花と共に、あなたの隣で。


 廊下の窓からグラウンドの方を眺めると、まだマラソン大会は継続されていた。
 今は1年生の女子が走っているらしく、佐藤先生の「諦めんな! 走れ!!」という、ひたすら生徒を(あお)る声だけが良く響いている。

 ————私、戸野くんに佐藤先生のことを指摘されて、何であんなに怒りが湧いたのだろうか。

 佐藤先生の姿を見て、色々と思うことがあった。
 最初こそ、やたら絡んでくる教師。くらいにしか思っていなかった。それなのに、今は先生の存在に助けられていることがある。
 私が自分自身のことを、初めて打ち明けた人だからだろうか。
 先生が……ただただ優しいからだろうか。

「……分かんない」


 行く宛のない私は、特別教室棟の裏に向かった。2回ほど、佐藤先生と過ごしたあの場所。
 2回目の時にはまだ少しだけ残っていた秋桜は完全に姿を消し、代わりにフェンスに沿って植えられている山茶花の赤が、薄く白化粧をして咲き誇っていた。

 段差に座り込んでいると、徐々に積もり始める雪。私の紺色のブレザーも、少しずつ白くなっていく。遠くから聞こえて来る応援の歓声と、先程よりも一層大きく聞こえる先生の声に静かに耳を澄ませた。
 今もまだ聞こえる、生徒を(あお)る声。あの大きな声に対して妙な感情を抱いていると、今度は違う声が耳に入ってきた。


「——森野」

 戸野くんだった……。
 どうしてここが分かったのかは分からないが、やたらとしつこい彼に対して嫌悪感を抱く。今日初めて話した人に、どうしてここまで追われなければならないのか。それだけが全く理解できなかった。

「…………しつこいって、言われない?」
「言われない。言われる人がいない」
「戸野くん……。普通、ここまで追い掛けてくる?」
「普通は追い掛けないと思う。だけど、逃げたのが君だったから。森野だから、追い掛けた」
「意味分かんないって」

 ゆっくりと歩みを進めて近付いて来る戸野くんは、先程よりも悲しそうな表情をしていた。……もし、もしも彼が、自分のお兄さんと私を重ねているのならば——……。

「……戸野くん。どういう経緯でナベが私のことを話したのか知らないけれど。私は私であって、君のお兄さんではない。偶然同じ病気を持った人がクラスに居て気になるのも分かる。だけど、正直迷惑なの。私は、死ぬ時にはポックリ死ぬ。誰にも心配かけず、誰にも気にされず……。だから私は誰とも関わりたくないっ!」

 ちらちらと舞っていただけの雪が徐々に力を強め始める。それでなくても白くなっていた制服には、更に雪が積もり始め、頭をも白くしていく。
 戸野くんも例外では無かった。ジャージ姿のままの戸野くん自身にも、雪が積もり白くなっている。

「……そう言うくせに。佐藤は別なんだ」
「べ、別とかじゃない! 佐藤先生は……っ」
「俺がどうした?」
「!」
「何しているんだい、戸野」

 少し呼吸を乱し、肩で呼吸をしている佐藤先生。 
 ふぅ……と大きく息を吐き、戸野くんを睨みつけるように声を上げる。

「誰がサボって良いって言った?」
「……マラソンなんかよりも、大事なことがあったんです」
「——いや、無い。今のお前にとって、マラソンよりも大切なことは無い」

 はよ戻れ、と戸野くんをグラウンドの方に押していく先生。戸野くんも先生も不機嫌そうで、特別教室棟の裏には妙な空気が漂っていた。



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