大丈夫、浮気じゃないから。
 その思惑と平行して、紘は私を嫉妬させようと画策していた。だから茉莉と仲良くした。

 そうとは知らず、私は松隆に、紘にとっての茉莉の立場を求めた。

 私と紘は、沙那の思惑にきれいに振り回されていた。きっと、振り回される程度の関係でしか──その程度の信頼しか──なかったのだろう。


「……というわけで、私と紘の話は、これでおしまい」


 全て話してみると、少しだけすっきりした。沙那に対して釈然としない気持ちは、もちろんあるけれど、誰にも何も言えずに抱え込むよりもずっとマシだ。


「……津川先輩に振り回されたまま大宮先輩と別れてよかったんですか?」

「ん、沙那のせいで別れたって気持ちもなくはないけど。沙那にそんなことを言われたからって、彼女の気持ちを試そうとする男なんて願い下げだから、いいんだ」


 口先ではそんなことを言ったけれど、本当は、紘と別れたことは寂しかった。

 沈黙が落ちた。誤魔化すために紅茶を一口飲んだけれど、あまり時間稼ぎにはならなかった。


「……恋の名言っていくらでもあるけどさ」

「はい」


 仕方なく、最後の気持ちを吐露(とろ)する。


「大学生になってから一番感動した名言は、トーベ・ヤンソンの名言。『初恋はこれが最後の恋だと思うし、最後の恋はこれこそ初恋だと思う』って」

「…………」

「……なにその顔」

「この期に及んで大宮先輩への惚気(のろけ)話を聞かされてドン引きしてます」

「名言を言っただけじゃん」

「要は大宮先輩が初恋だと思ったって言いたいんでしょ。趣味悪いですね」

「本当に私のことをなんだと思ってんの」


 温かいマグカップを両手に抱えて、ほう、と息を吐きだした。

 さすがに、紘への気持ちに、火傷(やけど)してしまうような鮮烈(せんれつ)さはもうないし、それどころか浸るほどの温かさもない。それでもきっと、もう暫くは、好きだったなあと、ぼんやりとした曖昧な温かさは失われることはなく、この両手にある気がした。

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