早河シリーズ序章【白昼夢】
 丸めたティッシュは綺麗な放物線を描いて部屋の隅のゴミ箱に入った。

『……この前、美月が楽しみにとっておいたプリン食べたの俺。あの時は食ってないって言ったけど』
「やっぱりプリン泥棒は朝陽だったじゃない! 嘘つき!」

少しだけ笑顔を見せた美月を見て朝陽はホッと胸を撫で下ろす。

『うん。ごめん。俺は嘘つきです』

彼女についている最大の嘘は残念ながら見抜かれてはいない。このまま見抜かれない方がいいのだろう。

 それから美月は佐藤のことを朝陽に語った。締め切っていたカーテンを開けた窓の向こうには清々しい夏の青空が広がる。
高校二年の夏休み。おそらく美月にとっても朝陽にとっても、印象的で特別な夏になるだろう。

「哀しい瞳をして優しく笑う人だったの。私ね、中学の時は賢くんのこと好きだったんだよ。でも佐藤さんを好きになってわかったの。賢くんを好きだと思ってた気持ちと佐藤さんを好きになった気持ちは何か違った」

賢《けん》くんとは美月の中学時代の彼氏の名前。朝陽にとって苦い記憶のある人物だ。

「賢くんのことは好きだったけど、佐藤さんは……“愛してる”の。本気で人を好きになるってこういうことなんだって思った」

 美月は朝陽の肩に頭を預けて目を閉じた。朝陽は自分の隣で穏やかに安らぐ美月を見下ろし、気付かれないように小さな溜息をつく。

(賢とは違う“愛してる”か。そんなの俺じゃ全然ダメなんだろうな)

 美月の笑顔を本当の意味で取り戻せる存在は自分ではなく別の人間だと、朝陽は何の確証もなくそう思った。

美月にしてやれることは側にいて話を聞いてやることしかできない。そしてそれが己の役割だ。
誰か、美月の笑顔を取り戻してくれる存在が現れてくれたら……と、朝陽は願った。


 ──海へ落ちた佐藤瞬の遺体が発見されることはなく捜索は8月11日に打ち切りとなった。静岡で三人の人間が殺された連続殺人事件は犯人死亡で幕を閉じた……かのように思えた。

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