あんなに私を嫌っていたのに、記憶を失った婚約者から溺愛されて困惑しています
 結局昨夜ゼルは帰ってこなかった。
 アリエノールは朝から調理場へ行き、ゼルの好きなクッキーを焼いた。何故あんなに怒っていたのかいまだに良く分からないけれど、帰ってきたら食べさせようと張り切って作った。
 その結果――

「作り過ぎたわ……」

 山のようなクッキーを前にアリエノールは項垂れていた。一先ずお裾分けにターシャの元へ持って行くことにする。そして少し考えて、ターシャのものとは別に綺麗にラッピングしたものを一つ作った。

「ターシャ、良かったらこれグルフ君とどうぞ」

 アリエノールが笑顔で差し出す中々の量のクッキーに、ターシャは一瞬呆気に取られる。

「ありがとう。これはまた随分沢山作ったのね」
「え、ええ。久々で張り切り過ぎてしまったわ」
「ふふ。アリーも一緒に食べていく?」
「あ、ええと……その……」

 歯切れ悪く目を泳がせるアリエノールの様子に、ターシャはピンときた。

「なるほど、後で話聞かせてね?」
「わ、分かったわ。また後でね」

 ニマニマと含み笑いのターシャに、何やら居心地の悪いアリエノールはそそくさと退散した。



「これは……アリーが作ったのかい?」

 アリエノールがお裾分けのクッキーを恥ずかしそうに差し出すと、オーランドは驚愕に目を瞠った。

「その、作り過ぎてしまったので……お口に合うか分かりませんが……良かったら……」
「嬉しいよアリー! 全部俺が食べるに決まってる!」

 オーランドの眩しい笑顔にアリエノールは一瞬目を奪われる。

「そんな大したものでは……」
「俺にとっては千万の宝にも勝る。アリーありがとう、本当に嬉しい」

 表現は大げさだけれど、本当に心から喜んでいることが分かってアリエノールはホッと胸をなでおろす。
 同時に喜んでもらえて嬉しいと素直に思った。その思いが面に出てしまったらしい、ふっとアリエノールは微笑んだ。オーランドは瞬きも忘れて見惚れる。

「あの、オーリー様?」
「……やっとアリーの本当の笑顔が見れた」

 はっとしてアリエノールは自分の頬に触れる。

「少しは俺に心を開いてくれたって、自惚れても良いのかな」
「……知りません」

 ぷいっとそっぽを向く様も、気を許してくれた証の様でオーランドは笑みを零した。

「アリー可愛い」

 すっとアリエノールの髪を一束掬うと、オーランドは愛おし気に口付けた。

「ダメだな、一つ得ればもっとと欲張りになる。俺は君の色んな顔が見たい」
「……あなたのそういう言動に、まだ慣れません」

 困ったように眉尻を下げるアリエノールに、オーランドは優しく微笑んだ。

「分かってる。俺も慣れてもらうために必死なんだ。これでも言いたいことの半分も言えてない」

 アリエノールはぎょっとする。全く免疫のないアリエノールがこれ以上甘い言葉をかけられては身も心も保ちそうにない。

「オーリー様のお気持ちは十分伝わっていますから、どうぞお手柔らかにお願いします……」
「そう?伝えたいことは沢山あるけど……結局俺は、君が好きなんだ」

 アリエノールは隠しようもなく顔を赤らめた。オーランドは嬉しそうに笑う。

「良かった、本当に伝わってるみたいだ。好きだよアリー、誰よりも何よりも」
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