修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
ククーシュカが気がついたとき、そこは司祭館の自分の部屋だった。
(あれは、悪夢……?)
そんなはずはない。
修道服は至る箇所に穴が空き、荊棘が突き破ったことを物語っていた。
何より、
自分が発した躰の一部が他人を貫いた感触が、今も生々しく残っている。
(わたしが、クロエを殺した)
そして、森の民もすべて。
どうして忘れていたのか。
この力を使うと、いつも記憶が曖昧になっていた。
だが、ようやく思い出した。
戦火によって彼らは滅びたのではない。
自分が仲間を、このブラックソーンで殲滅したのだ。
人間によって火矢が放たれたのは、その後のことだ。
今度は念じただけでできた。
手のひらから発芽するように伸びる鋭い枝。
(エルフの心臓なんて、『世紀の遺物』なんてあるからこんなことになったんだ。みんなを護るためにこんなもの──)
ククーシュカは生えた荊棘を両手でにぎると、自分の胸目がけて──
「!」
瞬間、大きな手が防いでいた。
息を切らしたアルジェントが、ククーシュカのブラックソーンをすんでのところでにぎりしめている。
「トリアー神父……」
アルジェントは、手を放さずに言った。
「ヨルンドがいなくなったとき、どう思った? お前は村のみんなに、同じ思いを味あわせるのか!?」
「だって、自分がこの森で最後のエルフだなんて……わたしが森の仲間を殺したんじゃないですか! クロエと同じです!」
慟哭をあらわにするククーシュカに、アルジェントは冷たく問いただす。
「なぜ殺した?」
「母からもらったスプーンを取り上げられ……」
「それだけか?」
「母の墓も壊されて……わたしはこの呪われた力を使ったんです」
ククーシュカは泣きながらうなだれた。
「たったそれだけのことで……わたしは悪鬼です!」
「そうだ、お前が森を殲滅した」
告げられる罪に顔が上げられない。
痛ましい事実だった。
騎士団が攻め込んだとき、すでに森の民は死滅していた。
彼らは、戦いの爪刃によって亡くなったのではなかったのだ。
だがアルジェントは責めることなく続けた。
「ではなぜお前は、司教や栗毛に襲われたとき、ブラックソーンを使わなかった?」
「それは……」
確かにおかしい。
自分の生命の一番の危機なのに、あのとき荊棘は刺の先端すらも出なかった。
「わたしが思うに、お前は何かを護ろうとするときだけ、あの力が発動するのだ」
ククーシュカは、アルジェントの言葉を噛みしめるようにくり返す。
「何かを、護ろうとするとき……」
母の思い出を、彼を、大切なものたちを。
「その引き金は悲しみや恐怖や復讐ではない。スプーンや母の墓を護ろうとした。そうだろう?
お前は悪鬼などではない。事実、わたしを救ってくれたではないか」
だが、推測と疑念は同一線上にある。
「トリアー神父は、わたしの力を以前から知っていたのですね……」
「ああ、うすうす気づいていた。それもふくめて、捜査のためにわたしはお前を利用した。すまなかった」
「いいのです……」
どのみち、自分はもうこの村にはいられない。
「だがな、ククーシュカ。魔に堕ちるのは簡単だ。ただ呪えばいい。相手を、己を。
自分の心の行く手を決められぬ者に、力は扱えぬ」
ヒトを殺し続けると、いつしかその者は魔に変わる──
アルジェントの自嘲気味な顔が思い出された。
騎士という肩書きのもとで、どれだけの相手を斬ったのか。
その世界に神などいない。
「死者は尊ぶものでも憐れむものでもない」と言った彼の背負うものが、とてつもなく重く感じた。
にぎりしめたアルジェントの手から血がにじみ、ククーシュカは思わず荊棘を引っ込める。
「トリアー神父、手が……」
「そんなことはどうでもいい!」
怒った声だったが、彼は心底疲れ切って見えた。
「もう勝手に命を絶つなど、生意気なことはやめてくれ……」
そう言って顔を手のひらで覆い、机におかれた砂糖菓子に目をやる。
「出て行くつもりだったのか? あれもおいて」
「持っていけば、ぼろぼろになると思って……傷つけたくなかったんです、あの砂糖菓子だけは」
「わたしは傷ついたな」
「えっ!?」
聞き違いだろうか。
だがアルジェントはククーシュカを見てはっきりと言った。
「菓子もわたしもおいて勝手に出て行って、傷ついたと言ったんだ」
混乱で目がぐるぐると回る。
「わたしと生きたいと言ったのは嘘か」
「い、いいえ……」
「少なくとも、わたしがお前を村中捜し回ったことだけは憶えておいてくれ。黙ってどこかへ行こうとするな」
そう言うと、アルジェントはククーシュカの手を強くにぎった。
(あれ……?)
不思議と、悲しくないのに涙が出る。
それはどんどんあふれて、毛布をぬらした。
(トリアー神父の言う通り、わたしはあまえていた)
人任せにしていたら、どこにも行けない。
自分のことなのに、先送りにして後回しにして、いつも逃げてばかりだった。
いっしょに生きると決めたことは間違いかもしれない。
今よりずっと、つらい未来が待っているかもしれない。
でも、
(今だけは、あまえてもいいですか?)
ククーシュカは初めて、自分からぎゅっと、アルジェントの広い広い肩にしがみついた。
胸に糖度が広がっていく。
砂糖より何より、あまい物質が自分の中にあることを知った。
(あれは、悪夢……?)
そんなはずはない。
修道服は至る箇所に穴が空き、荊棘が突き破ったことを物語っていた。
何より、
自分が発した躰の一部が他人を貫いた感触が、今も生々しく残っている。
(わたしが、クロエを殺した)
そして、森の民もすべて。
どうして忘れていたのか。
この力を使うと、いつも記憶が曖昧になっていた。
だが、ようやく思い出した。
戦火によって彼らは滅びたのではない。
自分が仲間を、このブラックソーンで殲滅したのだ。
人間によって火矢が放たれたのは、その後のことだ。
今度は念じただけでできた。
手のひらから発芽するように伸びる鋭い枝。
(エルフの心臓なんて、『世紀の遺物』なんてあるからこんなことになったんだ。みんなを護るためにこんなもの──)
ククーシュカは生えた荊棘を両手でにぎると、自分の胸目がけて──
「!」
瞬間、大きな手が防いでいた。
息を切らしたアルジェントが、ククーシュカのブラックソーンをすんでのところでにぎりしめている。
「トリアー神父……」
アルジェントは、手を放さずに言った。
「ヨルンドがいなくなったとき、どう思った? お前は村のみんなに、同じ思いを味あわせるのか!?」
「だって、自分がこの森で最後のエルフだなんて……わたしが森の仲間を殺したんじゃないですか! クロエと同じです!」
慟哭をあらわにするククーシュカに、アルジェントは冷たく問いただす。
「なぜ殺した?」
「母からもらったスプーンを取り上げられ……」
「それだけか?」
「母の墓も壊されて……わたしはこの呪われた力を使ったんです」
ククーシュカは泣きながらうなだれた。
「たったそれだけのことで……わたしは悪鬼です!」
「そうだ、お前が森を殲滅した」
告げられる罪に顔が上げられない。
痛ましい事実だった。
騎士団が攻め込んだとき、すでに森の民は死滅していた。
彼らは、戦いの爪刃によって亡くなったのではなかったのだ。
だがアルジェントは責めることなく続けた。
「ではなぜお前は、司教や栗毛に襲われたとき、ブラックソーンを使わなかった?」
「それは……」
確かにおかしい。
自分の生命の一番の危機なのに、あのとき荊棘は刺の先端すらも出なかった。
「わたしが思うに、お前は何かを護ろうとするときだけ、あの力が発動するのだ」
ククーシュカは、アルジェントの言葉を噛みしめるようにくり返す。
「何かを、護ろうとするとき……」
母の思い出を、彼を、大切なものたちを。
「その引き金は悲しみや恐怖や復讐ではない。スプーンや母の墓を護ろうとした。そうだろう?
お前は悪鬼などではない。事実、わたしを救ってくれたではないか」
だが、推測と疑念は同一線上にある。
「トリアー神父は、わたしの力を以前から知っていたのですね……」
「ああ、うすうす気づいていた。それもふくめて、捜査のためにわたしはお前を利用した。すまなかった」
「いいのです……」
どのみち、自分はもうこの村にはいられない。
「だがな、ククーシュカ。魔に堕ちるのは簡単だ。ただ呪えばいい。相手を、己を。
自分の心の行く手を決められぬ者に、力は扱えぬ」
ヒトを殺し続けると、いつしかその者は魔に変わる──
アルジェントの自嘲気味な顔が思い出された。
騎士という肩書きのもとで、どれだけの相手を斬ったのか。
その世界に神などいない。
「死者は尊ぶものでも憐れむものでもない」と言った彼の背負うものが、とてつもなく重く感じた。
にぎりしめたアルジェントの手から血がにじみ、ククーシュカは思わず荊棘を引っ込める。
「トリアー神父、手が……」
「そんなことはどうでもいい!」
怒った声だったが、彼は心底疲れ切って見えた。
「もう勝手に命を絶つなど、生意気なことはやめてくれ……」
そう言って顔を手のひらで覆い、机におかれた砂糖菓子に目をやる。
「出て行くつもりだったのか? あれもおいて」
「持っていけば、ぼろぼろになると思って……傷つけたくなかったんです、あの砂糖菓子だけは」
「わたしは傷ついたな」
「えっ!?」
聞き違いだろうか。
だがアルジェントはククーシュカを見てはっきりと言った。
「菓子もわたしもおいて勝手に出て行って、傷ついたと言ったんだ」
混乱で目がぐるぐると回る。
「わたしと生きたいと言ったのは嘘か」
「い、いいえ……」
「少なくとも、わたしがお前を村中捜し回ったことだけは憶えておいてくれ。黙ってどこかへ行こうとするな」
そう言うと、アルジェントはククーシュカの手を強くにぎった。
(あれ……?)
不思議と、悲しくないのに涙が出る。
それはどんどんあふれて、毛布をぬらした。
(トリアー神父の言う通り、わたしはあまえていた)
人任せにしていたら、どこにも行けない。
自分のことなのに、先送りにして後回しにして、いつも逃げてばかりだった。
いっしょに生きると決めたことは間違いかもしれない。
今よりずっと、つらい未来が待っているかもしれない。
でも、
(今だけは、あまえてもいいですか?)
ククーシュカは初めて、自分からぎゅっと、アルジェントの広い広い肩にしがみついた。
胸に糖度が広がっていく。
砂糖より何より、あまい物質が自分の中にあることを知った。