花と共に、あなたの隣で。
日が落ちて僅かな電灯だけが足元を照らす廊下。日誌を提出するため職員室に向かっていると、突然扉が開いた教室から「森野」と私を呼ぶ声が小さく聞こえて来た。
聞き馴染みのある声。その姿を見なくても、誰かなんてすぐに分かる。
「びっくりしました…………」
「ごめん」
「突然開かないで下さいよ。寿命が縮まりました」
「それは大変だ」
その声の主————……佐藤先生は、軽く手招きをして私を教室の中へと導いた。そこは物置のようになっているようで、大きな棚が並ぶ部屋に沢山の物が並べられている。少し埃っぽいこの部屋で、先生は一体何をしていたのだろうか。
「ねぇ、森野。俺が原因でいじめられているって、どういうこと?」
「……え?」
私の前にしゃがみこみ、両手で私の両腕を掴んで悲しそうな表情をしていた。
戸野くんとの会話を聞いていたとしか思えない先生の言葉。いつから、どのくらい聞いていたのだろうか。
「ねぇ……死ねって言われたってどういうこと? 菊の花も石ころも、俺は何も聞いていないよ?」
「……話、聞いていたのですか」
「ごめん……。森野が教室で日誌書いてるって聞いたから。様子を見に行こうと思って」
次第に目が潤み始める先生。その両手は酷く震えていた。
扉の窓から僅かに差す電灯の灯りだけが頼りの室内に2人。お互いの呼吸音だけが、静かに響く。
「——いじめの原因は先生じゃないですよ。私が悪いんです」
「この前もはぐらかして言わなかっただろ」
「先生のせいじゃないからです。全て自己責任ですから」
頑なに理由は語らず、その台詞ばかりを繰り返した。全然納得していなさそうな先生は、そっと目を伏せて溜息をつく。そして一言「俺には何でも話してくれって言ったじゃないか……」と呟いた。
その言葉に返答できず先生から目線を逸らすと、優しく腕を引っ張られてその場に座らされる。そして、そっと先生の胸に包み込まれた。
「お願いだから、俺の前では強がるなよ……」
たった一言だったけれど力強い先生の声色。それとは反対に、抱きしめてくれていた腕の力は、以前と比べ物にならないくらい弱々しくなっていた。実感したくないのに、こういうところで先生の病気を実感してしまう。私の体力が落ちているのと同じように、先生も体力が落ちているのだ。
まだ2人とも記憶の欠乏は感じられないけれど、それもいつかはやってくる。その現実がまた怖くて、恐ろしい。
「……森野、わかば園まで送る。一緒に帰ろう」
「でも、そんなところ見られたら何を言われるか……」
「誰に何を言われるの」
「……」
「大丈夫。俺がお前を守る」
2人で物置のような部屋を出て、職員室に向かった。