早河シリーズ第一幕【影法師】
 ──早河は記憶の矛盾に気付く。段ボールに一緒に入っていた父の手帳で1995年のカレンダーを確認した。

 父が死んだ95年8月11日は金曜日だ。午前中の夏期講習を終えて昼過ぎに帰宅した早河が父の訃報の連絡を受けたのは11日の夕方だった。
あの日の夏期講習に貴嶋は居なかった。

 その後、父の葬儀や居候先となる伯父夫婦の家への引っ越しで残りの夏休みは慌ただしく過ぎ去り、夏期講習に行く暇もなかった。
そうして9月の新学期を迎えるといつの間にか貴嶋は学校を退学していた。

 担任に事情を聞いても退学届が郵送されてきただけで、担任や他の教師達も詳しい事情は知らなかった。
貴嶋は何も言わずに姿を消した。貴嶋と最後に会ったあの日は父が殺される前日の8月10日の木曜日。

 12年前の夏、二人の人間と別れた。
ひとりは父親、もうひとりは親友と呼ぶには照れ臭くて結局一度も親友と呼べなかった友人、貴島佑聖……。

こんな大事なことを忘れていた? いや、記憶から消していたのかもしれない。父親の死であの夏の記憶すべてを思い出したくない記憶として封印していた。

 背中にぐっしょりと汗を感じて早河は乱暴にスーツを脱いだ。浴室で生ぬるいシャワーを頭から浴びる。
父の8月10日の日記に書かれていた“彼”とは──。

(親父は俺と貴嶋が一緒に帰っているところを見ていた? それで……)

だからなんだと言うのだ? 息子が友達と帰宅している光景を父親が目にしてもさして深刻な問題ではない。

 貴嶋のことを父に話した覚えはない。探偵として多忙な父の帰宅はいつも夜遅く、父と息子の会話は少ない。
もともと友人関係や恋人のことを父親に報告するような性格ではなく、父が自分の交遊関係を知り得たはずない。

(だけど親父は貴嶋を知っていた? 知っていたから……)

 ──ねぇ早河くん。この世に神はいると思う?──

なぜ貴嶋はあんな質問をした?

 ──さて。問題だよ、早河くん──

早河はシャワーに打たれた顔を上げる。初めて貴嶋のもうひとつの顔を垣間見てしまったあの時も大粒の雨に打たれて二人ともこんな風にずぶ濡れだった。

去年の静岡で起きた殺人事件。あの時にかかってきた奇妙な非通知電話……

 ──私の正体はこれからわかってくるさ──

まさか……門倉唯を誘拐した犯人のあの口調、あの妙にかしこまった上から目線のあの口調は……

 ──私は誰でしょう?──

『お前だったのか。貴嶋……』


第二章 END
→第三章 忍び寄る陰 に続く
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