坂の町で、君と。
第1章 夏休み
1-1 夏の昼間
─side 明鈴─
「じゃーね! また遊ぼうね!」
そう言って友人と別れた、中学二年一学期終了式の帰り道。
学校を出て、暑いね、と言いながら友人と一緒に歩き、友人の家の前で別れたところまでは覚えている。通っている中学校は山の上にあって、学校近くに住んでいる友人と別れてから、走って坂を降りようとしたこともなんとなく覚えている。
けれどそこから先の記憶が飛んでいる。
楽しい夏休みを迎えたはずが、路地裏のお店でこっそりアイスを食べようと思っていたはずが、なぜか制服のまま自室のベッドにいた。
カーテンは引いておらず、外はまだ明るい。
身体を起こすと目眩がしたけれど、特に気にせずベッドから降りた。そしてなんとなく目についた制服に、どこかで擦ったような傷があった。部屋に置かれていた通学用の鞄にも、同じような傷だ。
とにかく着替えよう、とクローゼットを開けたとき、再び目眩がした。頭痛と吐き気もわいてきて、立っていられなかった。
「あれ、明鈴、起きた? 大丈夫?」
部屋に入ってきたのは母親だ。
「お母さん……なんか、気持ち悪い……」
「着替えて寝てなさい。夕方になったら病院に連れてってあげるから。あんた、道で倒れてたって」
「え? 道で?」
学校からの帰り道、友人と別れてから倒れてしまったらしい。制服や鞄に傷があったのは、そのときできたものだろう。
「たまたま通りかかった人がいて、負んぶして連れてきてくれたよ。生徒手帳の住所見たって。覚えてない?」
「うーん……あ、そういえば……男の人?」
「そうよ。良かったわ、お母さんの知ってる人で」
母親が知っている人というと、まず人力車の俥夫たちが浮かぶ。でもそれなら私のことも知っているだろうし、住所を教えるまでもないはずだ。
母は少し嬉しそうにしてから部屋を出ていった。私は引き続き頭痛がするので、楽な服装に着替えて横になった。
─side 昇悟─
用事があって朝から出かけていて、久しぶりの景色を楽しみながら坂を下っていた。昼前なのもあってどこの家庭も昼食の準備をしているようで、歩いているのは俺しかいなかった。車で来ても良かったが停めるところがないし、坂道なので自転車は考えなかった。
それが正解だったと思ったのは、道で女子中学生が倒れているのを見つけたときだ。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ、おーい!」
辛そうにはしていたが、俺の呼びかけに彼女は反応した。重い病気だったらどうしようかと心配したが、持っていたスポーツドリンクを飲ませてやると少し落ち着いた。それでも一人で歩くのは難しそうだったのと途中でまた倒れても大変だと思ったのとで、俺は彼女を負ぶって家まで送ることにした。
「家はどこ? 駅のほう?」
「うん……あっち……」
女子中学生を負んぶしている二十歳の男を、怪しいと思って見た人がいるかもしれない。しかし俺はそういうことをする人間ではないし、彼女を自宅へ届けることが最優先で周りの視線は特に気にならなかった。
中央通りを過ぎ、住宅街に入る。彼女は眠ってしまったので、『川井』という名札と生徒手帳に書いていた住所、それから彼女を知っている俥夫たちの情報を頼りに家を探した。
彼女を負ぶったままインターホンを押して、出てきた女性──おそらく母親は驚いた顔をしていた。事情を説明している間に父親も現れて、俺がそのまま部屋に運ぶことになった。
俺はすぐに帰ろうとしたが、玄関で母親に呼び止められた。
「あの、お名前だけでも」
「いえ、そんな、名乗るほどのものじゃないです。当然のことしただけなので」
それでは、と改めてドアを開けようとしたとき、
「もしかして──昇悟君?」
父親が言ったその名前に反応してしまい、思わず振り返った。
「やっぱり、昇悟君か?」
俺を知っているこの夫婦は誰だろうかと記憶を巡らせた。
初めて彼らに会ったのは、俺が朝から行って来た場所だ──。
「じゃーね! また遊ぼうね!」
そう言って友人と別れた、中学二年一学期終了式の帰り道。
学校を出て、暑いね、と言いながら友人と一緒に歩き、友人の家の前で別れたところまでは覚えている。通っている中学校は山の上にあって、学校近くに住んでいる友人と別れてから、走って坂を降りようとしたこともなんとなく覚えている。
けれどそこから先の記憶が飛んでいる。
楽しい夏休みを迎えたはずが、路地裏のお店でこっそりアイスを食べようと思っていたはずが、なぜか制服のまま自室のベッドにいた。
カーテンは引いておらず、外はまだ明るい。
身体を起こすと目眩がしたけれど、特に気にせずベッドから降りた。そしてなんとなく目についた制服に、どこかで擦ったような傷があった。部屋に置かれていた通学用の鞄にも、同じような傷だ。
とにかく着替えよう、とクローゼットを開けたとき、再び目眩がした。頭痛と吐き気もわいてきて、立っていられなかった。
「あれ、明鈴、起きた? 大丈夫?」
部屋に入ってきたのは母親だ。
「お母さん……なんか、気持ち悪い……」
「着替えて寝てなさい。夕方になったら病院に連れてってあげるから。あんた、道で倒れてたって」
「え? 道で?」
学校からの帰り道、友人と別れてから倒れてしまったらしい。制服や鞄に傷があったのは、そのときできたものだろう。
「たまたま通りかかった人がいて、負んぶして連れてきてくれたよ。生徒手帳の住所見たって。覚えてない?」
「うーん……あ、そういえば……男の人?」
「そうよ。良かったわ、お母さんの知ってる人で」
母親が知っている人というと、まず人力車の俥夫たちが浮かぶ。でもそれなら私のことも知っているだろうし、住所を教えるまでもないはずだ。
母は少し嬉しそうにしてから部屋を出ていった。私は引き続き頭痛がするので、楽な服装に着替えて横になった。
─side 昇悟─
用事があって朝から出かけていて、久しぶりの景色を楽しみながら坂を下っていた。昼前なのもあってどこの家庭も昼食の準備をしているようで、歩いているのは俺しかいなかった。車で来ても良かったが停めるところがないし、坂道なので自転車は考えなかった。
それが正解だったと思ったのは、道で女子中学生が倒れているのを見つけたときだ。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ、おーい!」
辛そうにはしていたが、俺の呼びかけに彼女は反応した。重い病気だったらどうしようかと心配したが、持っていたスポーツドリンクを飲ませてやると少し落ち着いた。それでも一人で歩くのは難しそうだったのと途中でまた倒れても大変だと思ったのとで、俺は彼女を負ぶって家まで送ることにした。
「家はどこ? 駅のほう?」
「うん……あっち……」
女子中学生を負んぶしている二十歳の男を、怪しいと思って見た人がいるかもしれない。しかし俺はそういうことをする人間ではないし、彼女を自宅へ届けることが最優先で周りの視線は特に気にならなかった。
中央通りを過ぎ、住宅街に入る。彼女は眠ってしまったので、『川井』という名札と生徒手帳に書いていた住所、それから彼女を知っている俥夫たちの情報を頼りに家を探した。
彼女を負ぶったままインターホンを押して、出てきた女性──おそらく母親は驚いた顔をしていた。事情を説明している間に父親も現れて、俺がそのまま部屋に運ぶことになった。
俺はすぐに帰ろうとしたが、玄関で母親に呼び止められた。
「あの、お名前だけでも」
「いえ、そんな、名乗るほどのものじゃないです。当然のことしただけなので」
それでは、と改めてドアを開けようとしたとき、
「もしかして──昇悟君?」
父親が言ったその名前に反応してしまい、思わず振り返った。
「やっぱり、昇悟君か?」
俺を知っているこの夫婦は誰だろうかと記憶を巡らせた。
初めて彼らに会ったのは、俺が朝から行って来た場所だ──。
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