大丈夫、浮気じゃないから。
「それは先輩がイケメンだから言えるんですよ!」

「お前、いまの彼女って告白したんだっけ」

「したよ、俺から。『ずっと前から特別だった』って」

「あー、かゆいかゆい。お前は本当に告白ひとつとっても気色悪い」


 喜多山先輩は腕をひっかくふりをする。その背後から、グラスを片手に持った先輩達が「なに、なんの話?」「いや、烏間が本当に気色悪くて」「聞いといて失礼だろ」と合流する。同時に、みどりが隣のテーブルから「ねー、みどりちゃーん、あたしの話も聞いてよおー」と雑に絡まれ始める。

 ちょうどよく、テーブルの会話が途切れた。今のうちにトイレに立っておくか、と立ち上がる。

 その瞬間の、出来事だった。私が席を立とうとテーブルに手をつき、何の気なしに前方に視線を向けてしまった瞬間の出来事。そして、その出来事のはじまりからおわりまでも、ほんの一瞬だった。それなのに、まるで狙いすましたかのように、その光景は視界に飛び込んできた。

 愕然として、立ち尽くしてしまった。なぜ、このタイミングだったのだろう。私が立ったのは、偶然に話が途切れて、トイレに行こうとしたからだったのに。もしその光景に意図があるのだとしても、私が見る瞬間を狙うことなんてできないはずなのに。

 いや、タイミングなんて、それ自体はどうでもいい。今あの瞬間を目撃しなかったとしても、どうせいつか知ってしまっただろう。

 ただ……、振り回されきった私達の終焉(しゅうえん)が、そんな偶然で決まってしまうものなのかと、そんな失望に似たショックを受けてしまった。

 立ち上がってしまったものは仕方がなく、逃げるように座敷の外へ歩いた。(ふすま)を開けて廊下に出て、ふらふらと足を進め……、私達が2階の座敷を貸し切っていたこと、つまりここには他の客がやってこないことをいいことに、エレベーター横の壁を背に立ち尽くす。

 一体、どこまで──。

 パンッと、襖が開く音がした。廊下に座敷の喧噪が(あふ)れてくる。振り向けば、暗い廊下が、座敷の明かりで少し照らされていた。

 ピシャリと、襖が閉まった音がした。座敷の喧噪との間には薄い壁ができる。廊下は再び暗くなっていた。


「……なにしてるんです、先輩」


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