早河シリーズ序章【白昼夢】
 書斎の二人掛けソファーに座って美月は室内の風景をぼうっと眺めた。
この書斎は初めて佐藤と言葉を交わした場所。第一印象は穏やかで優しい大人の男性だった。

 ソファーから見える机と椅子。あそこで数学を教えてもらったり、好きな推理小説の話をしたり、他にも色んな話をした。
昨夜も眠りにつくまで本当に沢山の会話を彼と交わした。彼の腕に包まれて、優しく髪を撫でられて、愛された。

彼と過ごした時間はたった4日間。でもとても長くて濃密な、永遠の夢のような4日間だった。
今日でその永遠の夢も終わる。

 手元の携帯電話が振動する。東京にいる親友の比奈からメールが届いた。

 ―――――――
 みつき大丈夫?
 早くこっちに帰っておいで〜♡
 買い物してカラオケして
 ストレス発散しちゃお!
 ―――――――

 比奈のいつもと変わらないメールの文面に心が安らぐ。携帯を握り締め、膝を抱えて顔を伏せた。

(これが私の現実、十七歳の私の居場所)

 しばらくそのままでいると足音が近付いてくる。足音は書斎の入り口で止まった。
足音の主が佐藤だったらどうしよう……そんな不安とわずかな期待は次の瞬間には消えていた。書斎の入り口に立っているのは隼人だった。

『美月ちゃんどうした? そんな所で小さくなって……』

ソファーの肘掛けに腰かけた隼人は美月の顔を覗き見た。

『佐藤さんと何かあった?』

心情を言い当てられて美月は狼狽する。彼女はさらに膝を深く抱えてそこに顔を埋めた。

「もしも好きな人が犯罪者だったとしたら木村さんはどうしますか?」

 美月の質問が何を意味するのか隼人は知っている。もし美月がこの事件の真相に気付いているのなら、誤魔化したり茶化してはいけない。
彼女の質問に真剣に答えなければいけない。

『俺は自分が正しいと思う道を選ぶ』
「正しいと思う道?」
『何が善で何が悪かは最終的には自分で決めるってこと』

 隼人は肘掛けにかけていた腰を上げて美月の隣に移動した。隼人と自然に肩が触れ合っても美月は嫌な気はしなかった。

『“不可能を消去して最後に残ったものが如何《いか》に奇妙な事であってもそれが真実となる”』

隼人が述べたフレーズに聞き覚えがある。コナン・ドイルが産み出した名探偵、シャーロック・ホームズの名台詞だ。

「ホームズの言葉……」
『そう。原文はこうか。“When you have eliminated the impossible, whatever remains, however impossible, must be the truth.”』

 彼は綺麗な発音でホームズの台詞を再現する。短編集シャーロック・ホームズの冒険に収録されている【緑柱石の宝冠】での台詞。
< 93 / 154 >

この作品をシェア

pagetop