花と共に、あなたの隣で。
世には、“記憶能力欠乏症”というのがあるらしい。
先天性と後天性があって、前者の場合経過が非常にゆっくり。一方後者は非常に早く、あっという間に症状が出て……。両者とも、最終的には死にゆくらしい。
記憶が……というか、覚えていたことを徐々に忘れていく。記憶の消失と共に、身体機能も連動して落ちていく為、最終的には寝たきりになる。そうして、その人は死んでいくのだと。ナベはそう教えてくれた。
「戸野は後天性の“記憶能力欠乏症”だった。大学を卒業して2年後くらいに、急に発症したんだ。……早かったよ。病気が見つかってから1年も経たずに寝たきりになったのだから」
何の予兆も無かったらしい。急すぎて。あまりにも突然で。ナベ自身も理解に苦しんだという。
「でね、未来ちゃん……。非常に言いにくいんだけど——……」
「私も、その戸野さんと同じ病気ってこと?」
「……」
「そういうことでしょ?」
「…………」
またナベは何も言わなかった。
潤んでいた瞳から零れ落ちる一筋の涙。それは……私の言葉を肯定したと捉えても良いだろう。
静かな墓地に吹く、秋らしい爽やかな風。
小さく揺れる彼岸花だったが、中でもやはり『戸野家』と書かれたお墓の周りに咲く花だけ、強く自己主張をするかのように揺れ動いていた。
まるで、生きている————……。そう感じてしまうくらいに。
「……未来ちゃんは、先天性の“記憶能力欠乏症”なんだ。生まれつき血液を始めとする、体の複数個所に異常があって、それでずっと僕の元に通って貰っていた。最初は当然小児科だったんだけど、早かったよ。脳神経内科に切り替わったタイミング。大方、当時の小児科医は“何か”に気が付いていたのだろう」
「……」
「血液……というか、主に白血球数に異常が出る。最初は“白血病”と間違わないように、他の要因も加味しながら慎重に検査をしていくんだ。先天性の“記憶能力欠乏症”の人は白血球数の増加が緩やかで、基準値よりも少し高いかな。というのがずーっと続く。未来ちゃんも、そうだったんだけど……」
そこで、一旦言葉を切ったナベ。
何だかんだ言いながらも、私自身覚悟はできている。
だから——……ナベが何を言いたいのか。比較的簡単に理解ができた。
「中学の時に余命云々言い出したのって、そのタイミングで白血球数の数値が爆上がりしたってこと?」
「……」
「てか最近、運動がめっちゃ苦しいんだけど。それってやっぱり白血球が高いのが関係あるってことよね」
「未来ちゃん……」
覚悟をしていた分、思ったより衝撃は少なかった。
何だ、そんなことか。そう思ってしまう自分が、正直怖い。
一方、堰を切ったように泣き出したナベは、『戸野家』と書かれたお墓の前に座り込み、両手で顔を覆っていた。嗚咽が漏れ、見たことないくらい泣きじゃくるナベの肩に、そっと自身の手を乗せてみる。
「ナベ。別に私、悲しく無いよ。正直、自分の病気のことを殆ど知らなかったからさ、余命云々言われたって実感が無かった。だけど……教えてくれてありがとう。なんとな~く、軽い気持ちでしていた覚悟が、より一層強くなった……気がする」
振り向いたナベは、顔を真っ赤にして涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。その顔が面白くてつい笑ってしまうと、ナベも泣きながら笑みを浮かべて「未来ちゃん、強いね」と一言呟いた。
多分、強くはない。
私は強い人間では無いけれど……。
「私が死ぬ時は、ナベが傍に居てね」
そう笑顔で呟くと、先程よりもより一層泣き出したナベに、強く、だけど優しく抱きつかれた。包み込むように私を抱きしめながら「僕は、君を死なせたくない……!!」と絞り出すような声で囁く。
ヒューッと、また強く吹いた風。
スピリチュアルや宗教などは信じていないけれど。
その強い風で激しく揺れる、目の前の一輪の彼岸花から。
私でも、ナベでもない。
『きっと、病気に勝てるよ——……』
まるで私を鼓舞するかのような言葉が、微かに聞こえたような気がした————……。