早河シリーズ序章【白昼夢】
 麻衣子が部屋を出て数十分が過ぎた。
冷房を切った部屋に開けられた窓、網戸越しに海風が夏の匂いを運んでくる。波の音が心地良いリズムを奏でていた。

 ノックの音で隼人は目を開けた。ベッドに寝かせていた身体を起こしてスリッパに足を通す。

『誰?』

鍵を開ける前にドア越しに問う。この館内に殺人犯がいるかもしれない今は相手が誰であろうと慎重にならざるを得ない。

「……美月です」

一拍置いて遠慮がちな少女の声が聞こえた。まさか死体の第一発見者の少女が殺人犯だとは隼人も考えていない。

 彼は鍵を外して扉を開けた。表情を固くした美月が廊下に立っている。

『なに? 俺が恋しくなった?』
「佐藤さんに謝ってください」

茶化しも美月には通じない。彼女は臆することなく隼人を見据えた。
また、その目だ。純粋で汚れを知らない、真っ直ぐな瞳。そらしたいのにそらせない視線。

『……入れよ』
「え?」
『そこで突っ立ったまま話されても困る』
「……はい」

 扉を開けたまま隼人が部屋に戻る。美月はおずおずと部屋に足を踏み入れて鍵はかけずに静かに扉を閉めた。

隼人は窓辺によりかかって風に吹かれている。夏の太陽が眩しかった。

『俺さ、恋愛はゲームだと思ってるんだ。本気になった方が負け。俺は絶対本気にはならない。女なんて性欲処理のためにいれば充分』
「……最低」

美月の遠慮のない言葉に隼人は笑う。

『よく言われる。だから“私恋愛してます”みたいな色ボケした奴を見ると苛つくんだ。無性にそいつをぶっ壊してやりたくなる。自分が本気で恋愛できないからなんだけど』
「歪んでますね」
『自分でもそう思う』

手持ち無沙汰な美月は扉横の壁にもたれて隼人の横顔を見つめた。ポーカーフェイスの彼が何を考えているのかはこちらからは読めない。

「なんで私にそんな話するんですか?」
『さぁ。なんでだろうな。多分、美月ちゃんは俺と正反対なのかもしれない』

隼人の言っていることがわからず、美月は首を傾げた。そんな仕草も彼女の何もかもが無防備で少しからかってやりたくなった。
彼は部屋を横切って美月に近付く。

『男の部屋に入って何もしないで帰れると思ってんの?』

隼人の動きを察知してドアノブに手をかけようとした美月の腕を隼人が掴んだ。彼は素早く扉の鍵をかけ、美月と相対する。

『キスしたからあとすることはひとつしかないよね。美月ちゃんが気にしてた“お楽しみ”、今からしようか?』
「離してください。私は……佐藤さんが好きなんです」

隼人を睨み付ける美月の腕や、言葉を紡ぐ唇は震えていた。
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