早河シリーズ第一幕【影法師】
 霊園を離れた早河は都心に戻った。家に帰る気にもなれず、あてもなく車を走らせ辿り着いた先は渋谷。
コインパーキングに車を駐めて渋谷の街を歩く。中高生を狙う怪しげな人間についつい鋭い視線を向けてしまうのは刑事の職業病と言うものか。

大きな買い物袋を提げて友達と笑い合う少女達、腕を組んで歩くカップル、土曜日でも仕事をしているスーツ姿のサラリーマン、見た目ではどんな職業かわからない人々、そんな人々に紛れて世間から見放されたような風貌のホームレスに、犯罪の匂いを漂わせる男や女がちらほら見え隠れする。

(街ひとつとっても光と闇だな)

 賑わう大通りから路地裏を一歩入るとそこは犯罪の巣窟だ。いつもどこかで何かが起きている。
世界のどこの街でも光と闇の部分がある。

 喉の渇きを潤すためにカフェに入った。混雑していたが幸いにも窓際のカウンター席が空いていたので彼はそこに落ち着いた。
注文したアイスコーヒーはほどよい苦さで美味しかった。

 街も人も同じだ。誰にでも光の部分と闇の部分がある。ただどちらがより濃いのか、自分の本質はどちらに近いのかで分かれていく。

「早河さん……ですよね?」

 ぼうっと考え事をしていた早河は名前を呼ばれて我に返った。窓ガラスにうっすら映る人影が真横に立っていた。

『……なぎさちゃん?』
「こんにちは。今日はお休みですか?」

そこにいたのは香道秋彦の妹、香道なぎさだった。今日のなぎさの服装はストライプのシャツにタイトスカート。
以前に警視庁で会った時よりも大人っぽい印象を与えて最初はなぎさだとわからなかった。

『非番なんだ。なぎさちゃんは土曜日なのに仕事?』
「そうなんですよ。お盆休み入る前の最後の仕事です。ここで片付けちゃおうと思って」

なぎさはノートパソコンの入る大きな鞄を肩に提げていた。

「隣、座ってもいいですか?」
『もちろん。でも仕事はいいの?』

 カウンター席の早河の隣になぎさが座る。貝殻モチーフの涼しげなピアスが揺れていた。

「一通り終えました。もう出ようとしていた時に早河さんっぽい人を見つけて。でも人違いじゃなくてよかった。早河さん私服だと別人だから」
『そうかな?』
「そうですよー。最初は早河さんだとわからなくてよく見たらやっぱり似てるから声かけてみたんです。人違いなら恥ずかしい思いするところでした」

なぎさは快活に笑っている。彼女と会った過去二回はどちらもこんな笑顔を見せなかった。本来のなぎさはこんな風に屈託なく笑う明るい女性なのだ。

『なんだか、なぎさちゃん前より明るくなったね』
「彼と別れたんです」

笑っていた彼女が視線を落とした。

「私から別れようって切り出したら“いいよ”の一言で呆気なく終わっちゃいました。最初からそんな薄っぺらい関係だったんですよね」

 先月会った時に、なぎさは不倫の恋に終止符を打つ覚悟を決めていた。薄っぺらい関係と言っても一度好きになった人間をそう簡単に忘れることはできないだろう。
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