修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
 ふたりは今、司祭館のダイニングで向かいあいすわっている。少女は気まずそうに上目遣いで男を見た。
 
 すその長い僧服(カソック)に、頑丈そうな長靴(ブーツ)。彼は聖都の教皇庁から来た神父だという。
 年の頃は、三十を過ぎているように少女には見えた。

「さっきの壜は何だ?」
 顔に飛び散った血糊を平然とふき、神父はまじまじと少女を見た。
「……へ、ヘンルーダの浸出液です。畑の猫除けに使おうと用意していたのですが、あなたがやたら魔除けのハーブを連呼していたので、もしかしてと思い」
「うむ、助かった。『ケーレス』には薬草が効くと、ものの本で読んだのだが不発だったのでな。なんでもいいわけではないらしいな」
「『ケーレス』?」
「知らんのか、この国に伝わる悪霊のことを」
 
 少女は首をふった。自分の暮らしていた森では、聞いたことがなかった。
 神父が言うには──

 森で、牧草地で、そしてときには民家にさえその異形は出没する。
 世界のすべてを厭んでいるような無残な屍体。血を抜かれ、持ち帰られる遺物。
 そしてその代わりか、被害者の胸には『木いちご』が埋め込まれているという。おぞましい犯罪死体だ。

「紛争は終わったというのに、未だ何かが暗躍しているのだ。先日も自警団の連中がふたりも殺されたと聞く」
 その事件は少女も知っていた。
 では、噂に聞く猟奇殺人の犯人とはリリウムだったのか。じわじわと恐怖が甦って来る。

「あ、悪霊とは、リリウムさまは霊に取り憑かれたのですか?」
「取り憑かれたのではない。霊と言ってもケーレスは吸血鬼や獣に近く、いろんな姿で顕れる。奴らはヒトを襲い、またふつうの方法では死なぬ。お前も見たであろう」
 少女はあの異様な赫い眼を思い出した。

「ヒトを殺し続けると、いつしかその者は魔に変わる。ケーレスもその一つだ。彼女は初めからケーレスであったのか、それとも……」
 神父は皮肉げに笑った。

「どうしてあなたはこの村へ来たのですか、なぜリリウムさまがケーレスだと?」
「教皇庁に密告があったのだ」

 ここレヴァンダ村のある属州では臓器のない遺体が近年続出し、教皇庁が調査に乗り出していた。
 そんな折、リリウム司教が犯人だと匿名で手紙が舞い込んで来たという。
 困惑する少女に、神父は「ものの本」とやらを開き確かめる。
「ケーレスは『遺物』を残す習性がある。探させてもらうぞ」
 
 彼はおもむろに立ち上がると、ダイニングをうろうろと歩き始めた。
 かまどの横に並ぶビネガーやぶどう酒の壜を調べながら、足もとの扉に視線を移す。
「地下室か」
酒蔵(カーヴ)はノミの巣なので入らないようにと言われています」
 
 言うそばから、話を聞いていないのか、もう床板を上げている。
「ノミがいるなら、なぜヘンルーダを使わなかった? あれは駆虫剤にもなるはずだ。それに、司教は酒蔵(カーヴ)を利用していたのだろう」
 ぶどう酒の壜をあごでしゃくられ、少女ははっと顔を上げる。

「ヘンルーダの作用……よくご存知なのですね」
「昔は野営せざるを得ないこともあったからな」
 そう言うと、カンテラを持って付属の階段を降りて行った。少女も後をついて行こうとするが、強い声に押しもどされる。
「お前は来ないほうがいい」
 
 だが、先ほど薬草の効能を失念していたことも加え、自分も教会の関係者なのだという自負が少女に見栄の勇気を与えた。
「わ、わたしも行きます」
「どうなっても知らんぞ」
 踏むたびに、ぎぃと虫の鳴き声のようないやな音を立て軋む階段。神父のカンテラが地下を照らす。
 灯りの先にあったものは、酒壜などではなかった。
「──!」
 
 ガラス壜に浸されたいくつもの臓器(ヽヽ)が目に入ったとたん、少女の意識はそこで途切れた。
< 3 / 6 >

この作品をシェア

pagetop