大丈夫、浮気じゃないから。
「とりあえず、残り時間も楽しみます?」


 手袋をはめなおした松隆が、エスコートでもするように手を差し出す。その手が、綻びを広げる。


「……いや、模擬店に戻ろう。コスプレも、チケット売りのためにやってるわけだし、こんなところで油売ってちゃ怒られる」

「そうですか。残念です」


 残念そうに聞こえさせようとしているかのような、残念ではなさそうな声音が、私を惑わせる。

 躊躇(ためら)いなく引っ込んだ手は、ポケットの中へ。まるで、その真意まで隠してしまうかのように。


「……松隆」


 いつも通りに名前を呼んだつもりだったのに、いざ耳に届いた自分の声に躊躇いを感じた。


「なんですか?」


 その微笑にはそれが隠れているのか、いないのか。


「……松隆は、私と紘が別れるといいなんて思ってないんだよね?」

「ええ」


 その微笑の裏に本音を隠し、嘘を吐いているのだろうか。

 そんなはずがない。松隆は、そんな嘘は吐かない、はず。


「……松隆は」


 私のことを好きなんて、言わないよね? ──そう言質(げんち)をとることができたなら、どれだけよかっただろう。

 そんな卑怯なことができるわけがないし、そんなことを考えることさえ卑怯だった。別れるといいなんて、と聞くだけでも十分に卑怯なのに。


「心配しなくても、僕は大宮先輩から生葉先輩を奪おうなんて考えてませんよ?」


 それなのに、口に出せなかった懸念を、穏やかな微笑が塗り潰す。


「……そう、だよね」


 安堵(あんど)なんかしない、なにも()に落ちない。それどころか、つい数秒前に期待していたとおりの言質をとることができたはずなのに……、その言質をとることの意味が見いだせなかった。


「松隆は、そんな子じゃないよね」


 それでも、そう聞かずにはいられない。まるでその言葉を免罪符にするように。


「ええ。甘く見てもらっちゃ困りますよ」


 分かってる。松隆がそんな子じゃないって分かってる。分かってる、けど。

 一度可能性に気付いてしまったら、それがゼロだと確信できるまで、思考は止まらない。





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