花と共に、あなたの隣で。


 教室に先生と2人きり。椅子を先生の方へ引き寄せて座り、そっと頬を寄せた。呼吸音が聞こえるほどの至近距離で顔を覗き込み、優しく頬に自身の唇を重ねる。音を立てないように離れて再び顔を覗き込むと、嬉しそうに微笑んでいた先生は「幸せ」と呟いてニコッと更に口角を上げた。

「……未来」
「……先生、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫。めちゃくちゃ元気が出た」

 ゆっくりと体を起こした先生の顔色は、やっぱり青白かった。だけどしっかりと微笑み、「まだ死なんぞ!」と小さく声を上げた。

 暗くなってしまった教室に差す僅かな光。それだけを頼りに教室から出て、先生は職員室に荷物を取りに行った。


 そこから移動する際、手摺りを握りながらも時折バランスを崩す先生が心配だった。結局のところ、佐藤先生はどうしようもないくらいに弱っている。大丈夫だと言う言葉とは裏腹に、身体は限界に近そう。



「……しかし、未来は強いね」
「唐突になんですか」
「いや、どうしても伝えたくなった。あんなに同級生とは関わらないって言っていたのに、ちゃんと受け入れて凄い」
「……強いのは、先生です。てか、先生のお陰で穏便に済みました」
「俺は何もしていない。未来の努力だよ」
「違いますよ。先生変なの」

 先生の車に乗り込んですぐ、シートベルトを嵌めた先生はそう呟く。ふぅ……と溜息を吐き「行くね」と声を発した先生は、少しだけ口角を上げて微笑んでいた。

 すっかり暗くなってしまった外。
 窓の外に見える真っ暗闇に目を向けると、ちょうど校門の辺りに咲いている桜が視界に入った。

 この前の菜の花もそうだったけれど、今年は花の開花が早い。そう思ったのは佐藤先生も同じだったようで、「森野が筋トレ出来ずに怒り狂った去年の4月。あの日も、桜が咲いていた」と言った。

「……私、怒り狂っていませんよ」
「でも、あの時が1番最初だったな。2人で見つめた中途半端な桜。今の桜を見ても、あの頃の記憶が鮮明に蘇ってくる。いつ消えるか分からない記憶なのに、俺の中で大切な記憶として今でも綺麗に色づいているんだ」
「……先生。今度、桜を見に行きましょう」
「桜、見に行く?」
「はい。先生と一緒に桜が見たいです」

 先生の方は向かずに窓の外を向いたまま、そう言葉を投げかける。運転中の先生は「ふふっ」と1回微笑んで「良いね、絶対行こう」とまた笑顔で答えてくれた。

 他愛のない話をしながらも、やっぱり辛そうな先生。
 青白さは変わらないままの顔で微笑み続け、どうにか川内(せんだい)総合病院に辿り着く。そして外来駐車場に入って車を停めた先生は「……未来、着いたよ」と一言呟いたのを最後に、そのまま意識が無くなってしまった。

「えっ、先生?」
「……」
「先生!?」

 真っ先に心音を確認するも、音は変わらず聞こえ続けていた。それにひとまず安心しつつ、今度は軽く体を叩いてみる。それでも佐藤先生は目を覚ます気配が無かった。

「……う、嘘でしょ」

 車から飛び降り、わかば園の玄関に向かう。
 私自身も体力が低下しているというものの、今はそんなこと気にしていられない。今の私が出せる精一杯の力を振り絞ってナースステーションに向かい、朱音さんを呼んだ。

「朱音さん、朱音さん!」
「未来、おかえり」
「おかえりじゃない!! ねぇ、朱音さん! 助けて!!」
「どうしたの!?」

 全力で朱音さんを外に呼び、佐藤先生の車まで連れて行く。そして、今も変わらず意識が無い佐藤先生を見てもらうと、スマホを取り出して速攻どこかに電話を掛けた。

「…………あ、渡邊? 至急、大至急でわかば園付近の外来駐車場まで。君の患者がピンチだ」

 それだけを告げた朱音さんは、今度は急いで座席の背もたれを倒して先生の体を横にした。楽な体勢を取らせる。何が原因であっても、それがコツなのだと朱音さんは教えてくれた。

 焦っている私を横目に、至って冷静であった朱音さん。聞いた話によると、少し前までは看護師をしていたらしい。今でこそわかば園の受付担当というイメージが強いが、かつては病院でバリバリ働いていたみたい。
 その頃の記憶と知識が役に立っているんだ、と微笑みながら流れる汗を拭っていた。



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