修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
第9章 少年
 ククーシュカが意識を取りもどし最初に目にしたものは、アルジェントを殴ろうとするルカを止めるイスマイルの姿だった。

「あの、みなさん何を……」
「トリアー、貴様がついていながらククーシュカをこんな目に遭わせるとは! ええい離せ、この警吏め!」
「ちょちょっと止めてください、オロスコさん!」
 しかしとなりにいるオロスコは、おもしろがって傍観しているだけだ。

「ち、違うんです、わたしが勝手な行動を取ったからこんなことに」
 あわてて間に入ると、ルカはアルジェントにげしげしと蹴りを食らわせた後、すっきりした顔で「そうか」とスカートを正した。
 
 結局、誰があの矢を放ったのかはわからなかった。
 助けてくれたのだから自分の味方には違いないが、名乗り出て来ないのもふくめ、ククーシュカは胸がざわついた。

『でも、そんなときぼくに──』
(あの後、彼はなんて言うつもりだったんだろう)
 最期にコンティ伯が言いかけた言葉が引っかかる。

「そういえば、広場で誰か刺されたと聞きましたが……」
「ああ、その村人なら軽傷だ。気にせずお前はもう休め」
 アルジェントはククーシュカに毛布をかけると、司祭館を出た。入り口ではイスマイルが待っている。
 ぱらぱらと雨が降ってきて、ふたりはフードをかぶり歩き出した。

「彼は軽傷でも、露店の裏で別の刺殺体が見つかったことは、まだ黙っておいたほうがいいですね」
「そうだな、やはり女司教のほかにも犯人はいたのだ」
「それがコンティ伯というわけですか。今回の遺体も、心臓も何も抜き取られてはいませんでしたが」
 イスマイルの報告にアルジェントは考えた。

 いったい、コンティ伯の殺人はなんのためだったのだろう。
 遺物を収集していたケーレス、リリウムの目的はわかる。
 
 なら彼は? 
 なぜ遺物を取ってはいかなかった? 
 ただ楽しむためか?
 
 自分は、書物にふり回されてはないか。
 そもそも犯人はケーレスだと思いたいだけであって、先入観に囚われてはいないか。
 おまけに、ククーシュカまで危険に晒してしまうとは。
 
 自分の信条がゆらぎ、アルジェントの顔に陰りが見え始めた。
「残りの遺体はまだ見つからないのか」
 司教の遺物の数に対して、足りない一体。
「まだ報告はありません。行方不明者の届け出もないので、レヴァンダの住人ではないようです」

「──お前は、司教の死後起きた事件に関しては、コンティ伯の仕業だと思うか?」
 アルジェントの声は疲れで乾いていた。

「正直、ぴんときません。ですが、彼と一戦を交えたアルさまなら何か感じるものがあるのでは」
「あれはケーレスではない」
 ヘンルーダを試さなくとも、それだけは確かだった。

「悪鬼に堕ちたモノは、あのような小賢しい戦い方はしない」
「殺人者はまだいると?」
「少なくとも、伯を殺した者がいる」
 アルジェントは嘆息し、思い出したように尋ねた。

「そういえば、ヨルンドはどうしている」
「今は署で保護しています」
「どんな様子だ。事情はもう聞いているんだろう」
「思ったよりは冷静で……ふつうに食事も摂りましたし、もう眠っているんじゃないでしょうか」
「それならいいが」
 だがふたりが署に着くと、部屋はもぬけの殻だった。

 すぐに警吏や自警団総出で、ヨルンドの捜索が始まった。
「自宅は?」 
「捜しましたが、メイドらも見ていないそうです」
 
 アルジェントはイスマイルに指示を出した。
「ククーシュカにも手伝ってもらう、起こしてきてくれ」
「でも彼女はまだ怪我が……」
「手遅れになればあいつに一生恨まれるぞ、急げ!」
 
 イスマイルに事情を聞いたククーシュカは、マントを羽織るとすぐに司教館から飛び出した。
 見通しの悪い雨の夜、温度もだんだん下がってきている。人捜しには最悪の条件だ。
 
 コンティ伯の事件を聞き、ショックだったに違いない。
 彼の絶望を想像すると、胸が痛んだ。
(それに、もしもまだコンティ伯のほかにケーレスがいたら)
 小さな少年など格好の餌食だ。

(どうか無事でいて……!) 
 ククーシュカは心当たりもないまま、闇雲に走った。
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