早河シリーズ第一幕【影法師】
 通話が切れたと同時に早河は走り出した。香道が彼の後を追う。

『早河! どうした?』
『犯人はどこかで俺達を監視しているのかもしれません。今の電話、まるで俺の様子をどこかで見ているような口振りでした』

走りながら早河は言う。二人は人通りの少ない脇道に入った。

『奴がこちらの動きを見ている可能性はあるな。……ん? 早河、今なにか聞こえなかったか?』

 香道が立ち止まり、左右を見回している。数メートル先で早河も立ち止まって耳を澄ます。

『……子供の泣き声?』
『こっちから聞こえる』
『香道さん待ってください。俺ひとりで行きます。それが犯人の指示です』
『わかった。気を付けろよ』
『はい』

 早河は泣き声が聞こえる方向に向かった。近付くにつれてだんだん泣き声が大きく聞こえる。
そこは廃業となり今は使われていない工場だった。扉は施錠されていない。

 息をひそめ、辺りを警戒してゆっくり進む。薄暗い灰色の空間の中に椅子に座った少女がいた。

『唯ちゃん! もう大丈夫だよ……』

 少女の顔を覗き込んだ早河は絶句する。少女には顔がなかった。
正確には顔と呼べる部分はあるが本来あるべき目と鼻と口がない、のっぺらぼうの人形だった。
人形の膝の上には小型レコーダーがある。子供の泣き声はそこから再生されていた。

『クソッ……!』

 早河は人形が座る椅子を蹴り飛ばした。椅子は倒れ、人形とレコーダーが音を立てて床に落ちる。見計らったようにまた非通知の着信が響いた。

『おい! なんだこれは!』
{これくらいで感情的になってはダメだなぁ}

機械的な声は笑っていた。

『こんなことをして何が楽しいんだ?』
{楽しいよ。君がどんな刑事になったのか、もっと私に見せてくれよ}
『お前……誰だ?』
{まだわからないかい?}

 早河は無言で瞼を閉じ、こめかみを押さえた。掴めそうで掴めない、日差しでぼやけた影法師。

 ──遠くで……
 ──蝉の鳴き声が……

{さて、問題だよ、早河くん。私は誰でしょう?}

 無情に途切れた通話。誰もいない廃工場に虚しく生暖かい夏の風が吹いた。


第一章 END
→第二章 夏の記憶 に続く
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