記憶を失った婚約者からの溺愛に困惑しています
「ううううう!」

 枕に俯せに顔を埋め、足をバタバタさせながらアリエノールは悶えていた。

『どうしたのアリエノール?』

 ツンツンとゼルがアリエノールの髪の毛を引っ張る。

「……自分の気持ちが分からないのよ」
『自分の気持ち?』

 アリエノールはゼルを捕まえるとぎゅっと抱き締めた。

「アイツに対する自分の気持ちがね、分からなくなっちゃった」
『……悩むくらいには好きなの?』
「少なくとも今のアイツ……オーランド様はそうなのかもしれない」
『また元のアイツに戻ったら?』
「……その時考えるわ」

 散々傷付けられたことも決して忘れたわけじゃない。けれど、今のオーランドにその苦しみや怒りをぶつけるのは何か違うような気がした。
 同じ姿かたちをしているけれど、今の彼は少なくとも今までの彼とは全く違う。そして今のオーランドにアリエノールは惹かれ始めていた。
 ターシャの言葉が思い出される。自分たちは本来相性の良い者同士なのだと。マリアやターシャもこの様な気持ちを抱いたのだろうか?

「男の人に優しくされたことがないから、絆されちゃったのかな?」
『そんなの知らないよ!』

 ゼルは怒りを隠しもしないでアリエノールの手から逃れると、パッと姿を消した。

「え、ゼル?何で怒ってるの?」

 ゼルが消えた先を茫然と見つめながら、アリエノールは独り首を傾げるのだった。




 執務机で書き物をしていたオーランドは、ドン! という物音に眉根を寄せた。机の上に飾っていたポストカードサイズの肖像画が粉々に砕けている。

「言いたいことがあるなら出てこい。それとも引き摺り出されたいのか?」

 不機嫌なオーランドの呼びかけに応えるよう、虚空から真っ黒な烏が現れた。

『お前を狙ったのに……もう力が戻ったのか』
「完全ではないが……もうお前に付け入らせるほど非力ではないだろ?」

 くっとオーランドが口の端を吊り上げた。

『忌々しい男だ。とっとと死ねばいいのに』
「お前がそんなに苛立ってるってことは……アリーに何かあったんだな」
『気安く呼ぶな! アリエノールは僕のものだ!』
「彼女がお前のものだったことなんてあったか?」
『彼女を先に見つけたのは僕だ!』
「後先の問題じゃない。選ぶのは――選んだのは彼女だろう?」

 ゼルの全身の毛が逆立つ。膨れ上がる魔力を感じてオーランドは咄嗟に結界を張った。

「なあ破壊の精霊よ。俺が何故お前をアリーの元へ返してやったか分かるか?」

 ゼルはピタリと動きを止めた。

「彼女がそれを望んだからだ。俺はお前がしたことを赦してはいないからな」

 オーランドの瞳に激しい怒りが滲む。

『……どうして神は僕のような存在を創ったんだ。僕はお前が憎くて堪らないよ』

 ゼルは再び虚空に姿を消した。オーランドは額を抑えながら深い溜め息をつくと、気を鎮めるかのように目を閉じた。
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