大丈夫、浮気じゃないから。
 家に帰って、シャワーを浴びた。ダムが決壊したように、シャワーに打たれながら泣いた。でも、シャワーで全身が温まる前に、涙は止まっていた。きっと、私が泣いていたのはものの数分間。それが誤魔化しようもない事実だった。

 その事実を頭の片隅で捉えて、私の紘への気持ちは、その程度になっていたのかもしれない、なんてことを思った。



(4)

 忘年会の次の日、昼前に起きて鏡を見た。目が赤いわけでもなければ腫れているわけでもなく、まるで昨日泣いたことなどなかったかのように、自分の顔は通常運転だった。

 冷蔵庫の中は空っぽだった。年末は帰省するから、食べ物は極力買わずにおこうと考えていたせいだ。


「……食パンで済ませるか……」


 冷凍庫の中に眠っている食パンを引っ張り出してトースターに入れた。コーヒーを入れようと、コーヒーメーカーに手を伸ばす。

 その瞬間、スマホのバイブレーションが鳴った。画面に表示されている文字は「松隆総二郎 着信中」。

 電話をとるか、無視するか、悩んだ。でも、せっかく紘との関係を清算したのに、松隆との関係を来年に持ち越すのはイヤだった。


「……はい」


 電話を取ると「寝てました? すみません」といつもの飄々(ひょうひょう)とした声が聞こえた。

 飄々とした、声。きっと昨日の出来事は松隆にとっては私との約束の延長なのだろう。そう思うと……、少し気が楽な気もした。


「……起きてたよ」

「それはよかったです。お茶でも飲みません?」

「……いいよ。ちょうどそういう気分だったし」


 そう答えた後で、今日、人に見られる場所で松隆に会うのはマズイと思った。


「……やっぱり、どっちかの家にしない?」


 なぜあえて人目につかない密室を指定したのか、電話の向こうで考えている気配はした。


「……いいですよ。どちらでもいいですが、うちに来ます?」

「……そうする」


 部屋を片付けないでいいのはありがたい。家を出ようとして──自分があまりにも適当な恰好をしていることに気付いて慌てて戻った。クローゼットを開いて、どんなものを着るべきか悩んで……、それなりに気に入っている、でも新品ではない服を選んだ。

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