花と共に、あなたの隣で。
全員の50メートル走が終わると、今度はソフトボール投げ。運動が苦手な私だが、これだけはそこそこできる。と言っても、平均以下なのには変わりないが。
順番が回ってきて、ソフトボールを持って石灰で引かれた円の中に入る。右利きなのにボールは左で投げる私は、左肩を軽く回して準備に入る。すると記録係の同級生たちが「森野さんは飛ばない」なんて失礼な事を言いながら前に出てくるのだ。皆が立った場所はここから5メートルの位置。悪いけど、流石にそれ以上は飛ぶよ、と心の中で声を掛けて大きく振りかぶる。
勢いよく手から離れたソフトボールは優に同級生たちを越えて、11メートル地点に落下した。絶句とも取れる表情で固まった同級生たち。てんってん……とバウンドをして止まったソフトボールを笑いながら拾った先生は、ふわっと弧を描く様に私の元へ投げ返して、記録係に声を上げた。
「お前ら、人を見くびるな?」
そう言う先生も前の方に立っていたのを私は見逃していない。飛んでいくボールと共に走っていた様子をちゃんとこの目で見ていた。
女子のソフトボール投げが終わり、再び休憩になったタイミングで近付いてきた先生。「あいつら酷いよなぁ」なんて言って話しかけてくるから「先生も走ってました」と返すと、小さく舌を出して意地が悪そうに微笑んだ。
「しかし、森野は左利きなんだな」
「ペンや箸は右です。それ以外が全て左です」
「へぇ、面白いね」
多分、ペンと箸だけは親が矯正したのだろう。記憶には無いし、親からそんな話も聞いたことが無いけれど。大きくなるに連れて膨らんできた違和感。その違和感はきっと、長年右利きだと勘違いしていた私自身。何でボールは左なんだろう。それすら分からずに違和感を抱いたまま、あっという間に高校生になってしまった。
先生はまた記録表に何かを記入して「うーん」と小さく声を上げる。その様子に少しだけ首を傾げると、先生はニヤッと笑ってボールペンの先を私の方にそっと向けた。
「走るのが苦手でも、ボール投げができれば上出来だろ」
想像を遥かに超えたその一言。あまりにもストレートで心に届く言葉に、思わず先生から目線を逸らした。そんなことを言ってくれる人が、過去にもいたら良かったのに。……なんて、捻くれそうな心に負けないように、そっと遠くを見た。
「……やっぱり佐藤先生は褒めてくれるんですね」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
去年のスポーツテスト……中学校で3回目だったけれど、その時の50メートル走は15秒。ソフトボール投げは9メートルだった。学年どころか、全学年で最下位の記録所持者の私を、その時の体育教師は嘲笑いながら酷い言葉を投げかけた。その言葉に傷付き、元々大嫌いだった体育のことがより一層嫌いになったものだ。
遠くを見つめながら考え事をしていた私の顔を覗き込んで「おーい」と声を掛けてくる先生。目が合い、フッと微笑むと先生もまたニヤッと笑った。
「何を考えているか知らないけど、それが森野の個性だ」
「個性?」
「……みんな同じだと、面白くないだろ」
それだけを言い残して先生は男子の方に向かって歩き始め「おら、次はお前らだ!」とよく通る声でそう叫んだ。
スーッと吹き抜ける爽やかな風。最初は寒いと思っていたのに、日向で呆然と座っていると次第に体がポカポカしてきて何だか心地良い。体育は嫌いだけど、こうやって過ごす時間は好きかも。校庭の角で咲き誇っている菜の花が目に付く。あんなところに菜の花があったんだ、なんて新発見をしたりして。体育以外の箇所に楽しみを見出す。
少し離れた場所でソフトボール投げをしている男子。そして黄色い歓声を上げながら見学をしている、派手な部類の女子たち。そう言えば、高石くんが格好良いとかって入学した時からみんな騒いでいたっけ。私は全く興味が無いけれど。格好良いとか、好きとか……そういう感情はあまり良く分からない。