修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
第3章 廃屋の変事
ふたりが広場へもどり村人に聞いたところ、あの屋敷は村役場の管理だということがわかった。
早速村の中心にある役場へ向かい、事情を話して待つこと一時間。
ようやく順番がまわって来たと思ったら、
「本日はここまでです」
目の前で受付が終了してしまった。
「一刻を争うのだぞ。あの郊外の屋敷の来歴を教えろ!」
アルジェントはカウンターに乗り出して訴えたが、役人の返答はそっけないものだった。
「また明日お越しを」
「貴様、教皇庁の特使であるわたしの業務を阻むとは、猊下に背くも同然。相応の覚悟があるのだろうな」
正直今回の仕事は教皇庁の依頼というより教会の集客のためなのだが、ククーシュカはもうあえて後ろで黙っている。
だが脅しが効いたのか、そ知らぬ顔をしていた役人は、鼻白みながらもようやく答えた。
「──あれは、とある貴族の方の持ち家です」
「そんなことは外観を見ればわかる。誰が住んでいたかを訊いてるんだ」
「個人情報です。それ以上はお答えできませんな」
散々待たされたうえのこの対応。
そのうえ、相手は明らかに何か事情を知っているようだ。
「貴様……職務放棄か」
静かに切れたアルジェントが役人の胸ぐらをつかむと、突然浅黒い腕がそれを止めた。
「おいおい、乱暴な神父だな」
男はアルジェントと背丈も体躯も年齢も同じくらいで、一触即発の空気にククーシュカはあせった。
だが男はこぶしをふるうことはなく、アルジェントをあごでしゃくる。
「そんなに知りたきゃ教えてやろう、ついて来い」
「ちょ、ちょっと親方」
役人たちは困惑しているようだったが、親方と呼ばれた男はアルジェントたちを連れ、役場を出て行った。
「ここは……」
着いた先は、村はずれの小さな丘だった。
ククーシュカが、初めにリリウムと出会った場所である。
荊の茂みの一角に、平石がぽつんと積まれていた。
(これは……墓標?)
アルジェントも眉間をよせる。
「誰の墓だ? 村人はみな司祭館裏の墓地に──」
「自ら命を絶った者に、教会の霊廟は与えられない」
驚くアルジェントとククーシュカに、彼は話し始めた。
数年前のある年、聖都の遺外使節団が視察でレヴァンダ村を訪れることになった。
しかしこんな小さな村に賓客を招く施設はなく、司教区は大司教が滞在するための邸宅に、あの屋敷を売ってほしいと持ちかけてきた。
同じ屋敷が二棟建つほどの高額な値がついたというが、男はがんとして出て行こうとしなかった。
司教区はしつこく訪れ立ち退きを要請し、
「──ほどなくして、男は自殺した」
淡々と彼は述べた。
「出て行かせようと、悪質ないやがらせもあったらしい」
空き家となった屋敷で、怪異が起き始めたのはそれからである。
当然そんな家屋に大司教を寝泊りさせるわけにはいかず、屋敷は現在に至るという。
「そんな高値をつけるのであれば、いっそ新たに邸宅を建てればよかったのではないか」
アルジェントは呆れて腕を組んだ。
「場所の問題もある。喧騒を離れたあの屋敷が一番適していた」
「結局大司教はどこに泊めたのだ」
「コンティ伯の別宅だ。荘園内にもう一つ家屋があったらしい」
「役所は関わりたくなさそうであったな」
不機嫌なアルジェントに親方は苦笑する。
「戦後のどさくさにまぎれて、家主に血縁者がいないのをいいことに私有化したのだ。だが、こんな事態になり手をこまねいているのだろう」
「しかしその男、自決などしたら屋敷を明けわたすこととなるのは明白ではないか。本当に他殺ではないのか」
故人の行動に、アルジェントは矛盾を感じた。
「自分で自分の首を絞めていたと聞く。怪死ではあるが、それ以外ありえん」
「その男が出て行かなかったのには、理由があるのか?」
「彼は年若い奥方に出て行かれ孤独だった。この場所が心の砦だったのだろう」
それでも腑に落ちない様子のアルジェントに、男は首にかけていた革ひもを引っぱり出して見せる。
コイン形の銅牌のペンダントには、大工ギルドの証明である守護聖人が彫ってあった。
「実はあの屋敷を建てたのは、おれの亡くなった祖父でな。できるならおれからも頼みたい」
「そういうことであれば、了解した。その貴族の男、祓って天にもどしてやろう」
「あのー……」
大男ふたりの間に入り、そろそろとククーシュカが挙手する。
「あの邪霊、女性ですが……」
三人は再び屋敷へもどって来た。
「どういうことだ? ここで騒いでいるのは、自殺した家主の男ではないのか?」
「少なくとも、わたしが視ている霊は女性です」
ククーシュカは、すそが汚れたモスリンのドレスの女を怖々と目で追った。
訝るアルジェントだが、親方は別の見解があるようだ。
「屋敷の守護霊かもしれんぞ。彼らはかまどのそばに顕れると聞く」
「でも、台所のほうでは視ていません」
それに、あの不気味な姿はとても家を護る霊とは思えない。
ククーシュカの報告に男はふむと考えると、調べることがあると言い、また出て行った。
「──さて、そうなると話は違ってくるな。クク、その女の霊と話はできないか」
「無理です」
即答する。できたとしても絶対に受けたくはない。
「一ォつ、上司の命令にノーはない!」
無茶ぶりを投げてくるアルジェントから回れ右をしたが、むんずと修道服の首をつかまれ、じたばたとククーシュカは暴れる。
「ほ、本当に無理なんです!」
森では一日中こき使われ激務だったとはいえ、労働は能力的に可能な範囲だった。
やり取りすら非効率的だと思っているのか、エルフたちはできないスキルを強要してくることはなかった。
なのになぜ、この男は無理難題をおしつけてくるのか。
「邪霊と話したことなんかありません!」
「己の成長と後学のためだ、やれ」
今後それが何の役に立つのだろうと疑問を持つひまもないまま、ぐいぐいと前線へ追いやられる。
相手はおかしな速度で近づいて来た。
瞬きした一瞬で近づいて来たり、そうかと思えばかたつむりのような歩みだったり。
気味が悪くて仕方がない。
気がつけば目の前に出現していて、ククーシュカは思わず悲鳴をあげしゃがんだ。
「おい、ちゃんと交渉しろ」
アルジェントに腕を引かれ顔を上げれば、彼の肩越しに細い女性の腕が巻きつき、白い顔がのぞき込んでいる。
「ひいぃ!」
再び絶叫すると、ククーシュカはその場からダッシュで逃げた。
「貴様、任務を放り出すのか。聖職者なら死者のひとりやふたり、ロザリオの珠のように弄んでみろ!」
「そんな罰当たりな!」
「仕事を選り好みするな!」
「怖いんです、あの邪霊が!」
ククーシュカは走りながら全力で叫ぶ。追いかけて来るアルジェントは邪霊を背負ったままだ。
「エルフも霊も同じ人外、仲間みたいなもんだろうが!」
「いっしょにしないでください!」
今までも霊を視ることはあったが、さほど害はなくさけていればすむ話だった。
しかし今回の対象には、どす黒い怨念を感じる。
「関わりあいになるのは──」
「あまえるんじゃない! 真の敵は己と知れ!」
追いついて来た怒声に、ククーシュカはひっと飛び上がる。
鬼のような形相でにらむアルジェントのほうが、霊より数倍怖かった。
彼はゼェゼェと息を切らし険しい顔のまま、修道服の首根っこをまたつかむ。
ククーシュカは今度こそ殴られると思ったが、アルジェントは細く息をついただけだった。
「恐れるな。お前が命の危機に晒されたときは、わたしが必ず助ける」
(視えないのに? 剣も効かないのに?)
その自信はどこから来るのか。
「だからわたしを信じろ」
アルジェントはククーシュカを下ろし、まっ向から見すえる。
蒼く冷たい目がそのときだけは温度を持ったようで、ククーシュカは自然にうなずいていた。
早速村の中心にある役場へ向かい、事情を話して待つこと一時間。
ようやく順番がまわって来たと思ったら、
「本日はここまでです」
目の前で受付が終了してしまった。
「一刻を争うのだぞ。あの郊外の屋敷の来歴を教えろ!」
アルジェントはカウンターに乗り出して訴えたが、役人の返答はそっけないものだった。
「また明日お越しを」
「貴様、教皇庁の特使であるわたしの業務を阻むとは、猊下に背くも同然。相応の覚悟があるのだろうな」
正直今回の仕事は教皇庁の依頼というより教会の集客のためなのだが、ククーシュカはもうあえて後ろで黙っている。
だが脅しが効いたのか、そ知らぬ顔をしていた役人は、鼻白みながらもようやく答えた。
「──あれは、とある貴族の方の持ち家です」
「そんなことは外観を見ればわかる。誰が住んでいたかを訊いてるんだ」
「個人情報です。それ以上はお答えできませんな」
散々待たされたうえのこの対応。
そのうえ、相手は明らかに何か事情を知っているようだ。
「貴様……職務放棄か」
静かに切れたアルジェントが役人の胸ぐらをつかむと、突然浅黒い腕がそれを止めた。
「おいおい、乱暴な神父だな」
男はアルジェントと背丈も体躯も年齢も同じくらいで、一触即発の空気にククーシュカはあせった。
だが男はこぶしをふるうことはなく、アルジェントをあごでしゃくる。
「そんなに知りたきゃ教えてやろう、ついて来い」
「ちょ、ちょっと親方」
役人たちは困惑しているようだったが、親方と呼ばれた男はアルジェントたちを連れ、役場を出て行った。
「ここは……」
着いた先は、村はずれの小さな丘だった。
ククーシュカが、初めにリリウムと出会った場所である。
荊の茂みの一角に、平石がぽつんと積まれていた。
(これは……墓標?)
アルジェントも眉間をよせる。
「誰の墓だ? 村人はみな司祭館裏の墓地に──」
「自ら命を絶った者に、教会の霊廟は与えられない」
驚くアルジェントとククーシュカに、彼は話し始めた。
数年前のある年、聖都の遺外使節団が視察でレヴァンダ村を訪れることになった。
しかしこんな小さな村に賓客を招く施設はなく、司教区は大司教が滞在するための邸宅に、あの屋敷を売ってほしいと持ちかけてきた。
同じ屋敷が二棟建つほどの高額な値がついたというが、男はがんとして出て行こうとしなかった。
司教区はしつこく訪れ立ち退きを要請し、
「──ほどなくして、男は自殺した」
淡々と彼は述べた。
「出て行かせようと、悪質ないやがらせもあったらしい」
空き家となった屋敷で、怪異が起き始めたのはそれからである。
当然そんな家屋に大司教を寝泊りさせるわけにはいかず、屋敷は現在に至るという。
「そんな高値をつけるのであれば、いっそ新たに邸宅を建てればよかったのではないか」
アルジェントは呆れて腕を組んだ。
「場所の問題もある。喧騒を離れたあの屋敷が一番適していた」
「結局大司教はどこに泊めたのだ」
「コンティ伯の別宅だ。荘園内にもう一つ家屋があったらしい」
「役所は関わりたくなさそうであったな」
不機嫌なアルジェントに親方は苦笑する。
「戦後のどさくさにまぎれて、家主に血縁者がいないのをいいことに私有化したのだ。だが、こんな事態になり手をこまねいているのだろう」
「しかしその男、自決などしたら屋敷を明けわたすこととなるのは明白ではないか。本当に他殺ではないのか」
故人の行動に、アルジェントは矛盾を感じた。
「自分で自分の首を絞めていたと聞く。怪死ではあるが、それ以外ありえん」
「その男が出て行かなかったのには、理由があるのか?」
「彼は年若い奥方に出て行かれ孤独だった。この場所が心の砦だったのだろう」
それでも腑に落ちない様子のアルジェントに、男は首にかけていた革ひもを引っぱり出して見せる。
コイン形の銅牌のペンダントには、大工ギルドの証明である守護聖人が彫ってあった。
「実はあの屋敷を建てたのは、おれの亡くなった祖父でな。できるならおれからも頼みたい」
「そういうことであれば、了解した。その貴族の男、祓って天にもどしてやろう」
「あのー……」
大男ふたりの間に入り、そろそろとククーシュカが挙手する。
「あの邪霊、女性ですが……」
三人は再び屋敷へもどって来た。
「どういうことだ? ここで騒いでいるのは、自殺した家主の男ではないのか?」
「少なくとも、わたしが視ている霊は女性です」
ククーシュカは、すそが汚れたモスリンのドレスの女を怖々と目で追った。
訝るアルジェントだが、親方は別の見解があるようだ。
「屋敷の守護霊かもしれんぞ。彼らはかまどのそばに顕れると聞く」
「でも、台所のほうでは視ていません」
それに、あの不気味な姿はとても家を護る霊とは思えない。
ククーシュカの報告に男はふむと考えると、調べることがあると言い、また出て行った。
「──さて、そうなると話は違ってくるな。クク、その女の霊と話はできないか」
「無理です」
即答する。できたとしても絶対に受けたくはない。
「一ォつ、上司の命令にノーはない!」
無茶ぶりを投げてくるアルジェントから回れ右をしたが、むんずと修道服の首をつかまれ、じたばたとククーシュカは暴れる。
「ほ、本当に無理なんです!」
森では一日中こき使われ激務だったとはいえ、労働は能力的に可能な範囲だった。
やり取りすら非効率的だと思っているのか、エルフたちはできないスキルを強要してくることはなかった。
なのになぜ、この男は無理難題をおしつけてくるのか。
「邪霊と話したことなんかありません!」
「己の成長と後学のためだ、やれ」
今後それが何の役に立つのだろうと疑問を持つひまもないまま、ぐいぐいと前線へ追いやられる。
相手はおかしな速度で近づいて来た。
瞬きした一瞬で近づいて来たり、そうかと思えばかたつむりのような歩みだったり。
気味が悪くて仕方がない。
気がつけば目の前に出現していて、ククーシュカは思わず悲鳴をあげしゃがんだ。
「おい、ちゃんと交渉しろ」
アルジェントに腕を引かれ顔を上げれば、彼の肩越しに細い女性の腕が巻きつき、白い顔がのぞき込んでいる。
「ひいぃ!」
再び絶叫すると、ククーシュカはその場からダッシュで逃げた。
「貴様、任務を放り出すのか。聖職者なら死者のひとりやふたり、ロザリオの珠のように弄んでみろ!」
「そんな罰当たりな!」
「仕事を選り好みするな!」
「怖いんです、あの邪霊が!」
ククーシュカは走りながら全力で叫ぶ。追いかけて来るアルジェントは邪霊を背負ったままだ。
「エルフも霊も同じ人外、仲間みたいなもんだろうが!」
「いっしょにしないでください!」
今までも霊を視ることはあったが、さほど害はなくさけていればすむ話だった。
しかし今回の対象には、どす黒い怨念を感じる。
「関わりあいになるのは──」
「あまえるんじゃない! 真の敵は己と知れ!」
追いついて来た怒声に、ククーシュカはひっと飛び上がる。
鬼のような形相でにらむアルジェントのほうが、霊より数倍怖かった。
彼はゼェゼェと息を切らし険しい顔のまま、修道服の首根っこをまたつかむ。
ククーシュカは今度こそ殴られると思ったが、アルジェントは細く息をついただけだった。
「恐れるな。お前が命の危機に晒されたときは、わたしが必ず助ける」
(視えないのに? 剣も効かないのに?)
その自信はどこから来るのか。
「だからわたしを信じろ」
アルジェントはククーシュカを下ろし、まっ向から見すえる。
蒼く冷たい目がそのときだけは温度を持ったようで、ククーシュカは自然にうなずいていた。