早河シリーズ序章【白昼夢】
 そして佐藤の思考は現在へ戻る。誰にも語ることのない回想場面を追い払い、彼はこちらを威嚇する刑事を見据えた。

『佐藤。お前はある裏組織に所属しているな。組織でのお前の名前はラストクロウ』
『そんな情報まで。さすが警視庁の方だ』
『間宮さん殺害の指示を出したのはその組織の人間か?』
『それは答えられる範囲の質問ではありませんね』

 佐藤は話を強制的に打ちきり、視線を上野から胸元にいる美月に移した。

『美月、俺から離れろ』
「嫌! 離れたくない!」

美月がさらに強く佐藤にしがみつく。佐藤の片手は美月の腰に添えられ、もう片方には冷たく光るナイフ。
万が一にも美月の肌を傷付けてしまわないようにナイフは美月から遠ざけている。

「ひとりで死ぬつもりなんでしょ? 私、昨日見ちゃった。クローゼットの中の荷物……。緑色の瓶があったよね。薬みたいなものが入っていたけどあれって毒じゃないの?」

 昨夜、佐藤が風呂に入っている最中の出来事だった。佐藤の衣服を仕舞うためにクローゼットの扉を開いた時に転がり落ちて来た緑色の小瓶。あの小瓶を見た時から感じていた予感。

『そうか……。お前、そこまで知ってて……』

 本当に、この少女には敵《かな》わない。すべてを知っても彼女は彼を受け入れて愛した。

抱き寄せる、強く。
抱き締める、強く。

「私を殺すなら殺していいよ」

 佐藤に力強く抱き締められ、美月は彼の首筋に顔を埋めた。
1㎜の隙間も隙間もないくらいに身体を寄せた。彼の首筋を濡らすものが互いの涙なのかそれとも汗なのか、もうよくわからない。

離れない、離さない、離したくない
どうしてここまで惹かれ合ってしまったの?
どうしてここまで愛し合ってしまったの?

「あなたに殺されるのならそれでもいい。それであなたの気が済むのなら私を殺して?」

微笑した美月は佐藤にキスをした。
それは誓いのキス
それは赦しのキス

 佐藤はナイフを捨てて美月を抱き締める。多くの人間が見ている前で、無我夢中で何度もキスをした。二人以外には存在しない、一瞬の永遠の世界。

「……だけどね、私はあなたに生きていて欲しい。どんな理由があっても人を殺すのはいけないことだから。あなたは生きるの。あなたが殺してしまった人の分まで、彩乃さんの分まで」

美月の瞳から流れ落ちた涙が太陽の光を受けてキラキラ光っていた。

『美月……お前は本当に……純粋で真っ直ぐな子だな』

 美月から溢れる涙は天使の涙。
ああ……自分は最後に天使に出逢えた。
天使の手で、裁かれた。だからもう充分だ。

『美月、笑ってくれ』
「え?」
『お前の笑顔が俺は一番好きなんだ』

 哀しい瞳で優しく微笑む、彼のその微笑みに恋をした。こんな時でもやっぱり彼の微笑にドキドキしている。

苦しくて切なくて嬉しくて、泣きたくなるよ。
美月は涙の溜まる目元を細めて精一杯の笑顔を作った。

『お前に出逢えてよかった……』

 美月に優しい笑顔を向けたのも束の間、佐藤は美月を突き飛ばして走り出した。悲鳴をあげて地面に倒れる美月、佐藤を追いかける上野。

『美月ちゃん!』

隼人が地面に倒れた美月を抱き起こす。美月は隼人の腕に捕まって立ち上がり、左右を見回した。

「佐藤さんは?」
『あっちに逃げた。行こう』

佐藤と上野が走り去った方向に美月と隼人も向かう。他の者達も美月達の後を追った。
< 102 / 154 >

この作品をシェア

pagetop