修道女のお菓子 〜シスターエルフのレシピと事件簿
離れた場所から屋敷を監視していたククーシュカは、女性の霊がまた室内に入って行くのを視た。
そっとついて行くと、やはり台所のかまどは素通りして行く。
残っているのは思念だけのようで、ククーシュカが思い切って声をかけても意思の疎通はできなかった。
「しかも、動きが速くいろんな場所で消えます……」
怖いので、アルジェントの後ろに隠れ目線だけで追う。
「いろんな場所とは?」
「ダイニングの壁、裏庭の窓、個室のドアなどです」
「よし、パターンを書き出してみよう」
アルジェントは屋敷の間取りを地面に表記し、消えた場所に印をつける。
すると、一つの模式図が浮かび上がった。
「すべてここにつながっているな」
その部屋は、大きなワードローブやトルソー、本棚などがおかれた、いわば物置のような個室だった。
ふたりが足を踏み入れると、絨毯にたまったカビくさいごみが舞い上がる。
だがすみずみを探してみても、ククーシュカにはこれといって手がかりとなるようなものは見当たらなかった。
「ここは関係ないのではないでしょうか」
「そうとは限らんぞ」
アルジェントは、小物入れの装飾に積もったほこりをふっとふくと、蓋を取って見せた。
中には、色とりどりの宝石類が煌びやかに輝いている。
「何か気づくことはないか」
「きれいです」
「そうではない」
真面目に答えるククーシュカに呆れて嘆息するが、すぐに確かめるように床を踏みしめる。
すると、鈍く軋む箇所があり、アルジェントはニヤリと笑った。
「そは隠れたるものの顕れぬはなく、秘めたるものの知らぬはなく──」
「どういう意味ですか?」
「秘密を隠そうとすれば、かえってひとの目につくという福音だ。まったく女司教といい、咎人の考えることは同じだな」
めくられた絨毯の下に、小窓ほどの床蓋が姿を現す。
アルジェントが取っ手を引き、ろうそくの灯が地下室の衣装櫃を浮かび上がらせたとき、ククーシュカは思わず息を呑んだ。
そこに何が入っているのかわかったからだ。
「宝石は奥さまのもの。出て行ったのなら、いっしょに持って行ったはず……!」
「その通りだ」
変質して黒ずんだ衣装櫃の中には、ククーシュカの予想通り、汚れたモスリンを纏った人骨が、窮屈そうにくの字に曲げられ収納されていた。
怖くなかったと言えば嘘になる。だが今だけは、悲しさで恐れが麻痺していた。
「見つけて、ほしかったんですね……」
あの邪霊は、出て行ったという妻だったのだ。
なぜ彼女がこんな目に遭ったのかはわからないが、ただ一つ言えるのは、殺害には主人が関わっているということだ。
「主人が司教区に屋敷を売らなかったのも、地下の衣装櫃が発覚するのを恐れてのことだろう。殺人罪は絞首刑だ」
絞首刑──確か、男は自分で自分の首を絞めていたと親方は言っていなかったか。
(彼女がやったんだ……彼女は、夫に同じ方法で仕返ししたんだ)
ククーシュカの背筋を冷たいものが走った。
「よし、ここで弔ってやれば彼女も気がすむであろう」
アルジェントはロザリオを翳し、例の如くあまり心のこもっていない調子で聖書を読み上げた。
そんな彼のとなりで、代わりにククーシュカだけは目を閉じ指を組み、いっしょうけんめい祈る。
(どうぞ安らかにお眠りくださいお眠りください)
しかし、
「それで、邪霊はどうした」
「それが……まだここに」
衣装櫃の後ろに佇む白い影を、ククーシュカは極力見ないように顔を背けた。
「なぜだ? 遺体は見つかったのになぜ逝かない?」
アルジェントは納得がいかず歩き回るが、ククーシュカには恐怖がもどり、早くも階段に足をかけている。
「と、とにかく、地下室から出ていいですか?」
「──地下?」
アルジェントが思い当たったようにふところから、例の黄ばんだ書物を出す。
ぺらぺらとめくり、思い当たったように手を打った。
「そうか! この女、ただの邪霊ではない。『ダンター』だ!」
「ダンター?」
「亡霊種の妖精だ。昔は城の礎として人が生贄にされることもあってな、そうして地下に埋められた者はダンターになったという。彼らはその土地や家屋に強い執着を抱くのだ」
大きく分ければエルフも妖精種に入るので、アルジェントの言う通り「仲間みたいなもん」なのだが、ひとくくりにされるのも複雑で早くこの状況をなんとかしたい。
「その妖精はどうしたら──」
「彼女はここに縛られている。よって、その呪縛を解いてやればいい」
どうやって解くのか、考えただけでククーシュカは不安になった。
なにしろこの神父には霊感がない。
思えば、リリウムを埋葬したときも事務的で適当だったように思う。
しかし今回アルジェントは一度教会へもどり、入念に道具を用意して来た。
硫黄と硝石、木炭を混ぜた桶を、屋敷の中央の部屋におく。
何やらきなくさい材料に、ククーシュカは眉をひそめた。
ふたりがかりで衣装櫃を部屋から運び出すと、彼女は目に見えて憤慨した。怨嗟のオーラを煙のように噴き上げている。
「も、ものすごく怒っています!」
「どうせふつうは視えないんだ、放っておけ」
アルジェントは気にせず、桶から三種の粉末を混ぜたものを、点々と一本の線にして敷地の外までまいている。
仕上げに火打ち石。
粉の道を伝い、しゅるしゅると屋敷へ入って行く小さな炎を目で追いながら、ククーシュカはいやな予感が込み上げてきた。
「あのー……何をする気です?」
「退魔の儀式だ」
「でも、あのおじいさんは浄化してくれと……」
「もちろん浄化する、家屋ごとな──ふせろ!」
アルジェントがククーシュカの上におおいかぶさった瞬間、耳をつんざくような爆音とともに屋敷は崩壊した。
「なっ……!」
ぱらぱらと降って来る木っ端の中、ククーシュカは血が引いた顔で建物があった場所を見上げた。
「何をやってるんですか、トリアー神父!」
「これでもう囚われていた場所はない」
(な、なんて乱暴な……)
「親方の祖父殿が建てられた大事な屋敷ですよ、壊すなんて!」
「家などただの棲む場所だ、こだわるな。それこそダンターと同じだ。それより、やつはどうした」
ククーシュカはちらりと目線を衣装箱に移した。
女性は家が建っていた場所にまだ浮遊している。
かなりのスピードで右往左往しているところを見ると、混乱しているようだ。
「お前が斬れ」
唐突に指示が降った。
「えっ!?」
「視えないわたしには、おそらく斬る力がない」
そう言われても、もちろんやりたくない。
それに、理由を知ってしまえばかわいそうだった。
そんな気持ちを見透かすようにアルジェントがククーシュカに剣をわたす。
「畏れも同情も、あれをここに引き留める原因になる。死者は、尊ぶものでも憐れむものでもない。ただ、送るだけだ。我々は神ではないからな。だが、お前だけがダンターの執着を断てる」
お前だけが──
それは啓示のようにククーシュカに降ってきた。
「ちゃんと技名を言うのだぞ、月下聖剣、ソードオブルーナだ」
「それはちょっと……」
さりげなく拒みつつ受け取った刃は、ずっしりと責任を帯びて重い。
いつもこんな思いで、アルジェントは剣を持っているのだろうか。
何が彼女の望みかはわからないし、それを自分が決めるのはおこがましい。
救えるかどうかもわからない。
だが少なくとも、殺された場所にいつまでも縛られるのは悲しいと思った。
どこを断てばいいかは不思議とわかった。
ククーシュカは思いきり剣を後方にふりかぶると、近づいて来たダンターの足もとを力いっぱい薙いだ。
(どうぞ天へお還り──ください!)
霧をひとすじの風が割るように邪霊がゆがむ。
やがて本物の風がふきその姿をさらったかと思うと、彼女はそのまま消滅した。
恐る恐るふり返ると、アルジェントが満足げに腕を組み笑っていた。
「──よくやった、依頼完了だ」
そっとついて行くと、やはり台所のかまどは素通りして行く。
残っているのは思念だけのようで、ククーシュカが思い切って声をかけても意思の疎通はできなかった。
「しかも、動きが速くいろんな場所で消えます……」
怖いので、アルジェントの後ろに隠れ目線だけで追う。
「いろんな場所とは?」
「ダイニングの壁、裏庭の窓、個室のドアなどです」
「よし、パターンを書き出してみよう」
アルジェントは屋敷の間取りを地面に表記し、消えた場所に印をつける。
すると、一つの模式図が浮かび上がった。
「すべてここにつながっているな」
その部屋は、大きなワードローブやトルソー、本棚などがおかれた、いわば物置のような個室だった。
ふたりが足を踏み入れると、絨毯にたまったカビくさいごみが舞い上がる。
だがすみずみを探してみても、ククーシュカにはこれといって手がかりとなるようなものは見当たらなかった。
「ここは関係ないのではないでしょうか」
「そうとは限らんぞ」
アルジェントは、小物入れの装飾に積もったほこりをふっとふくと、蓋を取って見せた。
中には、色とりどりの宝石類が煌びやかに輝いている。
「何か気づくことはないか」
「きれいです」
「そうではない」
真面目に答えるククーシュカに呆れて嘆息するが、すぐに確かめるように床を踏みしめる。
すると、鈍く軋む箇所があり、アルジェントはニヤリと笑った。
「そは隠れたるものの顕れぬはなく、秘めたるものの知らぬはなく──」
「どういう意味ですか?」
「秘密を隠そうとすれば、かえってひとの目につくという福音だ。まったく女司教といい、咎人の考えることは同じだな」
めくられた絨毯の下に、小窓ほどの床蓋が姿を現す。
アルジェントが取っ手を引き、ろうそくの灯が地下室の衣装櫃を浮かび上がらせたとき、ククーシュカは思わず息を呑んだ。
そこに何が入っているのかわかったからだ。
「宝石は奥さまのもの。出て行ったのなら、いっしょに持って行ったはず……!」
「その通りだ」
変質して黒ずんだ衣装櫃の中には、ククーシュカの予想通り、汚れたモスリンを纏った人骨が、窮屈そうにくの字に曲げられ収納されていた。
怖くなかったと言えば嘘になる。だが今だけは、悲しさで恐れが麻痺していた。
「見つけて、ほしかったんですね……」
あの邪霊は、出て行ったという妻だったのだ。
なぜ彼女がこんな目に遭ったのかはわからないが、ただ一つ言えるのは、殺害には主人が関わっているということだ。
「主人が司教区に屋敷を売らなかったのも、地下の衣装櫃が発覚するのを恐れてのことだろう。殺人罪は絞首刑だ」
絞首刑──確か、男は自分で自分の首を絞めていたと親方は言っていなかったか。
(彼女がやったんだ……彼女は、夫に同じ方法で仕返ししたんだ)
ククーシュカの背筋を冷たいものが走った。
「よし、ここで弔ってやれば彼女も気がすむであろう」
アルジェントはロザリオを翳し、例の如くあまり心のこもっていない調子で聖書を読み上げた。
そんな彼のとなりで、代わりにククーシュカだけは目を閉じ指を組み、いっしょうけんめい祈る。
(どうぞ安らかにお眠りくださいお眠りください)
しかし、
「それで、邪霊はどうした」
「それが……まだここに」
衣装櫃の後ろに佇む白い影を、ククーシュカは極力見ないように顔を背けた。
「なぜだ? 遺体は見つかったのになぜ逝かない?」
アルジェントは納得がいかず歩き回るが、ククーシュカには恐怖がもどり、早くも階段に足をかけている。
「と、とにかく、地下室から出ていいですか?」
「──地下?」
アルジェントが思い当たったようにふところから、例の黄ばんだ書物を出す。
ぺらぺらとめくり、思い当たったように手を打った。
「そうか! この女、ただの邪霊ではない。『ダンター』だ!」
「ダンター?」
「亡霊種の妖精だ。昔は城の礎として人が生贄にされることもあってな、そうして地下に埋められた者はダンターになったという。彼らはその土地や家屋に強い執着を抱くのだ」
大きく分ければエルフも妖精種に入るので、アルジェントの言う通り「仲間みたいなもん」なのだが、ひとくくりにされるのも複雑で早くこの状況をなんとかしたい。
「その妖精はどうしたら──」
「彼女はここに縛られている。よって、その呪縛を解いてやればいい」
どうやって解くのか、考えただけでククーシュカは不安になった。
なにしろこの神父には霊感がない。
思えば、リリウムを埋葬したときも事務的で適当だったように思う。
しかし今回アルジェントは一度教会へもどり、入念に道具を用意して来た。
硫黄と硝石、木炭を混ぜた桶を、屋敷の中央の部屋におく。
何やらきなくさい材料に、ククーシュカは眉をひそめた。
ふたりがかりで衣装櫃を部屋から運び出すと、彼女は目に見えて憤慨した。怨嗟のオーラを煙のように噴き上げている。
「も、ものすごく怒っています!」
「どうせふつうは視えないんだ、放っておけ」
アルジェントは気にせず、桶から三種の粉末を混ぜたものを、点々と一本の線にして敷地の外までまいている。
仕上げに火打ち石。
粉の道を伝い、しゅるしゅると屋敷へ入って行く小さな炎を目で追いながら、ククーシュカはいやな予感が込み上げてきた。
「あのー……何をする気です?」
「退魔の儀式だ」
「でも、あのおじいさんは浄化してくれと……」
「もちろん浄化する、家屋ごとな──ふせろ!」
アルジェントがククーシュカの上におおいかぶさった瞬間、耳をつんざくような爆音とともに屋敷は崩壊した。
「なっ……!」
ぱらぱらと降って来る木っ端の中、ククーシュカは血が引いた顔で建物があった場所を見上げた。
「何をやってるんですか、トリアー神父!」
「これでもう囚われていた場所はない」
(な、なんて乱暴な……)
「親方の祖父殿が建てられた大事な屋敷ですよ、壊すなんて!」
「家などただの棲む場所だ、こだわるな。それこそダンターと同じだ。それより、やつはどうした」
ククーシュカはちらりと目線を衣装箱に移した。
女性は家が建っていた場所にまだ浮遊している。
かなりのスピードで右往左往しているところを見ると、混乱しているようだ。
「お前が斬れ」
唐突に指示が降った。
「えっ!?」
「視えないわたしには、おそらく斬る力がない」
そう言われても、もちろんやりたくない。
それに、理由を知ってしまえばかわいそうだった。
そんな気持ちを見透かすようにアルジェントがククーシュカに剣をわたす。
「畏れも同情も、あれをここに引き留める原因になる。死者は、尊ぶものでも憐れむものでもない。ただ、送るだけだ。我々は神ではないからな。だが、お前だけがダンターの執着を断てる」
お前だけが──
それは啓示のようにククーシュカに降ってきた。
「ちゃんと技名を言うのだぞ、月下聖剣、ソードオブルーナだ」
「それはちょっと……」
さりげなく拒みつつ受け取った刃は、ずっしりと責任を帯びて重い。
いつもこんな思いで、アルジェントは剣を持っているのだろうか。
何が彼女の望みかはわからないし、それを自分が決めるのはおこがましい。
救えるかどうかもわからない。
だが少なくとも、殺された場所にいつまでも縛られるのは悲しいと思った。
どこを断てばいいかは不思議とわかった。
ククーシュカは思いきり剣を後方にふりかぶると、近づいて来たダンターの足もとを力いっぱい薙いだ。
(どうぞ天へお還り──ください!)
霧をひとすじの風が割るように邪霊がゆがむ。
やがて本物の風がふきその姿をさらったかと思うと、彼女はそのまま消滅した。
恐る恐るふり返ると、アルジェントが満足げに腕を組み笑っていた。
「──よくやった、依頼完了だ」