大丈夫、浮気じゃないから。
 でもさっきのは、ただの反射だ。いつもただの後輩としか思っていなかった松隆が、急に一人の男に思えて反射的に驚いただけだ。ただの、脊髄(せきずい)反射。

 ──じゃあ、紘が茉莉に同じ感覚を抱いても許せる? その自問への自答が、紘への裏切りのようで考えるのはやめた。


「珍しいよね、電気ケトル持ってないの」


 下手くそな誤魔化し方をしながら、慌ててケトルにお水を注ぐ。背後では少し釈然(しゃくぜん)としないように感じているのが伝わってきたけれど、そこで私を問い詰めるほど松隆は子供ではない。


「まあ。最初は便利かなとも思ったんですけど、効率が悪いんじゃないかなと思いまして」

「というと?」

「なんていうか、電気ケトル単体よりも、コンロのほうが発電効率は高そうじゃないですか。だからキッチンでケトルを使ってお湯を沸かすほうが消費電力は少ないんじゃないかって」

「ああ、なるほど」


 それは確かに考えたことがなかったかもしれない。松隆は「調べたわけじゃないですよ、なんとなくの直感です」と肩を竦める。


「ブルジョワかと思ったら途端に主婦みたいなこと言うじゃん」

「家事だの電気代だのにうるさい幼馴染がいまして。実は僕が言い出したことではないです」


 そう微笑んだ松隆の横顔は、まるで楽しい思い出を人に話すことができて嬉しい、そんな表情でびっくりしてしまった。親し気な口調から、その幼馴染への信頼が伝わってくる。

 そして、“信頼”というキーワードからふと、テニスコートで烏間先輩と話したことを思い出してしまった。烏間先輩と彼女さんとの間には信頼関係がある。松隆と松隆の幼馴染だって──少なくとも彼女じゃないようだし、好きなのかどうなのかも知らないけど──そうだ。

 茉莉との関係を紘に問いただす私と、松隆との関係を私に怒ってみせる紘。私達の間には、烏間先輩と彼女さん、松隆とその幼馴染のような信頼関係がない……足りてない、のだろうか。そして、私がさっき松隆に感じてしまったものは、紘に信頼されるに足る人間でないことの裏付けなのだろうか──。


「自分の部屋で自分以外の人間がキッチンに立ってるって、変な感じですね」


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