私たち白い結婚だったので、離婚してください


「はあああ〜やっぱり離婚だよね……」



 私──エリサの大きすぎるため息は新聞に吸い込まれた。
 新聞には勇者一行が魔王討伐に成功したことを大々的に知らせている。魔王の討伐により瘴気や魔物に怯えなくていいのは嬉しい。さらに、白銀の髪に海のような深い青色の瞳を持つ狼獣人である勇者ヒューゴと、聖女でこの国の第一王女の婚約を祝福する記事にも喜ぶべきだろうけれど。

 勇者ヒューゴの一応(・・)妻である私は、もう一度深いため息をついた。


܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*


 私と勇者が出会った日まで遡る──
 


 村の薬屋の娘として生まれた私は、物心ついたときには薬草が大好きだった。

 なんの変哲もない葉っぱが毒消しになったり、火傷を綺麗に治すなんて不思議で神秘的でわくわくする。お店で使う薬草を丁寧に摘んでいけば、お父さんとお母さんに褒めてもらえるし、運がいいと薬を作るお手伝いもさせてくれるのも嬉しい。



 今日も朝から籠を持って森へ出掛けることにした。
 今の季節は、傷によく効く実がなるから沢山摘んで帰ろう。川辺に沿って歩いて行けば、目的の茂みにたどり着く。

「つやつやで真っ赤な実がいいってお父さんが言ってたよね」

 ひとつひとつ確認してから摘むと、プツン、と小気味のいい音がする。夢中になって摘んでいると、ガサッと近くで音がした。

「?」

 なんだろうと思って音のした方に視線を向けると、灰色のもふもふしたかたまりが茂みの下に見える。野生動物にはむやみに近づいてはいけないと言い聞かされているから、灰色のかたまりを見つめたまま後ろに一歩下がった。

「きゅうん……」
「あれ? もしかして怪我をしてる?」
「きゅうん」

 ちょこんと出している足が赤黒く汚れている。土とは違う色が気になって近づくと血で濡れていた。身を屈めてみると、灰色のかたまりは子犬だった。子犬の青色の瞳と見つめあう。

「あなた怪我をしてるのね? あのね、私が手当てをしてもいいかな?」
「きゅうん」
「抱っこするけど、嫌がらないでくれる?」
「きゅうん」

 随分賢い子犬のようで言葉が通じている。怪我しているところに触れないように子犬を抱っこした。川まで連れて行って、血を洗い流す。洗ったら灰色の毛が銀色みたいに綺麗になって驚いた。

「お薬作るからちょっと待っててね」
「くうん?」

 河原に落ちてる平らな石を台にする。そこに大きなつるつるな葉っぱを置き、さっき摘んだばかりの赤い実を数個乗せた。綺麗な石を選んで赤い実を潰していく。応急処置するならこれでいいはず。

「わんちゃん、ちょっと染みると思うけど我慢してね?」
「……きゅうん」

 どろりとした赤い液体を指で掬って子犬の傷に塗ると、子犬の足が反射的に下がる。

「っ! きゃん……っ!」
「ごめん、染みるよね……。もうちょっとだから頑張って!」
「きゅ、きゅうん……」
「うん、偉いね。いい子だね」

 おずおずと前足を差し出されたので、素早く傷口に液体を塗り終えハンカチできゅっと巻きつけた。

「これで大丈夫だよ! お家に帰ってもいいよ」
「……きゅうん?」
「わんちゃん、お家わからないの? よかったら一緒にくる?」
「わふっ!」

 嬉しそうに尻尾をぶんぶん振るから抱き上げると、鼻をぺろりと舐められた。

「ふふっ、くすぐったいよ!」
「きゅうん」
「甘えん坊さんなんだね、かわいい。これからよろしくね」
「わふっ!」

 はち切れそうなくらい尻尾を振る子犬を家に連れて帰ったら、子犬じゃなくて狼だった。さらに、行方不明中の領主の子どもだと発覚したから村中が大騒動に。
 直ぐに立派な馬車が迎えに来て、あっという間に子犬が連れて行かれてしまい泣き腫らした翌日。



「わふっ!」


 もう二度と会えないと思っていた子犬、いや、狼かつ領主の子どもが翌朝に家の前に座っていて、私は目をぱちくりさせる。だって、もう一度会えたことより、灰色だった子犬が煌めく銀色になって目を奪われたから。

 

܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*



 あれから数年が経過して学校へ通う十三歳になっても、狼改めヒューゴは毎日のように屋敷を抜け出して遊びにやってくる。領主の息子のヒューゴは家庭教師に教わっているから学校には通っていない。

 ヒューゴ・ウルーフは、領主の息子で狼獣人。幼い頃は獣の姿と獣人の姿が安定せず、私と出会ったときは狼の姿だったと知った。
 この国には獣人と呼ばれる種族が存在している。人より獣人のほうが能力が優れていて、王族や貴族の多くは獣人。稀に平民の中に先祖返りで獣人に生まれる人もいて、そういう人は貴族の養子になったり、王都の学園に特待生として迎えられる。獣人は、尊敬と憧れの対象のはずだけど──


「エリサ、今日も薬草採りに行くの?」
「うん! 頭痛に効くヘディークの花が咲いてるかなって思って。ヒューゴも一緒にいく?」
「もちろんエリサと行く!」
「ヒューゴも薬草好きなんだね……っ! みんなを薬草採取に誘っても来てくれないんだよね。前は来てくれてたのになあ。なんでだと思う?」
「なんでだろう? ねえエリサ……?」

 ヒューゴは、背が高くて黙っていれば凛々しいのに。それなのに、こてりと首を傾げて私を見つめてくる仕草は可愛らしくて思わず頬が緩んでしまう。

「もう、しょうがないなあ」
「ありがとう、エリサ」

 手を繋がないと、また迷子になるかもしれないと心配するヒューゴに両手を広げた。すぐにヒューゴが覆いかぶさるように、背中に腕が回されて抱きしめられる。

「エリサ、いつもごめんね……」
「っ、大丈夫。それよりヒューゴ、そこで話されるとくすぐったい……っ」
「ん、ごめん」

 迷子から助けた私の匂いを嗅ぐと、ものすごーく安心するというヒューゴ。出会った頃から今日まで森に出かけようとするたびに、髪の毛と首筋に顔埋めて、すんすん匂いを嗅いでいる。
 一度だけ「恥ずかしいから、やめて」って伝えたけど、涙ぐむヒューゴにそれ以上は言えなくなってしまい今の関係が続いていた。

「はあ、今日もエリサを補充できた」

 満足そうに笑いながら、鼻にキスをされる。これが薬草採取に行く前のルーティン。迷子になりたくないヒューゴに手を絡めるように、ぎゅっと繋がれて歩きはじめる。
 すごい心配性で甘えん坊のヒューゴを見ていると、きっと獣人にも色々いるんだろうなって思う。

「あっ、エリサ。ヘディークの花があっちに咲いてるよ。行こう?」
「うん!」

 しばらく歩いているとヒューゴが教えてくれた。狼獣人のヒューゴは鼻が効くから頼りになる。手を引かれて行くと岩陰に隠れるようにヘディークの白い花が一面に咲いていた。

「わあ……っ! こんなにヘディークの花が咲いてるなんて凄い。誰にも見つけられてないんじゃないかな?」
「エリサ、嬉しい?」
「うん! もちろん! ヒューゴありがとう」
「ご褒美くれる?」

 ヒューゴを見上げてお礼をいうと、ケモ耳が近づいてくる。もふもふのケモ耳を撫でてあげると、肩に頭を預けられた。両手で耳の付け根や髪をしばらく撫でてから「おしまい」と告げる。おしまいを告げないと、ずうっっっと際限なく撫でなくちゃいけなくなっちゃうから。

「もう終わり……?」
「ヒューゴは甘えん坊さんだなあ。あと少しだけね」
「ん、エリサにだけ」

 おでこをぐりぐり擦りつけるヒューゴが満足するまで撫で続けた後、私はヘディークの花を夢中になって摘んだ。



܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*



 三年通った学校を卒業した春、薬師見習いになって家の薬屋で働きはじめた。
 今は、お父さん……じゃなくて、師匠から薬の作り方を少しずつ教えてもらっている。ずっと薬を作るのが夢だったから、夜に眠るのがもったいないくらい充実した日々を送っていた。


 朝日の差し込む店内。お店の棚に手荒れに効く軟膏を詰めた缶を丁寧に並べていく。師匠にようやく合格をもらえた軟膏は、私の薬師デビューになる薬だから、なんだかキラキラして見えちゃう。

「エリサ、おはよう」
「おはよう、ヒューゴ! 頼まれていた手荒れの薬できてるよ……っ!」
「ありがとう、エリサ。沢山頼んだから大変だったでしょう」
「ううん! 沢山頼んでくれたから何回も作れて幸せだったよっ! ヒューゴのおかげだよ、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。あれ? エリサ、これは頼んでいた手荒れの薬じゃないの?」
 
 クリーム色にお花の焼き印が押された缶をヒューゴが指差したので、首を横に振った。

「これはお店で販売する分だよ。ヒューゴに頼んでくれた分はちゃんと別にしてあるから安心してね」
「そうなんだ。これもエリサが作ったもの?」
「うんっ! 師匠に合格もらえた初めての薬だから、嬉しくて沢山作っちゃった!」

 私の言葉でヒューゴの耳がへにょんと下がっていく。困ったように眉が寄せられていく様子に慌てて声をかける。

「ヒューゴ、もしかして薬の数が多かった? それなら数を減らしても大丈夫だよ! あのね、手荒れの薬はうちでも人気でよく売れるから、必要な数だけ買ってくれれば大丈夫だからね」
「ううん、逆なんだ」
「え? 逆?」
「うん。あのさ、エリサが初めて(・・・)作った薬を全部買っても大丈夫かな?」

 ヒューゴの視線が私と並べられた薬を行き来する。

「メイドから話が広がってたみたいで、みんなエリサの薬を欲しがってるんだ……!」
「ええっ、本当!?」

 目を見開いてヒューゴを見つめると「もちろん、本当」とうなずいてくれる。うう〜自分の作った薬を必要だと言ってもらえるのが嬉しすぎて、口元がゆるんでしまう。

「ヒューゴ、ありがとう! 嬉しい……っ!」

 私が初めて作った薬を全部渡すと、ヒューゴは沢山の荷物が収納できるマジックバックに入れた。




 さすがによく売れる手荒れ薬がないのは困るので、材料になるカモミル草をヒューゴと摘みに出掛けることになった。
 森の入り口に差し掛かると、ヒューゴが足を止めて私を見つめる。

「エリサ……今日もお願いしてもいい?」

 私よりひと足先に、まもなく成人を迎えるヒューゴだけど、ずっと変わらず迷子を怖がっていた。この国の成人は男女共に十七歳。結婚や独立など、様々なことが自分で出来るようになる。
 
「もう、しょうがないなあ」
「ありがとう、エリサ」

 ヒューゴに両手を広げると、すぐに抱きしめられた。首すじに落ちる私の癖っ毛を横に避けてから、むき出しの首すじをすううう、深く匂いを吸い込む。唇を押し当てて、吸い込み、少し移動して、唇を押し当てて吸い込むを繰り返す。

「はあ、エリサいい匂いがする……!」
「ん、っ、ヒュー、ゴにもらった石けん、ちゃんと……使ってる、ひゃ、ん……っ」
「うん、俺と同じ匂いが混ざってて、こうふ、落ち着くよ」
「っ、耳元でしゃべっちゃ、や、ぁ……」
「ん、ごめん」

 どんどん熱心になる匂い嗅ぎが恥ずかしくて、匂いが強い石けんを使ったら、ヒューゴが使っている同じ石けんを贈られるようになった。さわやかなお花の香りがする石けんは、ヒューゴの匂いがするから使うときにいつもヒューゴを思い出す。
 反対の首すじも終えて、鼻にキスをされた。

「ああ、今日もエリサを補充できた」

 満足そうなヒューゴは、カモミル草が沢山生えている場所に連れて行ってくれた。


܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*



 その三日後、魔王が復活したという知らせが世界を駆け抜けた──


「エリサ、絶対に一人で薬草採取に出かけないでね」
「森の奥じゃなければ大丈夫だと思うけど?」
「絶対だめ! 必ず俺と一緒に行くって約束して!」
「…………ヒューゴか師匠と一緒に行けばいい?」
「約束だよ」

 魔王が復活するのは三百年ぶりのことで、特に実感が湧かない。でも、新聞や噂によると、これから魔物が活性化して凶暴になり数が増えるらしい。森の奥にいる魔物が、いつ村の近くの森に出てくるかもしれないから一人で森に入らないように約束させられた。




 魔王復活から一ヶ月。隣の村に弱い魔物が現れた。まだ、この村には魔物は出てきていないけれど、それも時間の問題かもしれない。
 
 育てられる薬草は庭で育てはじめたけれど、野生でしか生えない薬草も多くある。今日も炎症に効くツルラナという蔓植物をヒューゴと採りに出掛けた。

「はあ、早く勇者様が現れて、魔王討伐してくれたらいいのに……ねえ、ヒューゴ、近くに魔物いないよね?」
「うん、気配はないから大丈夫」
「よかった……ヒューゴありがとう」

 ヒューゴの言葉に安堵の息をつく。
 どの時代も魔王が復活するときに、必ず勇者が現れるという。早ければ数日後、遅くても一年以内に神託があると王家の書物に書いてあるらしい。まだ一ヶ月しか経っていないのに、村もピリピリした空気が流れている。

「エリサ、こっちから行こう。ルガモットの花が咲いてるよ」
「わあ、助かる……っ! ルガモットって毎年咲く場所が変わるから、今度探さなくちゃと思ってたの」

 寄り道してルガモットを摘み、当初の目的のツルラナを採取ナイフで切って、籠にこんもり詰めた。今までは必要な分だけを採っていたけれど、今は多めに採ることで採取の頻度を抑えるように工夫している。

「あっ、エリサ、あの茂みを見てて」

 帰り道、茂みで葉擦れの音が鳴ったと思ったら、勢いよく茶色のかたまりが飛び出してきた。

「きゃあああ……っ!」
 
 びっくりしてヒューゴに飛びつく。魔物かもしれないと思い、カタカタ震えてしまうと優しく抱きしめられた。

「ごめん、エリサ。大丈夫だよ。ただの兎だよ」
「ほ、本当だ……。ご、ごめん、びっくりしちゃった……」

 背中を優しく撫でられる。ちゃんと笑ったつもりなのに、私の顔を見てヒューゴが泣きそうな顔になった。きっと、ひどい顔をしているのだろう。
 いつも兎やリスが近くにいるのをヒューゴが教えてくれて、二人で可愛いねって見ていたから、こんな風に驚くなんて自分でも思っていなかった。


「ヒューゴ……私、薬草が大好きだったはずなのに、今は薬草を採りに行くのが怖い……薬師失格だ……」

 込み上げた涙が決壊して頬を伝うと、ヒューゴにきつく抱きしめられた。



「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」


 

܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*



 翌朝、腫れぼったくなった目を冷やしていたら、玄関の扉がノックされた。ウルーフ家の執事のセバスチャンさん。

「エリサ様、一緒に来ていただけませんか?」
「えっと、今日は……」
「ヒューゴ様に頼まれております。ふむ、屋敷に着くまでに目の腫れが引けばよろしいでしょうかな」
「えっ、あっ、そうですね……?」
「セバスにお任せください。さあ、参りましょう」

 少し強引なセバスチャンさんに促されるまま馬車に乗り込む。ヒューゴの屋敷までは馬車で二時間。セバスチャンさんが甲斐甲斐しく目元に冷えた布を当ててくれる。

「あの、ヒューゴになにか……?」
「エリサ様、驚かないでほしいのですが、」

 セバスチャンさんは一度言葉を切って、私をまっすぐに見つめた。
 


「ヒューゴ様が勇者様であると神託がくだり、大神官猊下自ら迎えにきております」
「…………え」
「ヒューゴ様は今日の内に発たねばならないでしょう」
「えっ、ヒューゴが勇者で……うそ? えっ、今日に発つ……? え?」

 頭が真っ白になった。ヒューゴが勇者様ってどういうこと? 今日には発つってしばらく会えないってこと? ううん、勇者様は魔王を討伐するために魔王城がある世界の果てに行くこと。
 魔王はものすごく強くて、もちろん勇者様も強いけど、勇者様が死んだ時は違う勇者様が現れて、何人もの勇者様が挑んでようやく魔王討伐を果たす。それって……つまり、死んでしまう勇者様もいるってこと?

 ──ヒューゴが死んじゃうかもしれないってこと?



 ひゅ……

 喉から変な音が鳴った。心臓がばくばく鼓動する。ヒューゴに会えなくなるなんて、考えたことなかった。ずっと一緒に過ごしていたから、ヒューゴのいない世界なんて想像もできない。

 こんな時に自分の気持ちに気づくなんて、泣きそうになってしまう。



 馬車が止まった。沢山の神官に囲まれているヒューゴを見て、勇者様に選ばれたのが本当なんだと実感する。

「エリサ」

 神官たちを置いてヒューゴが私のところに近づいて、ぎゅっと抱きしめられた。

「エリサ、俺、勇者に選ばれた」
「うん……セバスチャンさんに聞いた」
「そっか。今からすぐに王都に発つんだ、聖女と魔法使いも待ってるって」

 勇者様に選ばれることは名誉なことだから「おめでとう」と口にしなくちゃと思うのに、なにも言葉にならない。ただヒューゴの背中に腕を回して、きつくきつく抱きしめる。
 
「ヒューゴ、怪我しないで……」
「うん、エリサの薬いっぱい持ってく」
「ヒューゴ、回復薬の飲み過ぎはだめだよ」
「うん、エリサの回復薬は毎日一本にする」
「ヒューゴ、迷子にならないように目印つけるんだよ」
「うん、エリサの頭文字を書くね」
 
 こうやって抱き合っていると、ヒューゴの体温とさわやかな甘い匂いがして、深く匂いを吸い込む。ずっと毎日一緒だったのに……。




「……ヒューゴ、好き」





 ヒューゴの身体がびくんと震えて固まった。
 

「あ……ご、ごめん、今の忘れ、」
「俺もエリサを愛してる! エリサ、結婚しよう」
「…………へ?」
「エリサは恋や結婚に興味ないんだと思ってたから、少しずつ逃げられな、いや、ゆっくりエリサの気持ちを育てていこうと思ってたのに……両想いだったなら、今すぐ結婚しよう!」
「ええっ?」

 ヒューゴからのまさかなプロポーズに頭が真っ白になった。

「エリサ、好き。ずっとずっと好きなんだ。初めて会った時から毎日、毎秒、今だってどんどん好きになってる。エリサも俺と同じ気持ちでいてくれたなんて……夢みたいに嬉しい!」

 ヒューゴの頭が肩に乗せられて、ぐりぐり擦り付けられる。

「えっ、あの、ちょっと待って。頭がついていけてない」

 好きだって言ったけど、恋に気づいたばかりの私の好きと、ヒューゴの好きは同じなのかな? 好きが恋の好きなら同じってことなの?
 
「ごめん、エリサ。いきなりすぎて驚いたよね?」
「うん……」

 ぺたんと耳を下げながらヒューゴに見つめられる。

「俺、本当は不安なんだ……。いきなり勇者だって言われて、今日中に王都に発つって言われて頭が真っ白になってて──それに、もしかしたら死んじゃうかもしれない……」

 ヒューゴの震える声に胸がキュッと締め付けられた。ヒューゴはきっと私の何倍、ううん、何億倍も怖いに決まってる。両腕を広すぎる背中に回して優しくさすれば、また耳を擦り付けられた。

「ねえ、エリサ……俺、エリサと結婚できたら魔王討伐を頑張れると思うんだ。だから、俺と結婚してくれないかな?」

 私は頷く。これから命をかけるヒューゴのお願いを断るなんて選択肢はなかった。ぶんぶん風を揺らす尻尾の音が聞こえたと思ったら、頬に手を添えられた。


「エリサ」


 聞いたことがない程に甘く私の名前を囁く。青色の瞳は甘さがにじみ、頬に触れる手のひらから伝わるヒューゴの体温。ヒューゴのひとつひとつに私の心臓が反応して、爆発してもおかしくないくらい鼓動が速くなる。

 ヒューゴの顔が近づいて、肌の匂いがしたと思ったら、私の唇にやわらかな唇が触れた。胸に広がる甘酸っぱい気持ちに心が嬉しくて震えてしまう。





「……っ!?」

 大きな手で後頭部を押さえられ、ぬるりとしたものが唇を割って入ってくる。驚きすぎてヒューゴから離れようとしても、頭も身体も固定されてびくともしない。

「んんっ、ひゅー、ん……っ」

 ヒューゴに話しかけようと思っても、言葉は全部呑み込まれてしまう。好きな人としか絶対できないことをされて、ヒューゴの熱で私の吐息も甘く染まっていく。胸板を押していたはずの腕は、縋るように添えているだけになっていた。

 ようやく、ようやーくヒューゴの唇が離れて、鼻にキスが落とされる。

「エリサを補充できた!」
「もう……っ! ヒューゴのばか、オオカミのケダモノ! 外なのに、みんな見てるのに……っ、もう……、ばかばか!」

 息の上がったままヒューゴをじとりと見つめて、胸を叩いて文句を言う。初めてだったのに! ばか!

「え、なに……罵りも可愛すぎるとか。俺の嫁、かわいい……っ!」
「っ! そ、それ! ヒューゴ、私達まだ十六歳だから結婚できないんじゃないかな?」
「エリサと結婚できないなら勇者やめる」
「え!?」

 目を丸くする私に、大神官猊下の声が掛けられた。

「勇者様が憂いなく魔王討伐に向かえるようにするのが我々の使命です。お二人の愛なら神もお許しくださるかと」
「話の分かる大神官猊下で助かるよ」
「今から勇者様の婚姻の儀を執り行い、それから発ちましょう」

 

 
 急遽、大神官猊下にヒューゴと私の婚姻の儀を執り行ってもらうことになった。

「エリサ、俺と結婚してください」

 ヒューゴはそう言うと跪き、私の指にヒューゴの瞳と同じ色の宝石がついた指輪をはめた。サイズがぴったりの指輪。

「……どうして指輪があるの?」
「エリサの誕生日が来たら、プロポーズするつもりだったから肌身離さず持ってた。俺だと思って、今からエリサに身につけててほしい」
「ありがとう」
「寝る前と起きた時に挨拶して。嬉しいことがあったら教えてほしいし、楽しいことがあったらキスして、それから寂しいときは話しかけてほしい」
「ふふっ、うん、ヒューゴだと思うね……!」

 ヒューゴの優しさが胸に広がっていく。大神官猊下に促されて二人で並ぶ。


「勇者ヒューゴ・ウルーフ、エリサ・センプリチが夫婦となったことを宣言する」

 大神官猊下の言葉で、足もとで虹色の光が浮かび上がる。私とヒューゴを包み込むように虹色の輪が煌めいた。



「エリサ、すぐに魔王を倒して帰ってくるから。行ってきます──奥さん」

 ちゅ、と鼻にキスを落として、ヒューゴは魔王討伐に発った。
 


 ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭* ܀ꕤ୭*

 

 魔王討伐の旅をする勇者一行の活躍は、新聞が大々的に伝える。私は、ヒューゴの活躍を見るたびに胸が熱くなり、心配で肝を冷やし、それからヒューゴにもらった指輪に話しかけていた。

 婚姻の儀を行ってから三年が経った頃、ヒューゴ達は無事に魔王討伐を成し遂げた。

 ヒューゴに会える……!

 そう思って胸を震わせていたのも束の間、新聞がヒューゴと聖女様の仲睦まじい様子を次々報道するように。聖女様は、この国の第一王女でとても愛らしい兎獣人。ふわふわな金色の髪に、赤い瞳、真っ白なうさ耳は見る者すべてを魅了する。

 最初は気にしていなかったのに、お互いを見つめあう姿や手を取りあう姿を見て、胸にもやもやが広がっていく。それも半月を超えた辺りから、命をかけて旅した二人に恋が芽生えても仕方ないのでは? と思うようになっていた。

 銀髪青目のオオカミ獣人で勇者のヒューゴと金髪赤目の兎獣人で王女かつ聖女様──お似合いすぎる、と。


「はあああ〜やっぱり離婚だよね……」


 勇者と聖女の婚約を祝福する記事を読んで、机に突っ伏した。どうしよう……。私と結婚していることがヒューゴの幸せの邪魔をしている事実に気づいてしまったら、頭を殴られたみたいに目が覚めた。

 ヒューゴと離婚しよう。白い結婚のまま三年間過ごしたから結婚をなかったことにできる。うんうん、そうしよう。だって、田舎の村に住む茶髪桃目の平凡な薬師の私が、勇者のヒューゴと一瞬でも想いあえたことが奇跡なんだから。

 ウルーフ家で働く人たちは、平民の私にとてもよくしてくれている。素敵なドレスや心のこもった食事、薬草園と薬を作るための部屋まで用意してくださった。でも、聖女様と結婚するヒューゴの家に私が居ては困ってしまうだろう。良くしてくれていたからこそ迷惑をかけたくない。

「これからどうしようかな?」

 私は、私とヒューゴが結婚したことを知っている人がいないところに行きたい。この国を出れば、ヒューゴと聖女様の話も聞かなくていいし、薬師の資格があれば自分一人くらい食べていけるはず。折角だから見たこともない薬草の生えている国に行ってみようか?

 なんだかワクワクしてきた。よし、そうと決まれば善は急げ。鞄に詰めれるだけ薬を詰めて身支度を整えていると、外が騒々しくなってきた。



 

「奥様! 旦那様が、ヒューゴ様が戻られました……っ!」
「え?」

 

 慌てて外へ出ていくと、以前より精悍になったヒューゴと兎獣人の女性が一緒に立っていた。一枚の絵のような完璧な美しさの二人。誰なんて聞かなくても聖女様だって一目で分かった。

「ただいま、エリサ」

 柔らかく微笑まれて胸が苦しくなる。ああ、ヒューゴの隣にいたのは私だったのに。醜い嫉妬が私を黒く染めていく。

「おかえりなさい…………勇者様」
「えっ、エリサ、どうしたの?」

 困惑するヒューゴを心配そうに見つめる聖女様を見たら、もう駄目だった。これから結ばれる二人をこれ以上見ているなんて私には無理。もう終わりにしたくて、ヒューゴを見上げた。


「私たち白い結婚だったので、離婚してください」






「…………は?」

 目をこれでもかと見開くヒューゴに、先ほどまで読んでいた新聞を押し付ける。動揺して手に持ってきてしまったけど、結果オーライ。

「絶対に結婚のことは他言しないと誓いますし、私は今からこの国を出ます。どうぞ聖女様と幸せになってください」

 新聞の記事に目を落とすヒューゴに言いたいことを告げ、立ち去ろうとしたのにヒューゴの腕の中にいた。なんで?



「エリサ、かわいい。やきもち妬いてるエリサ可愛すぎる」
「っ、は、離して……っ!」
「はあ……久しぶりのエリサの匂いたまんない。やきもち妬いてるエリサも大好きなんだけど──聖女は魔法使いと結婚する予定だよ」
「え? 嘘?」
「ううん、本当。聖女のタイプは、糸目つり目だからね。ほら、あそこにいる魔法使いのヴィクスンは、キツネ獣人で糸目でしょう?」

 視線を送ると、本当に聖女の隣に糸目なキツネ獣人の魔法使いが立っていてびっくりするしかない。聖女様とヒューゴしか見えていなかったなんて、恥ずかしすぎてヒューゴの胸に顔を伏せた。

「……ヒューゴ、ごめんなさい」
「ん、いいよ。やきもち妬いてるエリサを初めて見れたからね」
「恥ずかしいから、もう言わないで……っ」

 王都に戻ると凱旋パレードや祝賀パーティーに出席するのが面倒くさいから、帰ってきたと聞いて目を丸くした。

「魔王討伐したからいいでしょ」
「それっていいの?」
「うん、いいの。あの二人もエリサが見たいっていうから勝手に付いてきただけだしね」

 聖女様と魔法使いに挨拶すると、抱きついて離れないヒューゴにひとしきり笑ったあと帰っていった。新聞社は任せておいてねと微笑んだ聖女様と魔法使いが美しくて、そしてなによりお似合いだった。

 改めてヒューゴと向き合う。青色の瞳にまっすぐ見つめられて、私もまっすぐ見つめ返す。

「エリサ、魔王討伐したよ」
「うん、ヒューゴ凄い! 本当にすごい……っ」
「エリサ、嬉しい?」
「うん! もちろん! ヒューゴ、本当にありがとう」
「ご褒美くれる?」

 こくんとうなずくと、ケモ耳が近づいてくる。もふもふのケモ耳を撫でると、ヒューゴの唇が耳たぶに触れた。

「もっとエリサを補充していい?」
「もう、しょうがないなあ」
「ありがとう、エリサ」

 両手を広げてヒューゴを見つめると、突然、横抱きにされて使ったことのない夫婦の寝室に運ばれた。そこからは好きな人としか絶対できない初めてが始まって──…



「俺たち白い結婚じゃなくなったから、離婚できないね」


 鳥のさえずりで目を覚ました私にヒューゴが嬉しそうに話すから、私は恥ずかしくてヒューゴの胸に顔を埋めた。






 おしまい


 
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