花と共に、あなたの隣で。


 しばらく歩くと、少し先に一面真っ赤に染まった温室が見えてきた。
 温室の中には入れないけれど、外からならその赤を鑑賞することができる。

 先生と2人、手を繋いで眺める真っ赤なポインセチア。
 繋いだ手から伝わる先生の震えが余計にリアルで、妙に泣きたい気持ちになってしまう。

「……森野未来(みく)
「……えっ?」
未来(ミライ)を願い付けられたその名前。それに対して、虚しく思うことは無い?」
「虚しく……」

 それは、虚しいよ。
 何が未来(ミライ)だ。余命宣告された日から、何度も何度もそう思ってきた。

 だけど、先生に対して返答ができなくて黙り込んでしまった。
 虚しいけど、それが自分の名前であり、運命である。
 何も悪くない、誰も悪くない。



 無言のまま温室を後にして、ゆっくりとまた歩き始めた。
 静かな風に乗って届く花の香りを嗅ぎながら、どう回答するのが正解かを考え悩む。

「……」

 黙り続けていると先生はその場に立ち止まり、手を(ほど)いてカードケースを取り出す。そしてその中から免許証を取り出し、私に差し出したのだ。
 どうして免許証なんか……。そう思いながら受け取ると、そこに書かれていたことに大きな衝撃を受けた。

「……え?」
「……それが、俺のフルネーム」

 免許証の氏名欄には“佐藤未来”と書かれていた。私と同じ名前……“未来”。その事実に驚きが隠せない。

「俺は、“みき”って言う。女性の名前みたいで昔から苦労してね。本当にこの名前が嫌いで、今の高校でも下の名前は隠しているんだよ」
「確かに……一度も聞いたことが無かったです」

 佐藤先生は少し悲しそうに俯いていた。

 “未来(ミライ)を願い付けられたその名前。それに対して、虚しく思うことがあるか。”
 先程は答えられ無かったのに、先生の話を聞いた今なら、何だか答えられるような気がした。

「私は……。未来(みく)って名前が大嫌いです。虚しいですよ」
「……だよな。俺もだ。名前のせいで虐められてきたし、余命宣告されて、余計に嫌いになった。何が未来(ミライ)だ……。そう思い、許せなかった」

 だけど……。
 そう言って先生は言葉を継いだ。

 森野に出会って。
 同じ“未来(ミライ)”に出会って。
 2人して余命宣告されていて。
 “未来(ミライ)”なのに、“未来(ミライ)”が無い。

「俺は森野と出会って初めて、この名前も悪くないって思ったよ」
「……」

 先生に免許証を返し、良く鍛えられた力強い腕に抱きついた。
 湧き上がる様々な感情に正解が見いだせず、俯き静かに涙を零す。

「多分、俺の方が先に死ぬんだろうな」

 静かにそう呟いた先生の言葉に、更に涙が溢れ出た。
 一方、泣いている私を他所に、先生は優しく微笑んでいる。
 
「……駄目です、先生。私が死ぬ時は傍に居てと、私が先に頼んでいます。私より先に先生が死ぬなんて、許しませんから」
「……だからぁ。一緒に死のうかって言っているじゃん」
「死ぬタイミングなんて合わせられませんよ」
「俺、森野となら合わせられる気がする」
「……え、流石に意味不明すぎますよ」

 2人して笑い、涙を零す帰り道。
 泣き笑いの私たちは、もう自身の感情すら制御できなくなっていた。

 憎き“記憶能力欠乏症”。私だけならまだしも、佐藤先生まで(むしば)み、牙を()く。

 いつも通りを装うとする佐藤先生だったが、不意にやって来るやり場のない感情に押し潰されそうで。辛そうで、苦しそうで、それがあまりにも普段の様子からかけ離れていて、正直見ているこちら側もかなり辛かった……。



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