記憶を失った婚約者からの溺愛に困惑しています
「はな……して……」

 弱々しいアリエノールの声にオーランドは腕の力を強めた。

「アリー……君のことが堪らなく好きなんだ……」

 何故今なのか。
 出会った頃のオーランドが今の彼だったならば、現状は全く違ったものになっていたはずだ。
 全て今更なのだ。
 長い年月をかけて冷たく凍った心は容易く解けはしない。
 こんな男に心など、決して許すものか──

 けれどもアリエノールの体は心とは裏腹な動きを見せた。
 心は拒め、突き放せと叫んでいるのに、アリエノールの腕はそっとオーランドの背に回された。

「ああ、アリー……」

 オーランドは更に深く抱き込むと、愛おしげにアリエノールの髪に頬擦りした。
 心と体のチグハグな動きにアリエノールは混乱していた。自分は一体何をしているのか。

 (違う! 私はこんな男のことなど──)

 アリエノールはぎゅっと拳を握った。

「……あなたなんて、大嫌い」

 オーランドの体がビクリと強張る。

「アリー……やっと君の心からの声が聞けた」

 オーランドの大きな掌がゆっくりとアリエノールの背を撫でる。

「俺があなたに刻んだ傷を、生涯かけて癒したい」
「……不要です」
「すまないアリー……どんなに嫌がられても手放すことなんてできない」
「記憶が戻れば……全てを思い出せばあなたは私から離れたくて堪らなくなります」

 オーランドは首を横に振る。

「記憶は徐々に取り戻しているんだ」
「え……」
「君の精霊は何処にいる?」

 アリエノールははっとする。そして隠し通せない空気を感じて正直に打ち明けた。

「オーリー様が記憶を失ってから姿が見えません」
「そう……アリーは彼とこれからも共に居たい?」
「生まれた時から側に居ました。居るのが当たり前過ぎて離れることなど想像もできません」
「そう、か……」

 オーランドはつと身を屈め、アリエノールと目線を合わせた。

「アリー、もしこれまでの俺が偽りで、今の俺が本来の俺だと言ったら……君は信じてくれるか?」

 アリエノールは言葉の意味を飲み込むように二、三度瞬く。

「信じられるほどの関係を、私達が築けているとは思えませんが」

 オーランドはふっと表情を緩めた。

「その通りだな。これからの俺をあなたに見ていて欲しい。あなたの信頼を得るに足る男であるよう努力しよう」
「……何故、あなたはそんなにも……」
「今は信じられないかもしれない。だが俺があなたを愛しく思う気持ちに嘘はない」

 オーランドは苦しげに微笑んだ。

「寝ても覚めてもあなたのことばかり考えている。惹かれて焦がれて堪らないんだ、アリエノール……」

 思わず頬に触れたくなった己に気付いてアリエノールははっとする。そして力を込めて硬い胸板を押した。今度は逆らわず、オーランドは名残惜しげにアリエノールを解放する。

「また明日来る。どうか俺を拒まないでアリー」

 オーランドはアリエノールの手を取って甲に口付ける。その唇の熱さにアリエノールの指先がピクリと震えた。
 そんなアリエノールにオーランドは優しく微笑むと、優雅に一礼して去っていった。
 ヒラリと赤い薔薇の花びらが風に舞う。
 花言葉は──熱く囁いたオーランドの言葉が頭の中でこだまする。
 騒めく胸を押さえながら、アリエノールは暫く呆然とその場に立ち尽くしていた。
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