早河シリーズ序章【白昼夢】
8月12日(Sat)午後2時

 この日、美月は警視庁で事情聴取を受けていた。聴取を終えて応接室を出た先の廊下に木村隼人が待っていた。

「木村さん……」
『俺もさっき事情聴取終わったとこ。美月ちゃんも来てるって聞いたから待っていたんだ』

 隼人と顔を合わせるのも静岡にいた8日の昼過ぎ以来。
8日の午後に静岡県警と美月の両親がペンションを訪れ、美月は両親に連れられて先に東京に帰された。

隼人達も静岡県警で聴取を受けた後に東京に戻ったと聞いているが、その頃の美月の精神状態は正常ではなかった。

静岡から東京への帰り道はほとんど覚えていない。帰りは両親と共に新幹線に乗ったような乗っていないような、とにかくその辺りの記憶がおぼろげなのだ。

『大丈夫か?』
「え?」
『あまり眠れてないって、ここにいた美月ちゃんのお母さんに聞いた。食欲もないって……。確かに少し痩せたな』

 黙り込む美月の頭を彼はクシャッと撫でた。

『あのさ、美月ちゃんのお母さん、先に帰ったんだ』
「帰ったって……ええっ?」

そう言えば廊下に母の姿がない。警視庁まで付き添いに来た母親が娘を置いて帰るとはどういうことだろう?

 見送りの上野刑事と部下の女性刑事に会釈して二人は捜査一課のフロアから警視庁のロビーに降りた。
学校の社会科見学でもないと訪れる機会のない警視庁も、今は物珍しげに探索する気分にはなれない。

美月の歩幅に合わせて歩いてくれる隼人のちょっとした気遣いが嬉しかった。

 事情聴取は主に佐藤との関係の話になった。佐藤は自分との関係を誰にも話すなと諭していたが二人が恋愛関係にあったことは明白。

佐藤が隠し持っていた毒薬の瓶を発見した経緯やなぜ彼を犯人だと悟ったか、その理由、佐藤の部屋で一夜を一緒に過ごした事実も包み隠さず話をした。

 佐藤の話をしている間は呼吸が途中で苦しくなったり、目眩を起こして聴取を中断させた時もあった。この身体の不調は自分ではよくわからない。どうして眠れないのか、どうして食べ物を食べても嘔吐してしまうのか、どうして、毎日こんなに心と身体が苦しいのか。

「お母さん先に帰るなんて言ってなかったのに……」
『なんか用事を思い出したって言ってたけどね』

美月の母の如何《いか》にもその場の思いつきらしいセリフを思い出して隼人は苦笑いした。
突拍子もない性格は母と娘でよく似ている。

『それで美月ちゃん待ってる間にお母さんと色々世間話してて……そうしたらお母さんにいきなり“美月のこと宜しく頼みますね”って言われて帰っちゃったんだ。宜しく頼まれてしまったわけだけど、どうしましょう?』
「どうしましょうって、えっと……」

困惑する美月に隼人は笑いかける。端整な顔立ちの隼人が微笑むだけで心臓が急に忙しくなる。

『美月ちゃんさえよければこの後、俺の行く所に付き合ってくれない?』
「いいですけど……でも私、お金そんなに持っていませんよ」
『大丈夫。金のかからない所だから』
「どこに行くんですか?」
『んー……ナイショ』

 意地悪く微笑む隼人の雰囲気は温かい。母が隼人に自分のことを頼むと言った真意は謎のまま、美月は彼の車に乗り込んだ。
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