早河シリーズ序章【白昼夢】
東京・8月11日(Fri)

 部屋の扉が数回叩かれた音で浅丘美月は枕に伏せていた顔を上げた。

『美月? 俺だけど……寝てる?』

扉の向こうから幼なじみの椎名朝陽《あさひ》の声がした。美月は怠惰な動きでベッドを降りて扉を開ける。そこには見慣れた顔の男の子。
かつては同じくらいだった背丈はもう、彼の方が大きい。

十七歳の年齢の幼さが残る顔に切なさを宿した少年は何も言わずに突然美月を抱き締めた。

「……あ……さ……ひ?」
『どうしたんだよ。なんでこんなになるまで……』

 椎名朝陽の自宅は美月の隣の家。美月の父と朝陽の父は友人同士で互いの妻の妊娠のタイミングもほぼ同じだった。

朝陽が7月29日生まれ、美月が7月30日生まれ。生まれた日が一日違いの二人は双子同然で17年一緒に育ってきた。
友達と呼ぶには物足りなく、親友と呼ぶのも何か違う、異性の幼なじみ。

 朝陽は美月が静岡で殺人事件に巻き込まれたことを知り、東京に帰って来た美月の状態を彼女の両親から聞いた。美月が心を壊してしまったことも。

「なんで朝陽が泣いてるの?」
『見るな。……っつか、泣いてねぇし』

顔を上げようとする美月の頭を朝陽は抱え込んで胸に押し付けた。

「嘘。泣いてるじゃない」
『泣いてねぇよ』
「……男ってみんな嘘つきだね」

 押し問答の後に今まで聞いたことのない美月の冷えた声の響きに彼は身震いした。恐る恐る胸元にいる美月を見下ろす。

『美月?』
「みんな嘘つき。男はみんな嘘つきなの」

それまで感情の宿らなかった美月の瞳に現れたのは悲しみの涙。

「愛してるって……俺が守るって言ったくせに勝手にいなくなって勝手に死んじゃって…! 嘘つきだよ! 全部、嘘。いなくなるなら愛してるなんて言わないでよ……!」

朝陽の胸を拳で何度も叩きながら美月が叫んだ。瞳からは大粒の涙が零れる。

『美月落ち着け。大丈夫、大丈夫だから。俺はずっと側にいるから』

 泣き叫ぶ美月をなだめる朝陽。美月の叫び声を聞いて駆けつけた彼女の両親が部屋の入り口から朝陽と美月の様子を不安げに窺っている。

朝陽は美月の両親に頷き、目で『大丈夫だから』と訴えた。朝陽の気持ちが通じたのか、美月の父親は朝陽に頷き返して静かに部屋の扉を閉めた。

 嗚咽を漏らして泣く美月の震える背中をゆっくりさする。

『全部言え。美月が今思ってること俺に言えよ。さっきみたいに俺にぶつけろよ。お前が惚れた男のことも何でも……全部俺が聞いてやる。だから話したいだけ話せよ』

朝陽は美月と目線を合わせて彼女の頬を流れる涙をティッシュを使って粗っぽい手つきで拭った。

『確かに男は嘘つきな生き物だ。俺だって美月に嘘ついてることあるし』
「朝陽も嘘ついてるの?」

 美月が顔をしかめた。朝陽は曖昧に笑って、美月の涙を拭いたティッシュを丸めてゴミ箱に放り投げる。
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