花と共に、あなたの隣で。
その瞬間、飛び出た勢いで目の前にいた人とぶつかってしまった。相手の胸にぶつかり、跳ね返った衝撃で尻もちを付いた私。「いたっ……」と呟きながら顔を歪ますと、ぶつかってしまったその人は「……森野」と小さく呟いて、そっと手を差し出して来た。
「森野、どうした。大丈夫か」
「せ……先生?」
現れたその人は佐藤先生だった。
悲しそうな表情で差し出されたままの手を握り、ゆっくりと立ち上がる。佐藤先生とナベと私。3人が同時に顔を合わせるのは初めてで、何故か少しだけ緊張した。
「ご、ごめんなさい。先生こそ大丈夫ですか」
「俺は大丈夫」
握った手を離し、私と先生はナベの方に視線を向ける。怪訝そうな表情のナベは「佐藤さん……何しに来たのですか」と冷たく言い放った。
「森野に会いに来た。それ以外、理由が必要?」
「会うな、と言っているのです」
「医者がそこまで干渉する必要ある?」
「……」
「大体、今日は“森野の教師”として来たんだ」
ほら、これ。と紙袋を差し出されて受け取る。中には学校からのお知らせや、各科目の課題なんかが入っていた。その中にある、見慣れない形の何か。それが気になり真っ先に手に取ってみると、正方形の色紙が出てきた。沢山の文字が並ぶ色紙。それが何なのか、頭では全く理解ができなかった。
「こ、これは……」
「1年A組からだよ。戸野から預かった」
「……」
「教室に来いってよ。森野自身は知られたく無かったかも知れねぇけど、他の奴らは何も思っていないし、寧ろ今まで知らなかったことを悔やんでる奴も半分くらい居るみたいだぞ」
そんなの嘘だ。そう思いながら、再度色紙に視線を落とす。
《病気のこと知らなかった。水臭いな、1人で隠す必要なんてなかったのに》
《私、森野さんが読んでいた本好きなの。ずっと話し掛けたいって思っていた。良かったら教室に来て。お話したい》
《嫌がらせして、悪かった。病気、ましてや余命宣告なんて知りもせず、嫌がらせをして暴言を吐いたこと。直接謝りたい》
「……嘘だ」
「嘘じゃないと思うよ。事実確認は、この俺がしているからな」
「……」
クラスメイト39人分。一言ずつ書かれた沢山の言葉は、全て私に向けられていた。
佐藤先生は「あと、1年A組には、俺から何度も教育的指導を施している」とドヤ顔で呟き「担任より担任っぽいだろ?」と言って今度は微笑んだ。
一方、先生との会話を聞いていたナベは、1人複雑そうな表情をしていた。何も言えずに俯くナベ。その様子に私もまた、掛ける言葉が無い。
「……てか、ごめん。座っても良いかな」
「あ、こっちです。気が利かなくてすみません」
「良いんだ。森野が謝ることではない」
少し辛そうに首を傾げた先生を、わかば園の共有スペースに連れて行って椅子に座ってもらった。ふぅ……と小さく息を吐いた先生は「体育教師も、限界だな」とこれまた小さく呟く。軽く飛び出したその言葉はあまりにも重たくて、自然と気持ちが下がるような気がした。
「……佐藤さん。これ以上進行すると、入院になります。その場合、仕事は辞めて頂くことになりますよ。“記憶能力欠乏症”が原因での入院。それは人生の終末期を指します」
「ったく、言われなくても分かってるよ。……俺、来年度からクラス担任を受け持たないことになっている。端から俺は、そのつもりだよ。……終末期? 上等だよ」
唇を噛んで複雑そうに先生を見つめているナベと、ニヤッと口角を上げて微笑む佐藤先生。対照的な2人を眺めていると、じわっと涙が込み上げてくるような感覚がした。
「————はいはーい、そこのお三方~。もうっ、通夜じゃないんだから。うちのテリトリー内で暗い雰囲気を醸し出さないでよ」
「……朱音さん」
ふらっと現れた朱音さんは、細くて短い花瓶を手に持っており、その中には土筆と菜の花が生けられていた。「今年は菜の花が早いんだ」と言った朱音さんに対して、ナベは「それ全部、天ぷらにしたら美味しそうですね」と雰囲気の無いことを告げる。荒く花瓶を置いてナベの元に駆け寄った朱音さんは「渡邊~~~~」と唸りながらベシッと頭を叩いていた。
今の朱音さんには、朝の悲しそうな様子は見られない。だけど、無理して笑っているような様子が垣間見えて、少しだけ複雑だ。
一方、その様子を眺めていた佐藤先生は楽しそうに微笑んでいた。最近あまり見なくなった無邪気な笑顔を見せながら、「土筆の天ぷら良いなぁ」と呑気に呟き花瓶に手を伸ばしている。やっぱりその笑顔が眩しくて、素敵で、嬉しくて。私は涙が滲むのを抑えることができなかった。