大丈夫、浮気じゃないから。
 では、恋人らしい行動とはなんだろう。「頻繁(ひんぱん)に2人で出かけること」は恋人らしい行動だけれど、恋人でなくてもする行動だ。会う機会が多い同学部・同サークルの相手なら、恋人でなくてもそんな事象が生じるのは仕方がない。それなら、同学部・同サークルの相手に関しては例外を認めるべきなのか? そういう相手こそ、親密になりがちなのに?

 もともと親密で当たり前な関係だから、浮気の判断はゆるやかにするべき。いや、そもそも、いつどうなってもおかしくないほど親密な関係だからこそ、浮気の判断は厳しくするべき──。


「先輩、大丈夫ですか」


 ぐるぐると回り始めた思考は止まることを知らず、気付けば松隆に顔を覗き込まれていた。


「先輩?」


 二度呼ばれて、やっと我に返って、視線を彷徨(さまよ)わせる。いまの自分がひどく情けない顔をしているような気がして、顔を上げることはできず、「あー、ごめん……」と下手な誤魔化し方をする。どうせ、松隆相手に誤魔化せることなんて、今更なにもないのに。


「やっぱり私、帰るよ」


 髪を耳にかけながら、なんとかそれだけを口にした。彼氏が他の女と歩いてるのが不愉快なので食欲が失せました、なんて、口にするにはあまりにも馬鹿馬鹿しい。でも、それを口にすることができないのはあまりにもお高く留まったプライドのせいだなんてもっと馬鹿馬鹿しい。


「先輩」


 遠慮がちな声に気遣いを感じた。でも返す言葉が思いつかなくて、ただ黙って俯いたままでいた。これでは、どちらが後輩なのか、分かったものじゃない。


「僕と浮気しませんか」


 ……思わぬセリフに、顔を上げた。

 そこで、後輩が珍しく心配そうな顔つきをしているわけではなく──ただ不敵な笑みを浮かべているだけだと気が付いた。


「……なに?」


 声を絞り出すことができたのは、その表情のお陰だろう。もし、松隆が、いつになく同情的な表情を浮かべていたら、もしかしたら私は泣きだしていたかもしれない。


「ああ、失礼しました、訂正します」


 無様(ぶざま)で、(みじ)めで、滑稽(こっけい)な先輩に呆れ、愛想を尽かし、嘲笑う──そういう表情のほうがまだ理解できた。

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