あんなに私を嫌っていたのに、記憶を失った婚約者から溺愛されて困惑しています
「アリー……綺麗だ」

 うっとりと見つめてくるオーランドの熱い眼差しに、うっかり半眼になりそうになりながらアリエノールは淑女の笑みを張り付ける。

「ありがとうございます、オーリー様」

 今日はオーランドと共に王家主催の夜会に出席していた。ドレスからアクセサリーまで全てオーランドが見繕った特注品だった。
 こんな高価なものは受け取れない、と跳ね除けようとしたものの、物に罪はない、職人たちが露頭に迷う……などなど必死で説得され、アリエノールが根負けした。
 チラリと横に立つオーランドを見上げる。記憶にある限りでは二度目のエスコートだ。

 肩先まで伸ばされた緩く波打つ蜜色の髪は真紅のリボンで一つに括られていた。アリエノールは一瞬ドキリとする。真紅はアリエノールの瞳の色。パートナーの色彩を纏うことは愛情表現の一つでもあるのだ。

 オーランドは軍属にあるので今日は騎士服を身に纏っていた。団長のみに許される白地に金糸をあしらった壮麗な衣装だ。
 けれど華美な衣装に負けないくらいオーランドの美貌は光り輝いていた。令嬢たちからの嫉妬羨望の混ざった眼差しに、アリエノールは既に辟易していた。

「困ったな……」
「何がでしょう?」
「こんな綺麗な君を見せびらかしたい気持ちと、独り占めしてしまいたい気持ちがせめぎ合っているんだ」

 何をバカなことを、と呆れるアリエノールに対してオーランドの瞳は真剣だった。

「私を相手にする男性などおりませんわ」

 少し言葉に棘が含まれていたとしても仕方がない。それだけオーランドから受けた傷は深いのだ。

「アリー……君の自己認識を歪ませたのは俺なんだな。俺の生涯を懸けてその歪みを正そう。本当にすまないアリー」

 オーランドは苦し気に眉根を寄せた。何故だろう、謝罪されればされる程アリエノールの心は意固地になるのだ。全て今更だ、謝罪も贖罪も要らない。そんなものより自分を解放してほしい、とアリエノールは思う。

「謝罪など不要です。本当にすまないと思うのなら私を解放して下さい」
「それはできない……」
「何故です? 王族の権限があればどうにかできるのでは?」
「違う、そうじゃないんだ。俺が君を離したくない……君がどんなに俺を憎んでも、どうしても嫌なんだ……」

 アリエノールにだって分かる。今のオーランドの悲痛な眼差しに嘘は一つもないのだと。けれど──

「あなたを好く美しい女性など他に沢山いるではありませんか……」
「違う! 君の代わりなんていない! 君は俺の……!」

 オーランドはアリエノールを抱き締めた。拒むように身を捩るアリエノールははたと動きを止めた。オーランドの腕が小さく震えていたからだ。

「何故……」
「以前の俺など知らない。今の俺には君だけだアリー……」

 オーランドが涙もなく泣いているようで、アリエノールは突き放すことも出来ずに立ち尽くす。

「私には……時間が必要です」
「ああ、そうだな。幾らでも君に捧げる。君と居られる為なら俺は何でもする」
「あなたにそう言われるのは、どうしても慣れません」
「少しずつでいい、どうか俺に慣れて欲しい」

 以前のオーランドと今のオーランドは明らかに違う。アリエノールにだってそれは分かっている。けれど長い年月痛めつけられた傷は一朝一夕に癒されるものではないのだ。オーランドが諦めればそこで終る、それだけのこと。

「善処はします。ですがオーリー様、全てはあなた次第かと……」
「約束しただろうアリー? 君の信頼を得るに足る男である為努力すると」

 オーランドは身を離すとアリエノールの頬を両手で包んだ。

「生半可な思いではない。それだけは分かっていて欲しい」

 透き通った空色の瞳が真っ直ぐにアリエノールを射抜いた。この時アリエノールは胸の奥でゴトリと何かが動いた――気がした。
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