花と共に、あなたの隣で。


 放課後、疲労困憊(こんぱい)となってしまった私は、帰る前に教室で休憩していた。沢山のクラスメイトと会話をできたのは良かったけれど、病気が進行中の私にとっては少々辛いものだった。


 机にうつ伏せて休んでいると、ゆっくりと教室の扉が開く。

「森野」
「佐藤先生……と、戸野くん」

 静かな教室に現れた先生と戸野くん。珍しい組み合わせに首を傾げていると、戸野くんは私の隣に座り、先生は私の後ろにゆっくりと座った。
 窓の外から聞こえてくる生徒の声。そちらの方に寂しそうな視線を向ける先生と、真っ直ぐ優しそうな瞳で私を見つめてくる戸野くん。黙ったままの2人は、特に何かを言うわけではなかった。

「……森野。色々と本当に申し訳なかった。陸也くんに頼まれたとは言え、森野の気持ちも考えずに勝手なことして、本当に申し訳なかったと思っている」
「本当だよ」

 ごめんなさい、と呟き深く頭を下げる戸野くん。それを横目に、私も佐藤先生と同じように窓の外を眺めた。静か言葉を継ぐ戸野くんの声に耳を傾けながら、楽しそうな生徒たちに目をやる。キャッキャと男女が騒いでいる様子に、私には無い青春を感じた。

「僕が1年A組のみんなに森野の病気を話した理由は、陸也くんの願いと同じ。どうにかしてでも、僕は森野に同級生と関わりを持って欲しかった。……だけど最初クラスで話した時、酷く驚かれたし……大体、森野いじめられていただろ。だから、正直な話。異常なまでに雰囲気が悪くなった」
「……でしょうね」

 戸野くんの言葉に、ずっと黙っていた先生が口を開いた。ボソッと「結局、何でいじめられていたのか、聞いてないな……」と呟いたものの、その言葉は聞こえなかったことにした。
 窓の外では楽しそうな生徒の横で、鳥たちが追いかけっこをしている。妙にその様子が気になり、ジーっと見つめる。すると、同じように鳥を眺めていた先生は「俺も鳥になりたい……」とまたボソッと呟き、頬杖をついていた。

「……結局、改善できなくて。僕は中途半端にクラスの空気と森野の印象を悪くしてしまっただけだった。自分ではどうしようもなくなってしまった時、助けてくれたのが、佐藤先生だった」
「……え?」

 頬杖をついたままの先生。
 まだ鳥を眺めながら「戸野の為じゃないよ。森野の為だから」と呟き、今度は机に顔を伏せる。先生の顔が青白い。調子が良くなさそうな様子に、少しだけ焦りを覚える。

「俺は結局、森野がいじめられていた原因を知らない。だけど、戸野が悪くした空気を良くすることはできる。担任では無いけれど、教育的指導を何度も繰り返してきたクラスだ。俺の手にかかれば、難しいことなど何もない」

 言葉は自信に満ち溢れているが、声色は弱々しい先生。ニコッと力無く微笑んでいる先生に「流石ですね」と言葉を掛けると「当たり前だ」とまた声を出し、小さくガッツポーズをした。

「結局、僕は沢山の人を巻き込んで困らせただけだった。陸也くんの頼みを完遂させたいとか、兄の無念を晴らせたいとか、色んなことを考えた(ゆえ)の行動だった。だけど結局、色んな人を困らせて、特に森野については酷く苦しめた。……僕は馬鹿だ。本当に、ごめんなさい」

 私に向かって深く頭を下げる戸野くん。
 視線を窓からそちらに移して姿を眺めた。

 戸野くんのやったことは確かに間違っていた。けれど正直なところ、あの色紙も嬉しかったし、今日のクラスメイトの様子も嬉しかった。こんなにも同級生と会話をしたのは初めてだったし、自分が改めて高校生であり『1年A組に所属している生徒』であることを、最終日である今日、ちゃんと実感することができた。

 ここに至るまでの過程は最悪だったけど、私は戸野くんをこれ以上責めようとは思わない。

「戸野くん、謝らないでよ。私が惨めに思えるじゃない」
「……森野」
「でも、結果的には良かったんじゃないかな。……とはいえ、戸野くんもナベも、2人のことは一生許さないけど」
「……」
「なーんてね」

 そう言って誤魔化し「ふふーん」と軽く微笑んだが、顔を上げた戸野くんは泣いていた。


 徐々に日が落ち、薄暗くなる教室。
 うつ伏せたままの先生は「戸野、遅くなる。もう帰れ」と小さく呟いていた。

「……てか、先生。僕は兄貴を見ていたから分かります。佐藤先生、本当に不味いですよ」
「何が?」
(とぼ)けないで下さい。病気のことですよ。このままでは先生は……!!」
「不味いとかどーとか言うけど、どうせ死ぬしか未来(ミライ)は無いんだ。……大体な、不味いのは当事者である俺が1番分かってるっつーの。バーカ」

 “記憶能力欠乏症”の後天性である佐藤先生。
 やっぱり、先天性の私とは比べ物にならないくらい、病気の進行が早かった。

 先生は、私に会いに来てくれる度に少しずつ弱っていた。
 このままでは新年度を迎えられないかも、なんて笑っていたけれど。それが現実になりそうで怖い。

 私も先生と同じペースで病気が進行すれば良いのに。
 病気は間違いなく進行しているけれど、先生とはやっぱり比べ物にならない。それが物凄くもどかしかった。


「戸野……とにかく帰れよ。森野にちゃんと説明したんだから。もう良いだろ」
「帰るのは先生の方です。僕は森野と帰ります」
「バーカ。森野は俺が送るんだ。お前はさっさと1人で帰れ」
「そんな青白い人が何を」
「残念。こちらは車なものでね。お前には負けんぞ」

 まるで玩具でも取り合う子供かのような2人のやり取り。
 その様子を呆然と眺めていると、何だか思わず笑いが零れた。

「……戸野くん、先生と話すことがあるんだ。私、先生と帰る」
「僕、振られたってこと?」
「うん。バイバイ、戸野くん」

 何の躊躇(ためら)いも無く手を振り、戸野くんに別れを告げる。彼は物凄く不満そうだったが、私と先生の意思を()んで1人で帰ってくれた。



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