早河シリーズ序章【白昼夢】
 朝食後、佐藤は東側廊下の最奥の部屋の扉をノックした。ここは木村隼人の部屋だ。

『話があるんだけどいいかな?』
『ええ、どうぞ』

隼人は訪ねてきた佐藤を部屋に入れて後ろ手に扉を閉める。

『何か飲みますか?』
『いや、いいよ。すぐに済む話だ』

部屋に一歩入った佐藤はそれ以上足を進めることなく壁に背をつけた。

『話とは?』
『君に美月のことを頼みたい』
『美月ちゃんのことを? それってどういう意味です?』

隼人は自分用の麦茶をグラスに入れて立ったまま口をつけた。佐藤は微動だにせずにこちらの動きを見つめている。

『君なら美月を悲しませることはしないだろう?』

 弱々しい笑みを浮かべる佐藤と彼の真意を測りかねている隼人。二人の男が向かい合い、睨み合う。
隼人は苛立ちに任せて麦茶を飲み干し、グラスを硝子のテーブルに置いた。

『美月ちゃんが好きなのは佐藤さんですよ。それを俺に頼むと言われても……。理由を聞かせてください』
『俺では美月を傷付けるだけなんだ。それだけ言えば理由には充分だろう』

隼人は黙って佐藤を見据える。佐藤の表情や言葉の裏に隠されたものが隼人には見えた。

『今回の事件のことが関係しているんですか?』
『君は勘がいいね』
『……否定、しないんですね』

佐藤がゆるくかぶりを振った。それは隼人の言葉に対する否定の意味ではなく彼の苦悩の表れ。

『俺は美月の側にはいてやれない。あいつを守ってやれない』
『竹本を殺したのはあなたなんですか?』

 佐藤は答えない。隼人は壁際に立つ佐藤に近付き、彼の顔の真横に拳を叩きつけた。
音を立てて壁に当てられた隼人の拳は震えていた。
これは怒りか、悲しみか、やり場のない想いが込み上げてくる。

『頼むから否定してくださいよ。あんたが否定してくれないと美月ちゃんはどうなる?』
『だから君に美月を頼んでいるんだ』
『は? ふざけんなよ。こんなことで女を譲られても嬉しくもない』

 壁に叩きつけた拳を下ろす。隼人が拳を顔の真横に叩きつけた瞬間も佐藤は平然として避けなかった。
佐藤は殴られる覚悟で隼人に美月を託している。

『“美月”って当たり前な顔して呼び捨てにして、美月ちゃんも朝飯の時にあんたを避けてるみたいだった。あんたとあの子の間に何かあったってバレバレなんだよ。それなのになんで……』
『勝手なことを言っているのはわかってる。だが美月には幸せになってもらいたいんだ』
『あんたがいればあの子は幸せだろ。あんたが幸せにしてやれよ』

 隼人の言葉を無言の背中で受け、彼は隼人の部屋を出ていった。隼人は放心した心地でベッドに横になる。大きな溜息と一緒に吐き出される本音。

『やりきれねぇよ。こんなの……こんな結末……』

あの子の笑顔が浮かぶ。優しくてあたたかいあの笑顔をこの手で守れるだろうか?

『頼むって言われてもなぁ。俺にどうしろって言うんだよ……』

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