修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
 それから数日後、ヨルンドとの別れの日がやって来た。
 彼は華都(かと)の全寮制の寄宿舎へ行くことになったのだ。
 ククーシュカたちが見送りに行くと、少年は初めてきちんと正装していた。

「ぼく、もっとたくさん勉強して来るよ。いつかここを継ぐために」
 ぶどう園は、それまで伯父が管理するという。

「まあ、今は爵位も売り買いできる時代だ。人生何があるかわからんしな。お前もいつ何が起きてもいいよう、自立するすべを学んでおくんだな」
 相変わらず上から目線のアルジェントに、ヨルンドはふふんと鼻を鳴らす。

「そんな悠長なこと言っていいの? トリアー神父。ぼくが伯爵になって帰って来たら、ククーシュカは玉の輿だよ?」
「バカめ。わたしたちは聖職者、生涯独身だ」
「でも、人生は何があるかわからない、でしょ?」
 ヨルンドはニヤリと悪い笑みを浮かべた。

(あの笑い方ったら、トリアー神父にそっくり)
 いつの間に移ったのか、まるでアルジェントが父親だったようだ。
 ふき出しそうなククーシュカに、ヨルンドは真面目な顔で言った。

「ねえククーシュカ、もっとわがままになりなよ。トリアー神父だってこうなんだから、そんなにいい子にならなくたっていいんだよ」
 
 ククーシュカは苦笑したが、こんな小さな少年が自分を見て助言をくれたことに、胸があたたかくなった。
 
 そんな心地をよそに、アルジェントが割り入って来る。
「ああそうだ、ヨルンド。お前の家にあった甲冑だが」
 
 証拠品として一度イスマイルが押収したのだが、もう調べはついたのでアルジェントは屋敷に返そうと思ったのだ。
 彼やコンティ家にとっては、大事な家宝かもしれない。

 だがヨルンドは面倒くさそうに肩をすくめた。
「あんなのいらないよ、ただの飾りだもの。資料館にでも寄贈するよ」
「そ、そうか」
 意外とあっさりとした返事に肩透かしを食らう。

「なんなら、付属の武器も持ってってよ」
「武器……剣であるな」
「違うよ、弓矢。ほら、あれ」
 
 ヨルンドが指した先には見たことのある鉄矢(クォレル)が立てかけてあり、アルジェントとククーシュカは驚いて顔を見あわせた。

「ぼっちゃま、そろそろ」
 つき添いの弁護士から声がかかる。
 馬車に乗ったヨルンドは一瞬泣きそうな表情になったが、すぐに笑顔になり窓から顔を出した。
 
 強がりは、やがて本物の強さになるだろう。
 そんな思いで、ククーシュカはヨルンドへ手をふった。


「トリアー神父、あの矢は……」
 口に出さずにはいられなかった。
 
 あれは、コンティ伯を撃った鉄矢(クォレル)だ。
 つまり彼は、皮肉にも自分の装備で殺されたのだ。

「確か……トリアー神父が甲冑姿のコンティ伯と戦ったとき、石を投げたひとがいましたね」
「同一人物だとしたら、前回はやつを助け今回は殺したと? 行動が一致せんな」
 しかしどちらにせよ、もうひとり共犯者がいるのは事実だ。
 
 祭りで刺された男性は、一瞬の出来事で誰にやられたのか、まったくわからなかったと言う。
 陽動だったのだろう。
 ふたりのうちどちらかが騒ぎを起こし、もうひとりが被害者を襲う。

「これから相手がどう出るかだな」
 アルジェントは大きく嘆息した。
 
 午後はイスマイルが来て少し話した後、ふたりはまた捜査に出かけて行った。
(トリアー神父も、なかなか気が休まらないだろうな)
 
 気づけば、いつものマントが壁にかかったままだ。
 外は冷えるだろうと思い、ククーシュカはアルジェントを追いかけた。
 別行動をすると言っていたがそう時間は経っていないので、ふたりともまだ敷地内にいるはずだ。
 馬舎のほうで声がしたので出て行こうとすると、ふいに自分の名前が聞こえてきた。

「ククーシュカを、そろそろ事件から解放してあげてはどうです?」
 そう、ため息まじりに言うのはイスマイル。
 
 いったいなんの話だろう。
 ククーシュカはとっさに身を隠す。

「あいつを警戒しろと言っていたお前が、ほだされたものだな」
 続いてアルジェントの呆れた声。
「ククーシュカは、あなたを慕っています」

(な……何を言ってるのイスマイルさん!)
 ククーシュカはまっ赤になって、思わず飛び出しそうになった。
 だがアルジェントは泰然としたものだ。

「あれは生まれたばかりのヒナのようなものだ、親鳥の後をついて来てるに過ぎん」
 顔が見えないので、照れ隠しなのか本気の言葉なのかわからない。

「ですが、この間もアルさまが来るのが一歩遅かったら、彼女はコンティ伯に殺されていたかもしれないんですよ」
 めずらしくイスマイルは苛ついている。
「あの件は確かにわたしの失態だった。だが、捜査にはあいつの協力が必要なのだ」

(必要だなんて)
 ここからは声しか聞こえないククーシュカは、ふたりに心配をかけてしまったことを申し訳なく思い、同時に浮かれていた。
 次の言葉を聞くまでは。

「彼女は大事な囮だからな」
(……おとり?)

「言っただろう、教会において監視していると。あいつの周りではなぜか事件が起きる。そばにおいておけば、いずれケーレスに辿り着くはずだ」

「しかし……」
「同情は捨てろ、捜査の邪魔だ。我々は教皇庁検邪聖省審査官、優先すべきはなんだ?」
 
 それだけ聞けば十分だった。
 くるりと踵を返し、そっと走り出す。

『検邪聖省審査官』。
 その活動内容は教義に反する事柄の調査、もしくは排除。
 それくらいは自分も知っている。
 
 ククーシュカは司祭館へもどると、アルジェントの部屋へ入った。
 罪悪感に囚われながらも引き出しを開けると、一枚の羊皮紙が目に入る。

「報告書……」
 そこには、先ほどの会話の真実を裏づける、信じがたい文面がつづられていた。 
 
〝リリウム司教の真の目的は、彼女が引き取ったエルフの臓器である。
 司教はこれをよりよい状態で収集するため、弱ったエルフの面倒を見ていたと思われる。
 調査の結果、《《人間の血を引くエルフ》》は魔物を引きよせ、またその臓器は万病の薬のため『世紀の遺物』であることが──〟

 彼は今まで、なんの捜査をしてきたのだろう?
(ケーレスの退治とともに、『世紀の遺物』を探していた?)
 
 頭がぐるぐると混乱する。
 ククーシュカは、ぐしゃりと羊皮紙をにぎりしめていた。
 報告書を机にもどし部屋を出ると、足もとの床がゆれているような錯覚を起こした。
(ほめてくださったのも、はげましてくださったのも、全部捜査のため?)
 
 それでは、リリウムと変わらないではないか。
 
 コンティ伯に殺されそうになったとき、ものすごい剣幕で助けに来たアルジェント。
 あれも囮として護るためか。
 そして無事捜査が終了すれば、自分の身柄はいずれアルジェントによって教皇庁に移されるのか。
 彼は忠実な『神の犬(ドミニ・カネス)』なのだから。

 それから? 調べられる? 殺される?
(それがトリアー神父の希望なら、それでも……)
 
 現状に抗うより、そう考えたほうが楽だった。
 今までは。
 ククーシュカは、ぎゅっと手のひらをにぎりしめた。

 初めは、怖いひとだと思った。
 顔も声も怖く、何を考えているのかわからなかった。
 
 だがやがて、神経質な目はきれいな色をしていることに気づいた。
 意外と単純で、笑うと少し幼くなることも。
 長い指、雪原のような銀髪。みつろうの煙が染み込んだ僧服(カソック)の匂い。
 
 いくつものアルジェントの欠片は、ひろい集めるとククーシュカの中で宝物になった。
 今さら、どうやって憎めばいいのかわからない。
 ただ、ここにはもういられないと思った。
 
 ひとりでだって生きて行ける。これまでもそうだったのだから。
 どこかの森でひっそりと暮らそうか。それとも、聖都でエルフの仕事を探すか。
 
 それもいいかもしれない。あんなにたくさんエルフやヒトのいる都会なら、自分にとって居心地のいい場所も見つかるかもしれない。
 
 ただそこに、アルジェントがいないことをのぞけば。
 ククーシュカは、トリーネの形見のスカーフだけポケットに入れると、司祭館を出た。

 教会の正面門を抜けると、人影があった。
 待っていたようにクロエが立っている。
 彼女はいつもの覇気がなく、顔が陰って見えた。

「みんないなくなったわ。トリーネも、ヒューも……」
 クロエからすれば近しい者たちだった。
 彼らは被害者と加害者とはいえ、どちらもクロエには大切な存在だったはずだ。
 そういえば、あの事件から彼女には会っていなかった。どうしていたのだろう。
 
 自分のことでいっぱいで、彼女を思いやれなかったことを、ククーシュカは口惜しく思った。
 クロエのこんな顔はこれまで見たことがない。
 彼女はいつも、怒っているか笑っているかのどちらかだったから。
 
 かける言葉に迷っていると、クロエは静かに顔を上げた。
「でもあなたがいるわ、ククーシュカ」
 
 クロエは沈んで見えたが、ククーシュカの緑の瞳をじっとのぞき込んで言った。
「ねえ、あたしといっしょに村を出ない? 聖都へ行きましょう。こんなつらいところはもういやなの。あなたもそうでしょ?」
 
 突然の申し出に戸惑う。
 自分も、さっきまで同じことを考えていたのだ。
 
 なのに、すぐにはうんと言えなかった。
 クロエはつまらなさそうにくちびるを尖らせる。

「……ふうん、トリアー神父のことが好きなのね」
「へ?」
 とたんに顔がまっ赤になる。
「正直な子ねえ、いやになっちゃう。でも、それはすり込みよ。生まれたての動物が最初に見たものになつくようなものよ」
 
 同じことを、アルジェント本人も言っていた。
 自分は恋をしたことがない。
 だから、この気持ちがどういうものかわからないし、ふたりが言うならそれが本当なのだろう。

(でも、心にどんな名前がついていようとかまわないのでは?)
 
 そんな思いが去来して何か言いたげなククーシュカの手を、クロエが唐突に取る。
「一番星が出たら、村はずれの丘まで来て。返事はそのときでいいわ、待ってるから」
 そう言うと、クロエは軽やかに去って行った。
 
 ククーシュカは、クロエの手の温度に驚きながら手のひらを見た。
 確か、祭りの日も冷たかった。
 村の女性たちに多い、彼女も冷える体質なのだろう、あまり待たせるわけにはいかない。
(決めなくちゃいけないんだ)

 今、気持ちを分かちあえるのはクロエだけだ。
 何より自分を利用する者より、必要としてくれる者といるほうがきっと正しい。
 
 そう思い歩き出したが、いろいろと思い出のある広場まで来ると足が止まってしまった。
 ここで湿布を持って初めての営業をした。祝祭でお菓子も売った。
 
 たくさんの出来事があふれてきて、到底忘れられるわけがなかった。
 ため息をつき、ベンチに腰を下ろす。

「どうした、シケた顔をして」
 唐突に声が降ってきた。
 買い物かごをかかえたルカが、不審そうに見下ろしている。
 
 彼女に会うのは、ククーシュカがコンティ伯に襲われて以来だ。
「大変な目に遭ったのに、助かってよかったって感じじゃないな」
「師匠……」
 
 ルカがククーシュカのとなりにすわる。
「お前にそんな顔をさせるのは、どうせあの似非神父だろ」
「トリアー神父は……」
「やつの裏の顔でも見てしまったか。まあ、うさんくさいやつだしな。だがな、ククーシュカ」
 
 ルカは、かごから出したりんごをがりりと一つほおばった。
「女は愛する者の前では愚者になる、罪深い生き物だ。それなら信じて堕ちるしかない」
 
 とても男勝りのルカの思想とは思えず、ククーシュカは驚いた。
「ルカ師匠は、オロスコさんのことを信じてるんですか」
「もちろん信じている」

「裏切られたら? 悲しくないんですか? 怒らないんですか?」
「そりゃ悲しいし、怒りもする」
 持っていたりんごがぐしゃりとつぶされ、ククーシュカはぶるっとふるえた。

「だが傷つくことを恐れていては誰かを好きになる資格はない。それに、本気で恋ができる相手など、人生でそうそう(めぐ)っては来ないものだ。お前も多少バカでわがままにならんと、生きにくいぞ」

(もっとわがままになりなよ──)
 小さな少年の声が胸に響く。

 今なら少しだけ、自分を騙した男を愛し続けた母の気持ちがわかる気がした。
 ククーシュカはおそるおそる尋ねてみた。
「わたしは、いい子なのでしょうか」
「いいや、悪い子だ」
 立ち上がったルカから新しいりんごが放られる。

「修道女のくせに恋なんぞして」
 受け取ったりんごのように赤くなったククーシュカのほおを見て、ルカは満足げに笑った。

 
 一方、アルジェントは村で聞き込みをし、ひとり、ある建物に来ていた。
「無断欠勤?」
「ええ、二日間ほどですがね。出て来たときどうしたんだと聞いたら、(やまい)で伏せってたと」
「それは、いつぐらいのことかわかるか」
「リリウムさまがああなる少し前のことだよ。休んだことなどないからね、ちょっと憶えてたのさ。それが何か関係あるのかね」
「いや、関係ないに越したことはないのだが。ところで、自宅はわかるか?」
「ああ、確か──」
 
 男が場所を説明すると、アルジェントは「ありがとう」と僧服(カソック)をひるがえす。
 この強面が礼を言うとは思っていなかったようで、男は面食らっていた。
 
 アルジェントは先を急いだが、訪ねた先は不在で誰もいなかった。
 すでに夕刻。仕事も終わり、本来なら帰宅している時間である。

「邪魔するぞ」
 勝手にあがり、中を確かめる。
 あまり生活感のないキッチン、ダイニングを見て回るが、不審なものや血なまぐさいものは何もない。
 臓器入りの壜を隠すような地下室なども見当たらない。
 
 アルジェントは広い家の奥へ進んだ。
 邸宅と呼ぶにふさわしい、天蓋つきのベッドルーム。
 備えつけのクローゼットの扉をぐっと開く。
 
 それを探していたわけではなかった。だが──
(これは……)
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