早河シリーズ序章【白昼夢】
午後10時[西・203号室 佐藤の部屋]
窓際の籐《とう》の椅子に腰かけて佐藤瞬はぼんやりとした時間を過ごしていた。そろそろ風呂に入ろうか……そう思って腰を上げた時に部屋の扉がノックされた。
扉を開けると美月が立っていた。彼女はピンク色のワンピース型のルームウェアを着ている。風呂上がりらしく、背中に流した長い髪の毛が少し湿っていた。
『どうしたの?』
「遅くにごめんなさい。しばらく一緒にいてもいいですか?」
佐藤は室内を一瞥してから廊下の美月に目を向けた。
『いいよ。入りなよ』
「お邪魔します」
美月を招き入れた佐藤は部屋の扉を静かに閉めた。
佐藤の部屋はベッドが二つあるツインルーム。広さはシングルルームよりも広い。
硝子のテーブルには手帳やノートパソコン、ボールペンが無造作に置かれている。灰皿にも吸殻が溜まっていた。
「もしかしてお仕事中でした? お邪魔しちゃったのかな……」
『大丈夫。荷物の整理をしていただけだよ』
彼は手早くテーブルの上を片付け、ノートパソコンや手帳はクローゼットの中に押し込んだ。二人は二脚の籐の椅子に向かい合って座った。
『東京戻ってからいつ遊びに行こうか』
「私はまだ夏休みだからいつでもいいですよ。佐藤さんのお仕事がお休みの時に」
『そうだね……』
佐藤はじっと美月を見つめている。彼の表情は哀しげで苦しそうで、二人で海岸にいた時と同じ表情をしていた。
また、あの顔だ。
(佐藤さんはたまにすごく哀しそうな顔をする。哀しい瞳をして優しく笑う人…)
『やっぱりやめておこう』
「え?」
『俺達はもう会わない方がいい。君は部屋に戻るんだ』
「どうしていきなりそんなこと言うの?」
戸惑う美月の顔を見ていられなくて佐藤は彼女から顔をそむけた。
「私がここにいたら迷惑?」
『……ああ』
「なんで……」
『とにかくここから出ていってくれ』
冷たい響きを含む佐藤の声。佐藤は立ち上がり美月に背を向ける。
あんなに優しかったのにどうして?
「なんで……? ねぇ、佐藤さん……」
何も答えない佐藤の背中に美月は抱き付いた。温かいのに冷たくて、近いのに遠い、広い背中。
「好き……。佐藤さんが好きなの」
『俺は君を傷付けたくないんだ』
「どうして私が傷付くの? 傷付くならこうやって冷たくされる方がよっぽど傷付くんだよ?」
佐藤がまた押し黙る。美月の目から溢れる涙が彼の服を濡らした。
『俺と一緒にいれば今よりもっと傷付くことになる』
「なによそれ……わけがわからない。ちゃんと説明してよ」
身体に回された美月の腕を佐藤は無理やり振りほどいた。彼の背中はこちらを向かない。
『君は何も知らない方がいい。もう俺には関わるな』
「じゃあ……あのキスは何? 好きじゃないのに優しくしたの? 関わるなって言うのならどうして佐藤さんは私に関わるの?」
彼の無言の背中が美月に絶望を与える。
「ねぇ! 何か言ってよ……っ!」
美月は床に膝をついて泣き崩れた。佐藤は泣いている美月を横目に見るだけで手を差し伸べようとはしない。
窓際の籐《とう》の椅子に腰かけて佐藤瞬はぼんやりとした時間を過ごしていた。そろそろ風呂に入ろうか……そう思って腰を上げた時に部屋の扉がノックされた。
扉を開けると美月が立っていた。彼女はピンク色のワンピース型のルームウェアを着ている。風呂上がりらしく、背中に流した長い髪の毛が少し湿っていた。
『どうしたの?』
「遅くにごめんなさい。しばらく一緒にいてもいいですか?」
佐藤は室内を一瞥してから廊下の美月に目を向けた。
『いいよ。入りなよ』
「お邪魔します」
美月を招き入れた佐藤は部屋の扉を静かに閉めた。
佐藤の部屋はベッドが二つあるツインルーム。広さはシングルルームよりも広い。
硝子のテーブルには手帳やノートパソコン、ボールペンが無造作に置かれている。灰皿にも吸殻が溜まっていた。
「もしかしてお仕事中でした? お邪魔しちゃったのかな……」
『大丈夫。荷物の整理をしていただけだよ』
彼は手早くテーブルの上を片付け、ノートパソコンや手帳はクローゼットの中に押し込んだ。二人は二脚の籐の椅子に向かい合って座った。
『東京戻ってからいつ遊びに行こうか』
「私はまだ夏休みだからいつでもいいですよ。佐藤さんのお仕事がお休みの時に」
『そうだね……』
佐藤はじっと美月を見つめている。彼の表情は哀しげで苦しそうで、二人で海岸にいた時と同じ表情をしていた。
また、あの顔だ。
(佐藤さんはたまにすごく哀しそうな顔をする。哀しい瞳をして優しく笑う人…)
『やっぱりやめておこう』
「え?」
『俺達はもう会わない方がいい。君は部屋に戻るんだ』
「どうしていきなりそんなこと言うの?」
戸惑う美月の顔を見ていられなくて佐藤は彼女から顔をそむけた。
「私がここにいたら迷惑?」
『……ああ』
「なんで……」
『とにかくここから出ていってくれ』
冷たい響きを含む佐藤の声。佐藤は立ち上がり美月に背を向ける。
あんなに優しかったのにどうして?
「なんで……? ねぇ、佐藤さん……」
何も答えない佐藤の背中に美月は抱き付いた。温かいのに冷たくて、近いのに遠い、広い背中。
「好き……。佐藤さんが好きなの」
『俺は君を傷付けたくないんだ』
「どうして私が傷付くの? 傷付くならこうやって冷たくされる方がよっぽど傷付くんだよ?」
佐藤がまた押し黙る。美月の目から溢れる涙が彼の服を濡らした。
『俺と一緒にいれば今よりもっと傷付くことになる』
「なによそれ……わけがわからない。ちゃんと説明してよ」
身体に回された美月の腕を佐藤は無理やり振りほどいた。彼の背中はこちらを向かない。
『君は何も知らない方がいい。もう俺には関わるな』
「じゃあ……あのキスは何? 好きじゃないのに優しくしたの? 関わるなって言うのならどうして佐藤さんは私に関わるの?」
彼の無言の背中が美月に絶望を与える。
「ねぇ! 何か言ってよ……っ!」
美月は床に膝をついて泣き崩れた。佐藤は泣いている美月を横目に見るだけで手を差し伸べようとはしない。