記憶を失った婚約者からの溺愛に困惑しています
『あれ、アリエノール来てたんだね。いらっしゃい』

 男性とも女性ともつかない涼やかな声が楽しげに上から降ってきた。

「グルフ君! 待ってたわ!」

 宙に浮かぶ掌サイズの美しい精霊を見上げて、アリエノールは胸の前で両手を組む。

『え? 私に何か用かい?』

 緑一色の瞳をパチクリと瞬かせて、グルフはアリエノールの目の前までふわりと降りてきた。

「オーランド殿下の記憶喪失とゼルとの関係について……何か知ってる?」

 グルフは途端にすうっと目を細めた。

『……ごめんねアリエノール。私の口から言えることは何もないよ』
「でも、否定も出来ないのね……」
『ごめん、何も言えない……』

 苦しげに笑うグルフにアリエノールは首を横に振る。

「精霊には精霊の理があること、理解しているわ。私のほうこそ困らせてごめんなさい」

 ゼルが無関係でないことが分かっただけでもアリエノールにとっては収穫だった。
 アリエノールはグルフに感謝を伝え自室へ戻って行った。

「ねえグルフ、私でも力になれることはないのかしら?」

 黙って2人の成り行きを見守っていたターシャが口を開く。

『君を守護する身としては……正直関わって欲しくない』
「そう……きっと高位の精霊が関わっているのね。グルフが口を噤むことを余儀なくされるほどの」

 グルフの長い耳がへにょりと垂れ下がった。
 精霊は嘘が吐けない。
 その反応でターシャは面倒なことが起きたのだと悟る。

「どうしてアリエノールばかりが……」

 マリアと夫である王太子も、ターシャと婚約者である公爵子息も、出会った時から互いに好意を持ち、良好な関係を築いていた。
 乙女達の婚姻相手は様々な相性を考慮して神官達が慎重に吟味するのだときく。
 なのに――
 アリエノールだけがいつも例外なのだ。誰より美しく心優しいアリエノールが何故あのように毛嫌いされなければならないのか、ターシャはずっと疑問だったし不快だった。
 大好きなアリエノールを苦しめ傷つけるだけのオーランドがターシャは大嫌いだ。記憶を失ったと聞いてもザマを見ろとしか思わなかった。

 けれど今は人が変わったように熱心にアリエノールを口説いているのだという。一体何が起こっているというのだろう。
 どうやら事情を知っているらしいグルフを見詰めながら、ターシャはふうっと溜息を溢すのだった。
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