記憶を失った婚約者からの溺愛に困惑しています
「アリーどうしたの!? 酷い顔色よ」

 午前の座学が終わり、ランチの誘いにアリエノールの部屋を訪れたターシャは、くっきり隈を浮かせたアリエノールの顔を見るなりグルフに目配せをする。

「ちょっと、色々考え事してたら寝不足で……」

 グルフの小さな掌がアリエノールの瞼に触れるなり、じんわりと優しいぬくもりに包まれた。

『もう目を開けていいよ、あんまり考え過ぎないでね』
「グルフ君ありがとう。あなたは何でもお見通しなのね」

 アリエノールが苦笑すると、グルフはヒラリと一回転して定位置であるターシャの肩に舞い降りた。

「ゼル君も心配だけど……アイツも何かあなたを煩わせてるのね?」

 ターシャが憤慨とばかりに眉を吊り上げる。

「私は男性から優しくされた経験がないから、近頃のアイツの態度にはどうしていいか分からないのよ」
「アリー……」

 ターシャはアリエノールの肩を抱く。

「これまでが異常だったのよ。あなたほどの人を愛さない男なんて居ないわ。アリー、あなたは誰よりも美しいのよ」
「そんなこと……思ったこともないわ」
「アイツのせいですっかり自己認知が歪んでしまったのね……ホント一生かけて償うべきよ」

 ターシャの声音に怒気が混じる。

「ありがとうターシャ。心強い味方がいてくれて嬉しいわ」
「当たり前よ! 私は何があってもアリーの味方なんだから!」

 鼻息を荒くするターシャを見詰め、アリエノールの顔に自然と笑みが浮かぶ。

「アイツ……記憶を取り戻しつつあるって言ってた。ゼルのことも聞かれたの」
「え!?」
「もしもゼルが私のためにしたことなら……そう思うと罪悪感が湧いてきて、私……」
「罪悪感でアイツに寄り添うのは愛や恋とは違うからね!」

 アリエノールは驚いたように瞳を瞬かせる。

「愛? 恋?」
「今のアイツはこれまでとは違うんでしょ?心が揺れて当然だと思う」
「どう……して?」

 ターシャは優しく微笑を浮かべる。

「私は……多分マリアも一目で婚約者に好意を持ったわ。今では彼を愛してる」
「ええ、知ってるわ」

 アリエノールは二人の睦まじい姿を思い出して頬を緩めた。

「婚約者は様々な相性で選出されると言われているでしょう? あれは本当だと思うの。だから本来あなたとアイツは相性が良いはずなのよね」
「……とてもそうは思えないけれど」
「仮に今の彼が本来の彼で、これまでが別の……何らかの力で隠されていたとしたら?」

 アリエノールは驚愕に目を見開く。
 オーランドもそんなことを言っていなかったか。今の自分が本来の自分なのだと。

「……なんてただの思い付きよ。でも今のアイツの態度のほうがしっくりくるのよね」
「ターシャ……見てたの?」
「あっ……えーと、遠目にちらっとね!」

 急に焦り出すターシャにアリエノールは苦笑混じりに溜息をつく。

「心配してくれたのでしょう? ありがとう」

 ターシャはえへへと照れ臭そうに笑うと、アリエノールの胸に抱きついた。

「アリーには誰より幸せになって欲しいのよ。今までアイツにたくさん傷つけられた分も、ね」
「ターシャ……」

 じんと胸が熱くなる。
 マリアとターシャがいなければ、きっとアリエノールはとっくに壊れていた。
 アリエノールはターシャの柔らかい若草色の髪を撫でる。

「大好きよ」
「私も大好きよアリー。ゼル君もいない今、私に出来ることは何でも言ってね」
「ありがとう心強いわ。ゼルったら何処に行ったのかしら……」

 ターシャがチラリとグルフに目を向けると、グルフは辛そうに耳を垂れ下げていた。
 本当に一体何が起きているのか……アリエノールとターシャは同時に溜め息を溢すのだった。
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