大丈夫、浮気じゃないから。
 私達のやりとりは、はたから見ていたら、面白さも何もない平淡な会話だ。楽しそうかどうかでいえば、きっと、後輩の山科と喋っているほうがよっぽど楽しく聞こえる。

 みどりからは「夫婦みたいに落ち着いてていいね」と言われたことがあるし、年齢相応か、それ以上に落ち着いた関係が少し誇らしく思えていた頃もあった。でも、紘が茉莉と仲良くなって以来、その言葉は不安に変わった。

 紘にとって、私の存在が当たり前すぎて、他の異性と一緒にいるほうが楽しく思えるんじゃないだろうか、と。


「生葉、明日ひま?」


 そんなことを考えながら、アイスを食べるべくスプーンを持ってきた私に、紘が不意にスマホを見せた。スマホに映っているのは『八城(やしろ)(ここの)の事件簿:case1』というタイトルが斜めに入ったウェブページ。『八城九の事件簿』というのは、紘が私に勧めてくれた推理小説で、去年の夏にアニメ化されていた。


「なに? 八城九シリーズ、映画やるの?」

「そう。脚本は忍名(おしな)竜胆(りんどう)じゃないけど、一応、監修についてる」


 忍名竜胆は、言わずもがな『八城九の事件簿』の作者の名前だ。


「case1からcase3まで、ショートフィルムやるんだってさ」私の手から抹茶アイスを受け取りながら「case2の上映が来週から始まるから、忘れないうちにcase1見ようと思って。行かね?」


 私の存在が当たり前すぎて、他の異性と一緒にいるほうが楽しく思えるんじゃないだろうか──。


「行く」


 そんな不安が吹き飛んで、思わず食い気味に返事をしてしまった。私の気なんて知らない紘は「そんな見たかったの」なんて笑っている。だって、最近の紘は、何をするにも茉莉と、そうじゃなければ茉莉と沙那とセットだったから。でも八城九シリーズの映画には私が誘われた。茉莉じゃなくて、私。

 あ、こんなこと考えてるなんて、私、醜いな──。自分を呪うと同時に自嘲する。

 よかった、私が誘われた、なんて、「彼女」のポジションで考えることじゃない。たとえるなら、本当は自分が1番だなんて信じている愛人の考えることだ。


「何時から?」


 感情と思考を必死におさえながら、平静を装ってデートの話を続ける。


「午前午後どっちがいい?」

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