君の絵を描くなら、背景は水平線にしよう。
奇跡
奇跡
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朔夜side
『私の手を握って欲しいの』
俺は手紙を読み終えたら、すぐに君の手を握った。
俺の手は冷たいから、唯鈴の手の温もりがよく伝わってくる。
ずっとずっと手を握って、その間、唯鈴の手が冷たくなってしまわないかと不安だった。
唯鈴がいなくなってしまうのは、0時直前だと分かっているにも関わらず。
俺は、その点で気になっていることがあった。
唯鈴は手紙で、0時直前に『消えてしまう』と書いていた。
消えるってどういうことだ?
まさか、体が残らずに、空中に消えてなくなるって意味じゃないよな。
もしそうだったら、唯鈴は骨も残らないまま……
唯鈴との形に残った思い出は、ペンギンのキーホルダーと写真数枚だけ。
こんなことなら、もっと色々な場所に行って、たくさん写真を撮っておくべきだった。
こんなことを考えている時点で、唯鈴のことをもう諦めてしまっている自分がいるということなのは分かっている。
しょうがない、もう決まっているのだから。
その頭の中の発言には自分でも悲しみを覚えたが、その悲しみを癒すことが出来るものは何も無い。
ただただ、時の流れに身を任せた。
そしてついにやってきた、23時55分。
唯鈴が消えてしまうまで、あと5分。
早くなる鼓動に伴って、唯鈴への思いも溢れてくる。
なぁ唯鈴、ほんとに消えるのかよ?
今だって、俺は唯鈴の手の温もりを感じれているのに。
あと5分後にはもういないなんて、信じられないんだ。
好き、大好き、愛してる。
今まで言えなかった分何回だって気持ちを伝えるから、目を覚ましてくれ。
お願いだ、唯鈴……っ
消えないで。
ただそれだけを願い続けた。
そして、0時になるまで、ついにあと30秒。
もう、何もすることが出来ないのなら。
俺は、唯鈴の手を握ったまま唯鈴の顔に自分の顔を近づけて。
「愛してるよ、唯鈴……っ」
そして、静かに涙をながしながら、唯鈴の唇にキスをした。
3、2、1。
最後の瞬間、誰かがドアを開けたような気がしたけど、そんなこと気にせずキスを続けた。
君に最期まで、触れていたかったから。
ああ、君のいた世界が終わってしまう。
そして、日付が4月1日に変わった。
手紙に書いてあった通り、唯鈴の体が透明になり始め、そのまま消えて──
いかなかった。
え、なんで……
不思議に思ったその途端、病室は眩しい光に包まれた。
その明るさに目が痛むが、手をかざしながらなんとか病室の中を見回すと、光はドアの方から放たれていると分かった。
その、光の源には。
あの、“名札を付けていない看護師”がいた。
いや、正確には今まで名札を“付けていなかった”看護師だ。
今は名札を胸元に………
と、その時。
「……さく、くん」
「!」
俺は、その愛してやまない人の声が聞こえた方を振り向いた。
そこには、目を覚ました唯鈴の姿があった。
「唯鈴……!!」
俺は唯鈴を抱きしめた。
「唯鈴、唯鈴……っ」
「朔くん……」
唯鈴が生きている、俺の腕の中にいる。
その事実に安心しすぎて、悲しくて泣いていた今までとは、比べ物にならないほど泣いた。
こんなに泣いたら、唯鈴を困らせるのは分かっている。
でも、いなくなってしまうはずだった愛する人が、そうならなかったのだから。
泣かずになんていられない。
そんな俺を、唯鈴はぎゅうっと抱きしめ返してくれる。
「ごめんね朔くん……心配かけちゃったね」
「っもう、なんなんだよ……っ」
「うん、ごめんね」
あの手紙を用意していたことからして、唯鈴もなぜ自分が消えていないのか、不思議に思っているはずだ。
でも今は、そんなことより唯鈴と……
「ねぇ朔くん、私どうして生きてるんだろ?そういえば、さっきまで眩しくなかった?」
とはいかないみたいだ。
そして唯鈴は体を起こす。
「お、まえな……っ」
「ごめん朔くん!」
でも唯鈴らしいと言えば、唯鈴らしい。
そう思った所で、あの眩しい光が消えていることに気がつく。
明かりといえば、病室の照明だけ。
今まで唯鈴のことで頭がいっぱいで、気づかなかったようだ。
そして唯鈴は言う。
「ほんと、今じゃないのは分かってるんだけど……さっきの光、なんだか“あの時”と似てる気がして……」
あの時?
そう思いながら、いつしか俺から逸らされていた唯鈴の視線の先を見ると。
やっぱりそこには、あの看護師がいた。
そして俺はあることに気が付き、目を大きく見開く。
その看護師の初めて見る名札に、「遠永葉月」と書いてあったのだ。
遠永って、唯鈴と同じ……
状況が飲み込めない俺を見て、その看護師は柔らかく笑う。
「驚いているわよね、ごめんなさい。でもやっと名乗れるわ。私の名前は遠永葉月。唯鈴ちゃん……あなたの、実の母親よ」
「!」
「え……?」
頭の隅ではずっと、疑問に思っていたこと。
唯鈴がパニックになったのは、自分が捧げる側の者だということを知ったからだ。
でももうひとつ、驚いたことがあるはず。
それは、唯鈴の家族についてのことだ。
ずっと1人だと思っていたのに、捧命神社のあの石碑には、『その者たちは確かな一族である』と書いてあった。
自分にはもしかしたら、家族がいるのかもしれない。
そう思ったはず。
それは俺も同じで、加えてもう一つ気になっていたことがあった。
唯鈴が捧げる側の者なのは良いとして、なぜ唯鈴は、“遠永唯鈴”として捧げる側の者に生まれたのか。
名前なんて、他にいくらでもあるだろうに。
その理由は、唯鈴にも親が存在して、命名したからではないのか、と。
唯鈴が倒れていた日に病院で、唯鈴のことを「この子」と言ったのも、実の子だったから。
違和感の理由が分かり、驚きと同時に納得する。
そして唯鈴の母……葉月さんは、唯鈴の元へ近づいて言う。
「唯鈴、よく頑張ったね。えらいえらい」
ああ、この眼差しだ。
あの時……唯鈴が目を覚まして、制服を返してもらうために、看護師である葉月さんに会いに行った時。
俺は、唯鈴を見る看護師の眼差しが、まるで子供が無事だったことを安心する親のように見えたのだ。
それは、勘違いではなかったらしい。
唯鈴のことを大切に思っていることがその眼差しから読み取れるが、唯鈴は喜ぶどころかあまり浮かない顔をする。
「っ……うん。でも、お母さんはどうして私に会いに来てくれなかったの?それに私、お母さんのこと何も知らない……」
確かに、去年の4月1日に2人は会っている。
唯鈴が葉月さんのことを知っていたなら、その時点でいがついていたはずだ。
それに唯鈴は、俺に親はいないといった。
そもそも存在していないと思っていたほど、母親、そして父親のことについて何も知らなかったんだ。
葉月さんは、唯鈴の言葉に悲しい顔をする。
「……そう、だよね。でもそれには理由があるの。唯鈴ちゃんは……私との記憶を、なくしちゃってるから」
その声は、すぐ空中に溶けて消えていった。
唯鈴も、その理由には驚いているようで。
「私が、お母さんの記憶を……なくしてる?どうして?」
「それは……話してあげたいけど、私にはあまり時間がないの」
「っやっぱり……」
「え、やっぱり?」
唯鈴のその言葉は予想外だった。
唯鈴は、葉月さんに時間がないことを知ってる……
時間が、ない?
その時、ふと、病室を照らした光を思い出して。
「……まさか唯鈴、さっき言ってた“あの時”って……」
「うん、私が朔くんに命を捧げた時のこと。ただの光じゃない、温かみがある光がそっくりで……」
ということは、葉月さんはまさに今さっき、唯鈴に命を捧げた……?
そしてあの光は、命を捧げる時にうまれるもの?
どうやらその推測は合っているらしく、ハッとした表情をする俺を見て、葉月さんは頷く。
「そう、私はさっき、あなたに命を捧げたの。私たち一族にだけある、特殊な力」
「っ……どうして……」
「そんなの決まってるじゃない。愛する娘のためよ」
唯鈴が俺といることを望んだから、葉月さんは自分の命をも犠牲にして、娘の幸せを実現させようと考えたのだ。
そして唯鈴は実の母親から命をもらい、まだ生きられる体になったということ。
俺は唯鈴の記憶をなくし、唯鈴は家族の記憶をなくすという悲しい運命の先に起こった、奇跡。
でも葉月さんは、このまま唯鈴の代わりに消えていく。
その状況を飲み込んだ唯鈴は、申し訳なさそうな顔をする。
「お母さんは私のためにそこまでしてくれるのに……私は、やっぱりお母さんのことを何も思い出せない。ごめんなさい……」
自分は望み通りになっても、やっと会えた自分の母親は、自分のために死んでしまうのだ。
それに、これからそのもらった命を背負って生きていくことは、決して容易いことではない。
素直に喜べなくて当然だろう。
でも葉月さんは、あまりいい顔をしない唯鈴に笑ってほしいようで。
「何謝ってるの?唯鈴ちゃんだって、朔夜くんに命を捧げたこと、後悔してないでしょ?」
唯鈴は頷く。
「私も同じよ。自分の大切な人には、自分より幸せでいてほしいものね。だから私は、唯鈴ちゃんが幸せな人生を送れるなら、自分の命だって喜んで捧げるわ」
「っ……ありがとう、お母さんっ」
「ええ、どういたしましてっ」
そして2人は互いを抱きしめた。
唯鈴も葉月さんも静かに涙を流していた。
でもその感動の場面は、長くは続かなくて。
葉月さんは唯鈴を抱きしめていた腕を緩め、唯鈴の目をまっすぐ見る。
「唯鈴、私はもういかなければならないわ。だから、唯鈴が気になっていそうなことは全て手紙に書いておいたから、それを読んでね。はい、これ」
そう言って葉月さんは、ズボンのポケットから手紙を取り出した。
唯鈴と葉月さんは、することや考えることが似ている。
やっぱり、2人は正真正銘の親子だ。
よく見ると、唯鈴と葉月さんは目が似ている。
身に纏う雰囲気も、2人とも優しさに溢れている。
そんな人間が、この世からもうすぐ1人いなくなってしまうのは悲しいが、正直俺は嬉しさの方が大きい。
唯鈴とこれからも一緒にいられるのだから。
唯鈴は手紙を受け取って、離れたくなさそうに自分の母親を見つめる。
その表情に、葉月さんも涙を流す。
そして唯鈴の頭を一撫でした後、葉月さんは、ベッドの横の椅子に座っている俺に視線を向けた。
俺は思わず身構えてしまう。
でも、不安に思う必要は無かったみたいだ。
「それから朔夜くん。あなたは、私の娘のことを愛してくれているのよね?」
「っ……はい、心から」
その言葉に、葉月さんは花開くようにフワッと笑みを浮かべた。
「ありがとう、朔夜くん。私の娘を、愛してくれて」
「っ……いえ、そんな……それに俺は、葉月さんの命を奪ったも同然で……」
そう。
俺を助けた唯鈴を助けるために葉月さんが命を捧げるということは、俺があの時溺れなかったら、海になんて行かなければ、葉月さんの命日は今日じゃなかったのだ。
大きな罪を犯した俺が、ありがとうをもらうなんて間違っている。
俺は口を固く閉じた。
すると。
「何言ってるのよ朔夜くん。あなたは娘を幸せを教えてくれたんだから、ありがとうくらい言わせて欲しいわ」
「……え、今心読みました?」
「ふふっ、どうかしらね?」
少しイジワルな所も、唯鈴と同じだ。
「さて、もうここまでかしら」
その言葉で気がつく。
葉月さんの体が、段々と透明になっていっていることに。
唯鈴も捧げる側の者たちがどうやって消えていくのかは知らなかったようで、ひどく動揺している。
「お、お母さん、体が透けて……」
「そう、こうやって何も残らないまま消えていってしまうの」
「っ……せっかく、会えたのに」
唯鈴のその声には、同情せざるを得なかった。
看護師としては以前も会ったことがあるが、記憶が無いのだから、“母親”としては初めて会ったことになる。
それなのに、10分ほど会話をしたら跡形もなく消えてしまうなんて、受け入れ難い。
自分を愛してくれている母親だから、尚更。
子供のことなどどうでもいいと言った様子の母親なら、まだここまで辛い気持ちにはならなかっただろうに。
「私だって、まだ生きていたいわ。ちゃんとお母さんをしてあげられなかったから」
その言葉の途中、葉月さんは唯鈴の頬に触れようとするが、もう手は透けていて出来ないようだった。
「でもあなたには、幸せになれる居場所があるでしょう?」
「あ……」
唯鈴は何かを思い出したかのように視線を上げると、その後俺を見つめてきた。
そして唯鈴は、俺に向かって微笑みながら言った。
「……うん、お母さん。私、すっごく幸せだよっ」
その満面の笑みに、葉月さんは満足気な顔をして言った。
「唯鈴が幸せで、私も嬉しいわ。それじゃあ、お別れの時間ね。唯鈴、愛してるわ。そして朔夜くんも、本当にありがとう。2人とも、さようなら……」
行って欲しくないとでも思ったのか、俺は椅子から勢いよく立ち上がった。
その数秒後、葉月さんの姿はもう病室のどこにも見当たらなかった。
あるのは、まだもっと一緒にいたかったという気持ちだけ。
静まり返った病室に、すすり泣く声がうまれる。
「っお、お母さ……ぐすっ」
「……唯鈴」
どう声をかけるのが正解なのかは、分からないけれど。
唯鈴は1人じゃないと、伝えたい。
俺は唯鈴を抱きしめる。
「唯鈴、唯鈴には俺がいる。こんな時こそ、俺に頼って欲しい。いくらでも、泣いていいんだ」
その後、唯鈴は俺の言葉に気持ちが溢れ出したのか、声を上げて泣き出した。
俺は胸を貸しながら、黙って唯鈴が落ち着くのを待った。
「……落ち着いたか?」
「う、ん……ごめんね朔くん」
「気にすんな。俺が、好きな人のためになりたかっただけだから」
唯鈴は頬を赤らめる。
なんか、この感じ久しぶりだな。
そう微笑ましく思っていると、唯鈴はオレから目線を逸らし、言った。
「……ねぇ、朔くん。朔くんが私にそこまでしてくれるのは、私のことを……あ、愛してるからなの?」
「っ……ああ」
「私も、朔くんのこと愛してるよ」
その「愛してる」は俺の心臓を貫いた。
急にどうしたんだ、唯鈴……?
俺の心拍数なんて気にせず、唯鈴は続ける。
「私、朔くんのおかげで幸せなの。それはもう怖いくらい。だからこれ以上幸せになったら、バチが当たるんじゃないかって思うんだけど……私、欲張りだからさ。ずっと前から好きって思ってたの」
唯鈴は視線を戻し、再び俺の目を見る。
その瞳はやはり……
「朔くん。私と、付き合ってください」
恋を、していた。
俺は今までにない胸の高鳴りを覚える。
でもそれは一瞬で、ふと、脳裏によぎる。
こんな俺が、唯鈴と付き合っていいのか?と。
唯鈴とデートに行った日、俺は『もし俺の力で唯鈴を救うことが出来たら、俺は自分のことが許せるかもしれない』と思った。
でも結局、俺は自分の力で唯鈴を救えなかった。
救ったのは、唯鈴の母親である葉月さんだ。
だから、俺が唯鈴の隣を歩くなんて……
あってはならないと、脳内で否定した時。
同時に、現実世界で唯鈴は声を上げた。
「朔くん、大好きだよっ」
その言葉に、俺の中で何かが吹っ切れた。
ああもうなんなんだ、この面倒くさい頭は。
唯鈴が望んでるんだ、俺と付き合うことを。
何より自分自身が、唯鈴と付き合うことを望んでいる。
だから、答えは決まっている。
「俺も、唯鈴とずっと一緒にいたい。こんな俺でよければ、よろしくお願いします」
「っ……!やった〜!」
「うお、元気だな……って、体大丈夫なのかよ?」
「へーきだから大丈夫!そんなことより今は、喜ぶとこでしょっ?」
……そう、だな。
唯鈴が俺の彼女になったなんて、夢みたいだ。
それはきっと、唯鈴も同じで。
自分はあと一年しか生きられないと分かっていたから、俺の告白にも返事が出来なかった唯鈴。
でももう、これからはそんなこと気にしなくていいのだ。
唯鈴は本当に嬉しそうな顔をしており、なんだかふわふわしている。
「ふふっ、嬉しいなぁ、私が朔くんの彼女なんて……」
「っ……」
ああそうだ。
最初から、唯鈴が望んでいるのだから、その通りにすればよかったんだ。
気づくのが遅くて、今まで唯鈴には何度も悲しい思いをさせたけど。
これからはもう、絶対そんな気持ちにはさせない。
そう誓うつもりで、唯鈴に約束する。
「彼氏だけじゃなくて、俺のお嫁さんになるって願いも、神じゃなくて俺が叶えてやる、絶対に」
「っ……うんっ!」
自分を卑下するようなことも、もう言わない。
ただ君の幸せのために、俺はこの奇跡の命を以て生きていく。
絶望の先にあった、夢のようで夢じゃない、真夜中の奇跡──。