの食わせてくれ」
「ああ、約束だ」
ふたりで正確に貫いたジノの胸を、アルジェントはいつまでも固く抱いていた。
ククーシュカは、今度こそ言葉が出なかった。
ただ、こちらが本当に起きたことなのだと思った。
事実は残酷だ。
イスマイルは、アルジェントのためかククーシュカのためか、あえて改竄したのだろう。
「あいつは最期に、『お前が騎士じゃなくても誇りに思う』と言ってくれた。わたしが今やっていけるのは、その言葉があるからだな」
アルジェントはひとり言のようにつぶやいた。
「……すみません、こんなお話をさせてしまって」
「お前が深刻に受け止めることはない。泣いてくれるな」
「泣いてばぜん」
鼻をすするククーシュカを苦笑すると、アルジェントは沸いたお湯でお茶を淹れた。
ククーシュカが用意する、いつものメリッサのハーブティーだ。
「そういえば、ハーブとは薬にも食事にもなるんだろう。菓子に使ってもいいのではないか」
きょとんとするククーシュカ。
「まあ、素人の意見と思って聞き流せ。邪魔したな、楽しみにしているぞ」
アルジェントが自室へもどると、ククーシュカは冷たい井戸水で顔を洗い、ルカにもらったエプロンをまいて再び厨房に立った。
(自分だけがつらいなんて恥ずかしい。トリアー神父もイスマイルさんも、みんないろいろあって、乗り越えたりまだ胸に残ってたりするんだ。それでも)
弱さをかかえて生きていく。
あらためて、使い慣れた調理器具や作業机を見わたす。
陶器の壺に立てられているのは、アルジェントが小枝を束ねて作ってくれた泡立て器やすりこぎだ。
レパートリーが広がるにつれ、道具も増えていった。
祝祭のために通い始めた教室だったが、毎日の食事にもおおいに役立った。
食べてもらえるとうれしかった。
何を作るかはもう決まっていた。
最後の課題は粉である。
小麦粉は使えないし、ライ麦やカラス麦では、口当たりがぼそぼそと悪い。タルト台にはよくても、生地にはふさわしくない。
ククーシュカは目を閉じて、素材の香りを吸い込んだ。
クローブにシナモン、カルダモンにジンジャー。
生地にお砂糖は使わない。アニスの実であまさを少しだけ。
失くした心を一つずつ思い出そう。
エールの酵母でふくらませ、わたしのありったけをつめ込んで。
それはちょっとだけしょっぱくて、ちょっとだけあまい。
でも、あたたかくて幸せなお菓子。
あけびのクリームをフロストしてローズマリーをちらせば、スパイスの効いたハーブケーキの出来上がり。
(食べてもらえるかな……)
朝陽が差し込むダイニングで、ククーシュカは目を覚ました。
すわったまま、眠り込んでいたようだ。
気がつくと、肩に毛布がかかっている。
出来上がった試作のひと切れが消え、代わりにオリーブのロザリオがおかれている。
ククーシュカはアルジェントの匂いのする毛布を躰ごと抱きしめ、思いきり微笑んだ。
意見を仰ぐため、ククーシュカは新たに作ったパイやタルトをいくつか持って、ルカの教室に来ていた。
「どれもおいしいわ」
「わたしなら全部買うわよ」
生徒たちはあっという間にたいらげたので、まったく参考にならなかった。
「祝祭に出す菓子なら合格だろう。強いて言えば、どれでもいいしどれでもないと言ったところか」
ルカは空になった皿をながめ、腕を組んだ。
ククーシュカは、何を作ればいいのかますますわからなくなった。
「お前も気づいているんだろ? これらは確かにうまいが、本当にお前が作りたかったものではない」
「はい。何かもっと……サラダみたいな清涼感と、でもガツンとしたパンチもほしくて……」
あまりに曖昧で自分でも方向性がわからないのだが、ルカはルカはふっと笑い、ククーシュカにエプロンをわたした。
「お前が作りたいものを作ればいい」
自由でいいんだ、食い物も心も──
それは、アルジェントの言葉と重なった。
「食べ物は、次の時代やひとへ伝えていくものだ。お前は、誰に何を伝えたい?」
だが司祭館にもどっても、やはり作業は進まなかった。
「難航しているようだな」
思わずびくりと肩が上がる。
集中していて、アルジェントが台所に入って来たのも気づかなかった。
この間アルジェントの胸で泣きわめいたこともあり、なかなかまともに顔が見られない。
目を逸らし気味なククーシュカに、アルジェントも気まずそうに両手を上げる。
「そう警戒しなくていい。もうあんな言い方はしない」
ククーシュカはそうではないと弁明したかったのだが、気恥ずかしくて言葉にできなかった。
また微妙な空気になりそうで、つい話を逸らす。
「あの、こないだのトリアー神父のお料理おいしかったです。どなたかに教わったのですか?」
融通の利く材料といい、家でというよりは、外で食べることを前提とした粗野なメニューだ。
何より、書物ありきの彼がこのような適当なレシピを考えつくはずもない。
アルジェントは少し間をおいた後、かまどに火を入れて答えた。
「──昔、料理のうまい友人がいてな」
(あ……)
イスマイルの話がすぐに過った。
以前、野営せざるを得なかったことがあると言っていたのは、戦場での出来事だったのだろう。
ジノのことを思い出させてしまった。
軽率だったと悔やむククーシュだったが、続いたアルジェントの話はイスマイルに聞いたものとは少し違った。
「やつは、危険を顧みない騎士だった──」
戦いに喜びを見出したジノはいつしか敵味方関係なく斬り続け、気づけば魔に変わっていた。
──ケーレスに。
戦場ではヘンルーダの準備などあるはずもなく、隊は混乱に陥った。
アルジェントはなんとかジノを救おうと、彼と刃を交わしたが無駄だった。
こちらは本気で友人を斬ることはできないのに、相手はケーレスゆえに容赦なく攻撃してくる。
泣きながら。
ジノはまだ、片方だけ赫い眼に狂喜を湛えながら懇願した。
「ここで殺してくれ、アル! おれがおれでいるうちに!」
ケーレスを滅ぼすもう一の方法、それは『自死』である。
だからジノの頼みはアルジェントにはどうにもできないはずだ。
激しい剣戟の中、ふたりは怒鳴りあった。
「バカを言うな! そんなことできるわけないだろう、生きていれば何か方法がある!」
「おれは仲間もたくさん殺した。そのうち、臓器をむさぼる悪鬼になり果てるんだろう? 聖都にもどったって、死罪が待ってるだけじゃないか!」
ジノの悲痛な叫びを、アルジェントは否定することができなかった。
教皇庁の厳しさ、恐ろしさは自分もよく知っている。
「それに、この躰じゃもう……!」
料理をふるまうはずだったきき腕を、ジノはすでに戦いで失っていた。
「なあ、頼むよ……お前にしか頼めない。助けてくれ、ひとりで自死なんて怖いんだ。おれは……お前ほど強くない。最期くらいそばにいてくれよ」
血と涙で汚れた顔でジノは泣きじゃくり、彼らは怒りと悲しみをふり翳した。
やがて、鍔迫りあい越しにアルジェントが小さくうなずいたとき、ジノは自分の剣を捨てた。
わたされたアルジェントの剣を残った片腕でにぎる。
柄に友人の手がかぶさると、ジノは満足そうに目をつぶった。
「……咎を負わせるな、すまねェ」
「またいつか、うまいもの食わせてくれ」
「ああ、約束だ」
ふたりで正確に貫いたジノの胸を、アルジェントはいつまでも固く抱いていた。
ククーシュカは、今度こそ言葉が出なかった。
ただ、こちらが本当に起きたことなのだと思った。
事実は残酷だ。
イスマイルは、アルジェントのためかククーシュカのためか、あえて改竄したのだろう。
「あいつは最期に、『お前が騎士じゃなくても誇りに思う』と言ってくれた。わたしが今やっていけるのは、その言葉があるからだな」
アルジェントはひとり言のようにつぶやいた。
「……すみません、こんなお話をさせてしまって」
「お前が深刻に受け止めることはない。泣いてくれるな」
「泣いてばぜん」
鼻をすするククーシュカを苦笑すると、アルジェントは沸いたお湯でお茶を淹れた。
ククーシュカが用意する、いつものメリッサのハーブティーだ。
「そういえば、ハーブとは薬にも食事にもなるんだろう。菓子に使ってもいいのではないか」
きょとんとするククーシュカ。
「まあ、素人の意見と思って聞き流せ。邪魔したな、楽しみにしているぞ」
アルジェントが自室へもどると、ククーシュカは冷たい井戸水で顔を洗い、ルカにもらったエプロンをまいて再び厨房に立った。
(自分だけがつらいなんて恥ずかしい。トリアー神父もイスマイルさんも、みんないろいろあって、乗り越えたりまだ胸に残ってたりするんだ。それでも)
弱さをかかえて生きていく。
あらためて、使い慣れた調理器具や作業机を見わたす。
陶器の壺に立てられているのは、アルジェントが小枝を束ねて作ってくれた泡立て器やすりこぎだ。
レパートリーが広がるにつれ、道具も増えていった。
祝祭のために通い始めた教室だったが、毎日の食事にもおおいに役立った。
食べてもらえるとうれしかった。
何を作るかはもう決まっていた。
最後の課題は粉である。
小麦粉は使えないし、ライ麦やカラス麦では、口当たりがぼそぼそと悪い。タルト台にはよくても、生地にはふさわしくない。
ククーシュカは目を閉じて、素材の香りを吸い込んだ。
クローブにシナモン、カルダモンにジンジャー。
生地にお砂糖は使わない。アニスの実であまさを少しだけ。
失くした心を一つずつ思い出そう。
エールの酵母でふくらませ、わたしのありったけをつめ込んで。
それはちょっとだけしょっぱくて、ちょっとだけあまい。
でも、あたたかくて幸せなお菓子。
あけびのクリームをフロストしてローズマリーをちらせば、スパイスの効いたハーブケーキの出来上がり。
(食べてもらえるかな……)
朝陽が差し込むダイニングで、ククーシュカは目を覚ました。
すわったまま、眠り込んでいたようだ。
気がつくと、肩に毛布がかかっている。
出来上がった試作のひと切れが消え、代わりにオリーブのロザリオがおかれている。
ククーシュカはアルジェントの匂いのする毛布を躰ごと抱きしめ、思いきり微笑んだ。