修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
 ふたりは、いくつか用意した書写板を、役場や広場など村の至るところに配って回った。
 いろんな店舗が、まるく囲むように広場は作られている。
 入り口に着くと、アルジェントは低い声を辺り一帯に響きわたらせた。

「さあさあ迷える憐れでみじめな子羊どもよ、ここへ集え。汝らを魔から救えるのは教会だけだ」
 
 ナゾの上から目線に、村人たちは完全に引いている。
 相変わらず、みな遠まきからうさんくさげに見つめるだけだ。
 冷やかす子どもたちを、親たちがあわてて引っ込める。

「無礼なやつらだな」
(あなたもです……)
 
 ククーシュカはこめかみを押さえため息をつくが、
「クク、お前も笑顔でアピールするのだ。粗品を持って来ただろう」
 とアルジェントに促され、すっかり忘れていたかごの中の薬剤を手に取った。

『片頭痛持ちは多い。わたしもそのひとりだ』
 夕べアルジェントの意見を参考に一晩かけて仕込んだ、頭痛と肩こり用のモミとセージの湿布だ。
 効き目には自信がある。
 
 しかし、これまで何かを主張することなどなかったククーシュカにとっては、売り込みのほうが難しかった。
「(そら、笑え)」
 大きな手に背を押されても、緊張でうつむき顔が上げられない。

「フフ、いいお薬ありますよ……」
 ヴェールを目深にかぶったまま笑う修道女は、魔女のようでなかなか不気味だ。

「お前な……」
 より村人には距離をおかれ、アルジェントは半目でククーシュカをにらんだ。
 
 彼らは近よって来ないばかりか、じりじりと後退る始末で、事件の聞き込みをしようにも取りつくしまもない。
 
 ふたりのまわりだけ微妙に空間ができ、やがて潮が引くように群衆は帰って行く。
 終日まったく営業にならなかった。

「しょうがない、今日は終いだ、出直そう。わたしは捜査に行って来る」
 アルジェントは文句を言いつつ単身出かけて行ったが、ククーシュカは内心ほっとして帰路に向かった。

 湿布が売れなかったのは残念だったが、教会へ帰るとようやく人心地がついた。
 町の雑踏からこの静謐な空間にもどって来ると、落ち着いて呼吸ができる。
 
 ククーシュカは身廊のそうじに取りかかった。
 今のところ誰も来ないが、いつ信者がもどって来てもいいようにきれいにしておかなければならない。
 みつろうで作ったワックスで祭壇をふいていると、突然声をかけられククーシュカは飛び上がった。

(誰もいなかったはず?)
 
 めっきり教会を訪ねる者は減ったというのに、ひとりの小柄な老人が長椅子に腰かけている。
 これまで見たことのない村人だ。
 古ぼけた頭巾をかぶった老人は、じろじろとククーシュカを品定めするように見やった。

「祓魔師というのはお前さんか」
「いえ、わたしではありません。神父さまです」
「仕事を頼みたいんだがね」
 こんなに早く依頼が来るとは思っていなかったので、ククーシュカは驚いた。

「あの、神父さまは今ご不在で──」
 言い終えないうちに、ピン、と彼が何やら光り物を飛ばす。
 弧を描きククーシュカの手のひらに収まったそれは、輝く金貨であった。

「これでなんとかするのじゃ」
「こ、こんなにいただくわけには……!」
 アルジェントも昨日、サービスと言ったばかりである。
 もっとも、この場にいたなら理由をつけて受け取っていただろうが。

「おぬし、先日の女司教との戦い、なかなか見事であった」
「し、司教館にいらっしゃったのですか?」
 
 あの修羅場に第三者がいたとは驚きだが、老人はククーシュカの狼狽えぶりをひゃっひゃっと冷やかしながら話し始めた。

「場所は郊外の無人屋敷でな」
 彼が言うには、そこで夜な夜な怪現象が起きるらしい。
「誰もおらんのに物音がしたり、灯りが点いたりする。どんな方法でもよい、屋敷を浄化せい」

(怪現象……)
 できれば自分はやりたくない案件だ。
 ククーシュカは過度の怖がりだった。
 
 だが実際仕事をするのはアルジェントであるし、教会の営業になるのなら引き受けなければならない。

「わかりました。トリアー神父がもどられましたら相談を──あら?」
 ククーシュカが顔を上げると、彼の姿はもう消えていた。


「空き家か。自分の家でもないのに、羽ぶりのいいじいさんだな」
 ふたりは例の屋敷を訪ねてみた。
 
 話を聞いたアルジェントは、金貨を宙へ弾きながら終始ニヤニヤが止まらず、ククーシュカは空虚にため息をつく。

「それで、魔物とはなんだ? ケーレスか?」
「何が出るかはまだ……あ、ここです」
 
 ふたりが辿り着いた建物は、林近くの村で一番豪奢な家屋だった。
 だが管理が放ったらかしのようで汚れが目立ち、美しかったであろう庭園も草が蔓延り今は見る影もなかった。

「ケーレスが出そうな雰囲気であるな、気をつけろ」
「ですが依頼主の話を聞くに、ふつうの邪霊ではないかと……」
 ククーシュカの言うことは無視して、アルジェントは屋敷へずんずんと入って行く。
 
 中はほこりだらけで、家具が倒れ食器も壊れていた。
 床には窓ガラスの欠片が散らばり、踏むたびパキパキと音を立てる。
 
 その瞬間頭上を何かが過ぎ、アルジェントは抜剣しふり返った。
「なにやつ!」
 
 ──カァ。
 
 割れた窓から、カラスがのぞいている。
「…………」
 無言で剣を収めた背中に、続いて派手な物音。

「ケーレスか!」
 ククーシュカは、天井の梁を駆け抜ける黒い物体を見て言った。
「あれはハクビシンですね」
「それは魔獣か!」
「ジャコウネコの一種です。家屋に侵入して悪さをするんです」

「おのれケーレス……わたしに恐れをなしたようだな」
(トリアー神父は、ケーレスがいてほしいみたい)
 
 不満げなアルジェントに笑いをこらえて、ククーシュカは庭に出てみた。
 どのみちこのぶんでは、時間を持てあましそうだ。
 
 庭園は手入れされていなかったが、めずらしいハーブが群生していた。
 ククーシュカは初めから気になっていたのだ。
 
 おだやかな陽射しの中、何も禍々しい気配は感じない。
 かごいっぱいに草束が摘まれた頃、陽も暮れてきた。

「ふう、たくさん収穫でき……ひゃあっ!」
 突然、ククーシュカは草むらに腰を抜かしたようにすわり込んだ。
 悲鳴にアルジェントが飛んで来る。

「何事だ!」
「あれ、あれ……!」
 
 ククーシュカがふるふると指した先には、顔色の異様に白い人物が庭先に立っていた。
 顔のパーツはほぼ木の(うろ)のような窪みで成り立っており、生者でないのは一目瞭然だ。
 
 しかしアルジェントは、きょろきょろと辺りをせわしげに見回すだけである。

「どこだ、どこにいる!?」
 そこで、初めてククーシュカは気づいた。

(トリアー神父には視えない?)
 
 確かに、霊感はひとそれぞれである。しかし、
(このひと、自分のこと祓魔師と言ってたような……)

「そ、そこに邪霊が」
 対象から目を逸らし、ククーシュカは言った。
 目があえば呪われそうで直視できない。

「邪霊か。わたしは霊の(たぐい)は苦手だ」
 およそ怖いものなどないと思われるアルジェントが顔をしかめ、ククーシュカもぶんぶんと首をふる。

「わたしも霊は怖いです」
「いや怖くはないのだが、物理的に困る。どうやって戦えばいいのだ?」

「へ?」
 
 最悪のタイミングでの告白に、ククーシュカは絶句した。
 そろそろ帳も下りて来る時間だ。逢魔が刻は魔の力が増幅する。

(そんな!)

「しかし引き受けてしまった以上、そうも言っていられんな。クク、対ケーレス用魔除け液は持って来たか」
「はい。でもあの霊は、ヘンルーダも生えているハーブの中に立っていました。ケーレスではないと思われます」
「ううむ、では近接戦で探るしかないか」
 
 だが、アルジェントには敵が視えない。
 どうするのだろうと不安げに見つめるククーシュカに、無慈悲な命令が降された。

「お前、わたしの目になれ」
「えっ! い、いやです……」
 勇気を出して拒否するが、アルジェントの額にみるみる怒りの陰が落ちる。

「リリウム司教にはあまやかされたようだがな……わたしはそうはいかん」
 あまやかされるどころか殺されるところだったのだが、今事実を返しても受理されなさそうだ。
 
 ちらりと見ると邪霊の顔の造作ははっきりせず、妙にぼけた調子で目に映る。
 目や口は空洞のようにまっ黒で表情もわからず、ククーシュカにはそれがなおさら不気味に見えた。

「どこにいるかだけでいい。あとはわたしが討つ」
 アルジェントはすでに剣を抜き、斬る気満々だ。

「でも、実体がないので無駄かと……」
「我が聖剣の力が発動するかもしれん。やってみないとわからんだろ」
 ククーシュカには理解できない設定があるらしく、まったく聞く耳を持たない。

(うう、もうどうにでも──!)
 やけになり、ククーシュカは邪霊のいる方向へ指をさした。

「ぜ、前方右に三十度!」
「承知!」
「そのまま家の中へ移動!」
「了解だ!」
 
 しかし言われた先にふるう剣も、スカスカと通り越し手応えがない。
 試しに持参したヘンルーダの浸出液をふってみたものの、やはり無反応だ。

「まったく手応えがないぞ」
「ですからそう言って……」
 
 いったん攻撃の手を止め、額の汗をぬぐいながらアルジェントは憮然とつぶやいた。
「邪霊が何者かを知る必要があるな」
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