修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
第2章 祓魔二人
翌朝、村はアルジェントが公表したリリウムの件で、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
「司教が殺人事件の犯人というのは本当か」
「ケーレスだと? 信じられん」
「というか、あんた誰だね」
リリウムが消え、突然降って湧いた怪しげな男を村人は不審なまなざしで見る。
それもあの恐ろしげな見た目では仕方ないとククーシュカは思うが、起きたことは自分もきちんと伝えなければならない。
「ト、トリアー神父のおっしゃっていることは真実です。わたしは、リリウムさまに殺されそうになったところを助けてもらったのです」
言葉を添えても、やはりみな顔を見あわせるばかりだ。
ククーシュカも、村に来てからの日にちは浅い。
リリウムが連れて来たこともあり、彼女の仲間だと思っているのかもしれない。
ただでさえ距離のあった村人たちとの溝が、いっそう深まったようだ。
「そう言われてもなあ」と渋る彼らの疑念を、明朗な声が断ち切った。
「ククーシュカの言うことなら信じるわ」
この地方に多い、栗色の髪を結い上げた快活そうな少女。
大人っぽく、ククーシュカよりいくつか年上に見える。
毛織り物加工のギルドで染色見習いをしている、クロエだ。
村へ来て、ククーシュが初めに友だちになったのが彼女だった。
もっとも、向こうからぐいぐいと親交を深めにやって来たのだが。
「ぼくも信じるよ!」
続いて人ごみから潔い挙手をしたのは、十歳になるヨルンド。
荘園主ヒュー・コンティの息子に言われては、周囲もそれ以上異論は唱えられない。
微妙な雰囲気の中、教会裏の墓地で埋葬は行われた。
損傷が激しいため、リリウムの亡骸は顔を残し鹿革にくるまれている。
眠っている姿は生前のままで、あの狂気に満ちた顔は想像できない。
どこからか、「あの神父が黒幕なのでは」などという囁きも聞こえて来た。
だがそんな誹りなど耳に入らないかのように、アルジェントは聖書を棒読みで朗読し、惰性の仕草で香を焚き聖水をふる。
なんとも事務的で、それがまた村人の反感を煽った。
やがて列席者が見守る中、オークの棺は湿った土に厳かに沈められた。
「ひまだな」
「そうですね」
日曜日は、これまで定例ミサが行われていたというのに、さっぱり教会を訪れる者はいなくなった。
「困ったものだ。聞き込みをしようにも、わたしが話しかけるとみな逃げてしまう。どうもこの村の者は排他的でいかん」
熊のように徘徊しながら愚痴るアルジェントに、ククーシュカはなんとも言えず苦笑する。
「ですが、もう事件は終わったのでは?」
「いちおうはな。しかし、遺体の数があわんのだ」
リリウムの地下室には、心臓が入ったガラス壜が隠されていたが、その『遺物』に対して、遺体が一体足りないのだという。
アルジェントと警吏が話しているのを聞き、ククーシュカはぞっとした。
「その件は口外するなよ。村人に話を訊かねばならんからな。しかしあの連中ときたらどうしたものか……ん?」
アルジェントが小窓から外をのぞき込んだとき、
「チャオ、ククーシュカ!」
ドアが勢いよく開き、カールした髪をなびかせ少女が飛び込んで来た。
「騒がしいぞ。ここは聖域だ、静粛にしてもらおう」
ククーシュカが出迎えてくれるかと思いきや渋面の神父ににらまれ、クロエは一瞬後退る。
「あ──あんた新しい神父?」
「いかにも。だが呼び捨ては感心せんな。ファーザーと呼びそこへすわれ。話がある」
「お説教はミサだけで勘弁してよね」
「ミサにも来んくせに貴様……」
絶対零度の凍る声。ククーシュカがあわててふたりの間に割って入る。
「クロエ、今日はどうしたのですか?」
「わたしも話があって来たの」
「あいにくそんなひまはないな」
「ひまそうにしてたじゃないの。それにあんたにじゃないわ、ククーシュカによ」
クロエは噛みつきそうな顔で、代わりに答えたアルジェントをふり返る。
「仕事は聖務だけではないのだ。クク、洗濯の途中だったな」
「はい、これから干すところです」
ククーシュカが木桶を持って来ると、アルジェントの顔色がさっと変わった。
「なっ……わたしの頸垂帯が!」
頸垂帯とは、典礼祭儀で神父が首からかける帯のことである。
リリウムの葬儀の際使った紫の布が、ところどころ色が抜け落ちていたのだ。
「お、お前何をした!」
「灰と苛性ソーダに浸けた後、ソープワート草の煮汁で洗」
「一度使っただけだ、そこまでしなくとも!」
「す、すみま──」
思わず身をすくめる。
森では、洗濯もククーシュカの仕事だった。
下働きで雇われていた家では、みな狩りや畑仕事で汚れた服を持ち込んで来る。
またすぐに汚れるのに、きれいになっていないとぶたれるので力を込め洗う。
扱うのは木綿や強い麻布ばかりで、繊細な布地などふれたこともなかった。
ククーシュカは殴られるかと目をつぶったが、神父はブツブツと文句をたれるだけだった。
「典礼用の高価な絹なんだぞ、いったいいくらすると……」
頭をかかえてまるまる僧服に、クロエが蔑みの視線を送る。
「いやーね、図体はでかいくせに小さい男」
「ククよ、友人は聖職者にふさわしい者を選べ」
真顔にもどったアルジェントの背後に不穏なゆらめきが見え、ククーシュカは話を逸らした。
「そ、それでクロエ、話とは」
「そうそう、祭りの相談に来たの。踊りには参加するでしょ?」
「踊り……」
「そこまでだ、これから来客がある。さっさと帰ってもらおう」
初日のククーシュカと同じ扱いで、アルジェントが教会の外にクロエを放る。
ドアの向こうであがった怒りの奇声に、ククーシュカはは胸中で謝るしかなかった。
とはいえ、アルジェントは自分の不知案内は気になるらしい。
「祭りとはなんだ」
確認のように訊いてくる。
「わたしも初めてなのですが、来月、秋の実りを祝う祝祭があるのです。露店が出たり後夜祭で踊ったりと、とてもにぎやかな催しなのだそうです。例の事件もひと段落ついたこともあって、みんなとても楽しみにしていて」
「お前はあまり気乗りしないようだったが」
「踊りは衣装に着替えます。ヴェールを取らなくてはならないので、その、耳が……」
エルフだとばれるのはやはり恐ろしい。
「参加したいのか?」
唐突に話をふられ、ククーシュカは戸惑った。
「いえ、わたしはヴェールが……」
「わたしが訊いているのは、参加したいのか・したくないのか、だ。どっちだ?」
問いつめられているようで緊張を強いられる。
「お、お祭りに興味はない、です……」
「ならばいい」
ぎこちなく視線を逸らすククーシュカを、アルジェントは不可解に見下ろした。
「どうもお前は何か欠落しているな」
そう言われても、これまで自分の意見を言う場がなかったので、ククーシュカはどうすればいいかわからなかった。
彼が来てから心が休まる日がない。
(わたしはただおだやかに暮らしたいだけなのに)
ククーシュカは、疲れたように肩で息をした。
来客とはクロエを追い出すための口実だとククーシュカは思っていたが、しばらくすると、本当に教会の扉を叩く者があった。
事件の際、司祭館に来た警吏である。
長めの髪をきっちりと一つに結い眼鏡をかけた、お固い風貌の青年だ。
イスマイルは、アルジェントに向かってびしりと敬礼を見せた。
今日は何用であろうか。
ククーシュカは席をはずすよう要され、あまりいい予感はしなかった。
「で──全部で何件になった」
ふたりになった身廊で、アルジェントは訊いた。
「近郊の村まであわせたら、被害者は八十人をゆうに超え、未だ増えています」
警吏は手際よく答えるが、やはり話題は剣呑だ。
「司教が亡くなった後も犠牲者が出ると言うことは、別にケーレスがいる可能性が高いな」
「ただ、遺体の状態は同じというわけではありません」
「どういうことだ?」
「これまでと違い、臓器は持ち帰られることがなくそのままです。殺害方法もまちまちで、突発的な通り魔殺人を思わせます」
「収集癖はないのか、調査が必要だな」
イスマイルは、ククーシュカが去ったドアにちらりと視線を移した。
「アルさま、彼女をこの事件に携わらせるのはいかがなものかと思われます」
「なんだ、あいつが怖い思いをしたから同情しているのか」
ニヤリと笑うアルジェントだったが、平板な声が返ってくる。
「逆です。ククーシュカは司教と極めて近しい存在でした。ほかの被害者と違いすぐには殺されず、なぜか数ヶ月生活をともにしています。彼女も襲われたとはいえ、もっと警戒すべきでは」
「だからこそだ。教会において監視している」
有無を言わせぬまなざしに、イスマイルは受諾の代わりにうなずいた。
「ですが、ククーシュカがいた森の件は加味する必要が」
「あの戦いで焼き払われた森、か……」
ふくみのある言葉の続きをイスマイルは待つが、アルジェントは軽く手を上げた。
「いや、あれはまた別の話だ。とにかく、今は徹底的に村人を洗え」
「かしこまりました。ですが、捜査は前途多難でしょうね」
イスマイルは、がらんとした長椅子の列を胡乱にふり返った。
「司教が殺人事件の犯人というのは本当か」
「ケーレスだと? 信じられん」
「というか、あんた誰だね」
リリウムが消え、突然降って湧いた怪しげな男を村人は不審なまなざしで見る。
それもあの恐ろしげな見た目では仕方ないとククーシュカは思うが、起きたことは自分もきちんと伝えなければならない。
「ト、トリアー神父のおっしゃっていることは真実です。わたしは、リリウムさまに殺されそうになったところを助けてもらったのです」
言葉を添えても、やはりみな顔を見あわせるばかりだ。
ククーシュカも、村に来てからの日にちは浅い。
リリウムが連れて来たこともあり、彼女の仲間だと思っているのかもしれない。
ただでさえ距離のあった村人たちとの溝が、いっそう深まったようだ。
「そう言われてもなあ」と渋る彼らの疑念を、明朗な声が断ち切った。
「ククーシュカの言うことなら信じるわ」
この地方に多い、栗色の髪を結い上げた快活そうな少女。
大人っぽく、ククーシュカよりいくつか年上に見える。
毛織り物加工のギルドで染色見習いをしている、クロエだ。
村へ来て、ククーシュが初めに友だちになったのが彼女だった。
もっとも、向こうからぐいぐいと親交を深めにやって来たのだが。
「ぼくも信じるよ!」
続いて人ごみから潔い挙手をしたのは、十歳になるヨルンド。
荘園主ヒュー・コンティの息子に言われては、周囲もそれ以上異論は唱えられない。
微妙な雰囲気の中、教会裏の墓地で埋葬は行われた。
損傷が激しいため、リリウムの亡骸は顔を残し鹿革にくるまれている。
眠っている姿は生前のままで、あの狂気に満ちた顔は想像できない。
どこからか、「あの神父が黒幕なのでは」などという囁きも聞こえて来た。
だがそんな誹りなど耳に入らないかのように、アルジェントは聖書を棒読みで朗読し、惰性の仕草で香を焚き聖水をふる。
なんとも事務的で、それがまた村人の反感を煽った。
やがて列席者が見守る中、オークの棺は湿った土に厳かに沈められた。
「ひまだな」
「そうですね」
日曜日は、これまで定例ミサが行われていたというのに、さっぱり教会を訪れる者はいなくなった。
「困ったものだ。聞き込みをしようにも、わたしが話しかけるとみな逃げてしまう。どうもこの村の者は排他的でいかん」
熊のように徘徊しながら愚痴るアルジェントに、ククーシュカはなんとも言えず苦笑する。
「ですが、もう事件は終わったのでは?」
「いちおうはな。しかし、遺体の数があわんのだ」
リリウムの地下室には、心臓が入ったガラス壜が隠されていたが、その『遺物』に対して、遺体が一体足りないのだという。
アルジェントと警吏が話しているのを聞き、ククーシュカはぞっとした。
「その件は口外するなよ。村人に話を訊かねばならんからな。しかしあの連中ときたらどうしたものか……ん?」
アルジェントが小窓から外をのぞき込んだとき、
「チャオ、ククーシュカ!」
ドアが勢いよく開き、カールした髪をなびかせ少女が飛び込んで来た。
「騒がしいぞ。ここは聖域だ、静粛にしてもらおう」
ククーシュカが出迎えてくれるかと思いきや渋面の神父ににらまれ、クロエは一瞬後退る。
「あ──あんた新しい神父?」
「いかにも。だが呼び捨ては感心せんな。ファーザーと呼びそこへすわれ。話がある」
「お説教はミサだけで勘弁してよね」
「ミサにも来んくせに貴様……」
絶対零度の凍る声。ククーシュカがあわててふたりの間に割って入る。
「クロエ、今日はどうしたのですか?」
「わたしも話があって来たの」
「あいにくそんなひまはないな」
「ひまそうにしてたじゃないの。それにあんたにじゃないわ、ククーシュカによ」
クロエは噛みつきそうな顔で、代わりに答えたアルジェントをふり返る。
「仕事は聖務だけではないのだ。クク、洗濯の途中だったな」
「はい、これから干すところです」
ククーシュカが木桶を持って来ると、アルジェントの顔色がさっと変わった。
「なっ……わたしの頸垂帯が!」
頸垂帯とは、典礼祭儀で神父が首からかける帯のことである。
リリウムの葬儀の際使った紫の布が、ところどころ色が抜け落ちていたのだ。
「お、お前何をした!」
「灰と苛性ソーダに浸けた後、ソープワート草の煮汁で洗」
「一度使っただけだ、そこまでしなくとも!」
「す、すみま──」
思わず身をすくめる。
森では、洗濯もククーシュカの仕事だった。
下働きで雇われていた家では、みな狩りや畑仕事で汚れた服を持ち込んで来る。
またすぐに汚れるのに、きれいになっていないとぶたれるので力を込め洗う。
扱うのは木綿や強い麻布ばかりで、繊細な布地などふれたこともなかった。
ククーシュカは殴られるかと目をつぶったが、神父はブツブツと文句をたれるだけだった。
「典礼用の高価な絹なんだぞ、いったいいくらすると……」
頭をかかえてまるまる僧服に、クロエが蔑みの視線を送る。
「いやーね、図体はでかいくせに小さい男」
「ククよ、友人は聖職者にふさわしい者を選べ」
真顔にもどったアルジェントの背後に不穏なゆらめきが見え、ククーシュカは話を逸らした。
「そ、それでクロエ、話とは」
「そうそう、祭りの相談に来たの。踊りには参加するでしょ?」
「踊り……」
「そこまでだ、これから来客がある。さっさと帰ってもらおう」
初日のククーシュカと同じ扱いで、アルジェントが教会の外にクロエを放る。
ドアの向こうであがった怒りの奇声に、ククーシュカはは胸中で謝るしかなかった。
とはいえ、アルジェントは自分の不知案内は気になるらしい。
「祭りとはなんだ」
確認のように訊いてくる。
「わたしも初めてなのですが、来月、秋の実りを祝う祝祭があるのです。露店が出たり後夜祭で踊ったりと、とてもにぎやかな催しなのだそうです。例の事件もひと段落ついたこともあって、みんなとても楽しみにしていて」
「お前はあまり気乗りしないようだったが」
「踊りは衣装に着替えます。ヴェールを取らなくてはならないので、その、耳が……」
エルフだとばれるのはやはり恐ろしい。
「参加したいのか?」
唐突に話をふられ、ククーシュカは戸惑った。
「いえ、わたしはヴェールが……」
「わたしが訊いているのは、参加したいのか・したくないのか、だ。どっちだ?」
問いつめられているようで緊張を強いられる。
「お、お祭りに興味はない、です……」
「ならばいい」
ぎこちなく視線を逸らすククーシュカを、アルジェントは不可解に見下ろした。
「どうもお前は何か欠落しているな」
そう言われても、これまで自分の意見を言う場がなかったので、ククーシュカはどうすればいいかわからなかった。
彼が来てから心が休まる日がない。
(わたしはただおだやかに暮らしたいだけなのに)
ククーシュカは、疲れたように肩で息をした。
来客とはクロエを追い出すための口実だとククーシュカは思っていたが、しばらくすると、本当に教会の扉を叩く者があった。
事件の際、司祭館に来た警吏である。
長めの髪をきっちりと一つに結い眼鏡をかけた、お固い風貌の青年だ。
イスマイルは、アルジェントに向かってびしりと敬礼を見せた。
今日は何用であろうか。
ククーシュカは席をはずすよう要され、あまりいい予感はしなかった。
「で──全部で何件になった」
ふたりになった身廊で、アルジェントは訊いた。
「近郊の村まであわせたら、被害者は八十人をゆうに超え、未だ増えています」
警吏は手際よく答えるが、やはり話題は剣呑だ。
「司教が亡くなった後も犠牲者が出ると言うことは、別にケーレスがいる可能性が高いな」
「ただ、遺体の状態は同じというわけではありません」
「どういうことだ?」
「これまでと違い、臓器は持ち帰られることがなくそのままです。殺害方法もまちまちで、突発的な通り魔殺人を思わせます」
「収集癖はないのか、調査が必要だな」
イスマイルは、ククーシュカが去ったドアにちらりと視線を移した。
「アルさま、彼女をこの事件に携わらせるのはいかがなものかと思われます」
「なんだ、あいつが怖い思いをしたから同情しているのか」
ニヤリと笑うアルジェントだったが、平板な声が返ってくる。
「逆です。ククーシュカは司教と極めて近しい存在でした。ほかの被害者と違いすぐには殺されず、なぜか数ヶ月生活をともにしています。彼女も襲われたとはいえ、もっと警戒すべきでは」
「だからこそだ。教会において監視している」
有無を言わせぬまなざしに、イスマイルは受諾の代わりにうなずいた。
「ですが、ククーシュカがいた森の件は加味する必要が」
「あの戦いで焼き払われた森、か……」
ふくみのある言葉の続きをイスマイルは待つが、アルジェントは軽く手を上げた。
「いや、あれはまた別の話だ。とにかく、今は徹底的に村人を洗え」
「かしこまりました。ですが、捜査は前途多難でしょうね」
イスマイルは、がらんとした長椅子の列を胡乱にふり返った。