早河シリーズ序章【白昼夢】
 渡辺は隼人が羨ましくもあり、疎ましくて妬ましくもあり、それなのに決して彼を嫌いにはなれない。嫌いになりたいと思ったこともない。

『あかりはあれでも隼人になついてるからな。隼人にそんな相談してたのか。お前には敵《かな》わねぇよ。麻衣子が隼人を好きだってわかってるくせに知らないフリしてさ。麻衣子は幼稚園からお前に片想いしてるぞ』

木村隼人と言う男は老若男女、人を惹き付けてやまない不思議な男だ。

『恋愛はゲームだ。落とすか落とされるか。本気になった方が負け』

隼人は煙草の箱から一本煙草を抜き取り、メンズファッションブランドのロゴが入るライターで火をつけた。
この完璧な男に唯一の欠点があるとすれば、隼人は誰も本気で愛さない。

『相変わらず恋愛観は屈折しまくってるな。麻衣子もこんな男のどこがいいのか。やっぱり顔か』
『顔しか良いとこないみたいな言い方するな』
『お前が性格良いと思ったことはない』

渡辺はサイドテーブルの時計を見た。時間は午前9時53分。

『竹本のヤツ、いい加減起きただろうなぁ? 朝飯の後に青木が起こしに行ってもまた反応なかったらしい』
『アイツも昼には討論会があるのはわかってるんだ。直に起きるだろ。朝飯抜いてもどうせあと二時間後には昼飯だ』

 隼人が手元のタイムスケジュール表に視線を落とす。今日の昼食後から推理小説家、間宮誠治との推理討論会第一日目が始まる。今日は間宮が考えた殺人トリックの謎解きに隼人達学生メンバーが挑む予定だ。

『竹本のお坊ちゃんは何かと隼人に突っかかるよな。アイツが一年の頃は金魚の糞みたいに隼人にくっついてきてたのに今じゃ態度が180度違う。見てて滑稽だよ』

隼人のライターで渡辺も煙草に火をつけた。大学生になると男子学生の誰もが煙草に手を出す時期があるような気がする。酒も同じだ。
煙草と酒に溺れることで一人前の大人になれたと勘違いしたいが為の行為なのかもしれない。

『竹本は相手にするだけ無駄。めんどくさい』
『確かに。うちの法学部も金の力で入ったって噂だ。何かあればパパが何とかしてくれると思ってるんだろうな』
『自分には何の実力もねぇのにな。……ちょっと電話してみるか』

 隼人が竹本の携帯に電話をかける。数秒して彼は携帯を耳に当てたまま訝しく眉を寄せた。

『出ないか?』
『電源が入ってない。どうなってんだよ。竹本の部屋番号何番?』

舌打ちして携帯電話の通話終了ボタンを押した隼人は部屋の内線電話の受話器を持ち上げた。渡辺が見取り図から竹本の部屋を探す。

『竹本は……211』
『211……』

内線で部屋番号を押して211号室に繋げる。コール音は鳴るが部屋の主が電話に出る気配はない。

『出ねぇな』
『どうする? 携帯も内線も出ないってアイツ相当爆睡してるかも』

受話器を戻した隼人に渡辺が問う。隼人はしばらく受話器から手を離さすに黙考していたが、やがて見取り図で番号を確認して三桁の番号をプッシュした。

 隼人が押した番号は202。そこは並木出版編集長の福山信雄の部屋だった。
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