早河シリーズ序章【白昼夢】
午後9時50分[西・205号室 上野の部屋]

 ベッドに寝そべっていた上野恭一郎はサイドテーブルの上で着信を鳴らす携帯に手を伸ばした。早河刑事からだ。

{4年前の竹本の補導には裏がありました。竹本の補導は喫煙ではなく強姦です。竹本を逮捕した元警官が話してくれました}
『やはりな。被害者はわかっているのか?』
{はい。被害者は片桐彩乃《かたぎり あやの》、当時26歳。職業は花屋の店員です。2002年6月20日の夜、帰宅途中だった片桐彩乃は当時高校生だった竹本に暴行され、悲鳴を聞いて駆けつけた元警官に竹本は現行犯逮捕されています}

4年前の真相は想像以上に陰惨な事件だ。

『それを竹本の父親である竹本議員が息子の不祥事が明るみにならないよう揉み消したのか』
{竹本議員には良い噂は聞きませんが……議員一族にはよくある話ですね。被害者には金を渡して示談にさせ、強姦は喫煙に、逮捕は補導にすり替わり、揉み消しに関与した元警官はその行いを悔やんで退職、一方で上司は竹本議員の根回しで警視庁に栄転。元警官は片桐彩乃に申し訳ないことをしたと悔やんでいました}
『片桐彩乃のその後は?』
{彩乃は事件から2週間後に自殺しています}

強姦事件の被害者の自殺。事件の背景が少しだけ見えてきた。

『竹本殺しの動機が片桐彩乃の強姦事件と関係しているかもしれないな』
{明日、彩乃の実家に行って両親に話を聞いてきます}
『わかった。頼んだぞ』

 上野は通話を切って再びベッドに横たわった。
先ほどからとても眠たい。それにやたらと喉が渇き、夕食後に部屋に戻ってから水を何杯も飲んでいる。

今朝の松下の死体発見と美月の行方不明騒動で疲れているのか? いや、刑事人生も20年になる。これまでも徹夜の張り込みや一日中聞き込みをする日もあったが、こんなに身体のだるさと眠気を催したりはしなかった。

(睡眠薬でも盛られたか? まさかな。キッチンの様子も注意して見ていたが、怪しい動きをしていた人間はいなかった。思い過ごしか……)

 もし思い過ごしでなかったとして誰が、いつ?
今夜の夕食はビーフシチューだった。上野の皿やスープやコーヒーのカップにだけ睡眠薬が入っていたとすれば……。

 眠気を抱えたまま彼は思考を働かせる。

竹本殺害の動機が四年前の強姦事件にあると仮定すると、鍵となるのは片桐彩乃。

 ペンションに宿泊している者の中に片桐彩乃の関係者がいたとすれば、竹本と直接的な繋がりがない人間も容疑者になる。
それは出版社の人間や大学生達、ペンションオーナー夫妻も容疑の対象に入ることを意味する。

現段階で容疑者から除外できるのはオーナー夫妻の姪の浅丘美月だけ。あの薔薇が詰められた棺や連れ去りも美月の自作自演とは思えない。

 美月の連れ去りと連続殺人事件には関係があるのか。
キングと名乗る人物は何者なのか。
おそらく彼女を木箱に寝かせたのもそのキングの仕業だろう。何のために?
殺された松下が撮影した8月4日の写真には何が写っていた?

 ついに睡魔に耐えきれなくなった上野は重い瞼を閉じて眠りについた。
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