早河シリーズ序章【白昼夢】
[東・207号室 里奈の部屋]

 昨日の松下淳司の死体発見以降、ヒステリーを起こして自室に閉じ籠る里奈に麻衣子は朝食を届けた。
今朝の間宮の死体発見時も里奈だけは広間に集合することを拒み、事情聴取は里奈抜きで行われた。

「里奈。少しでもいいから食べなよ。せっなく冴子さんが里奈が食べやすい物を作ってくれたんだよ」
「そこ置いといて。食べたくなったら食べる」

里奈は枕に顔を伏せたまま答えた。
衣類が脱ぎ捨てられて乱雑に散らかった里奈の部屋のゴミ箱には空になったビールやチューハイの缶が捨てられていた。昨夜はかなりの量の酒を飲んだようだ。

 朝食が載るトレーをテーブルに置き、麻衣子は里奈の部屋の洗面所に入った。里奈が使ったバスタオルやハンドタオルの回収を冴子に頼まれている。使用済みのタオルを袋に入れ、新しいタオルを置いて洗面所を出た。

「新しいタオル置いてあるから。シーツは自分で取り替えてね」

ベッドシーツの替えもテーブルに置き、麻衣子が部屋を出ようとした時に里奈が枕から顔を上げた。

「ねぇ麻衣子」
「なに?」
「あんた、隼人が好きなんでしょ?」

 まったく心の準備ができていなかった麻衣子は意表を突かれて立ち尽くす。まさかこんな時に、こんな状況で、里奈が“それ”を言うとは思わなかった。

「やっぱり。わかりやすいね。麻衣子にとって私は好きな男を盗《と》った憎い女ってわけね」
「そんな……そんなこと思ってない」
「いい子ぶらないでよ! あんたのそういう優等生ぶってるところが大っ嫌い! なんで私が隼人に近付いたか教えてあげようか? もちろん隼人を好きになったのは事実よ。でもね、きっかけはあんたが隼人を好きだったから。だから隼人が欲しくなったの。隼人も私を選んでくれた。幼なじみのあんたじゃなく私をね」

優越感に支配された里奈の顔を見ていられなくて麻衣子は顔を伏せる。里奈の使用済みタオルが入るビニール袋を強く握りしめた。

「いつまでそこにいるの? 早く出てって」

 麻衣子に冷たい一言を浴びせて里奈はまたベッドに伏す。
麻衣子は泣きそうな目元を押さえて彼女の部屋を出た。

 里奈とは大学一年生の時にサークルで知り合った。その頃から派手な外見の里奈は最初は取っ付きにくい印象があったが話してみるとそれなりに話も合い、麻衣子は里奈と友達と呼べる間柄になれたと思っていた。

里奈との関係性が変わったのは大学二年の冬頃、里奈が隼人と付き合い始めた頃から麻衣子と里奈の間に溝が生まれた。

だが別にそれは隼人のせいじゃない。里奈が隼人を好きになったのも、麻衣子が隼人を諦めきれないのも、隼人が女に本気にならないのも、みんなそれぞれに悪いところがあり、麻衣子は誰かひとりを責めることはしたくなかった。

 一階に降りて回収した使用済みのタオルを冴子に渡し、再び二階に上がる。

(なんで私っていつもこうなんだろう)

 廊下の窓からは中庭が見下ろせる。中庭に咲くひまわり達が太陽不在の今日は寂しげに雨に打たれていた。

溜息と共に麻衣子の瞳に涙が溢れる。

 隼人が好き。子供の頃からずっと。
でもその想いを隼人に言えなかった。隼人にとって自分はただの幼なじみ。そのことをよくわかっているから。

隼人が何人もの女と付き合うのを見てそのたびに心がズキズキ痛んで、だけどあの中のひとりにはなりたくなかった。

“隼人の幼なじみ”自分に許された絶対的なポジションを麻衣子は守りたかった。でも今はそのポジションに居続けることに揺らぎを感じている。

隼人の一番になりたい……
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